刑務所の元「包挟」 法輪功の師父に許しを乞う
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年9月18日】彼は14歳に少年管教所に入りました。人脈を利用して軍隊に入り、偵察兵になりましたが、過ちを犯したため軍隊から離れました。その後喧嘩をして人を傷つけたため、9年間刑務所で服役しました。刑務所から出た後、収入源がなく、麻薬の販売を始め、再び捕まえられ、2002年に12年の懲役刑となり、西北にある某刑務所で服役しました。

 2005年、西北の刑務所は違法な法輪功学習者の監禁場所に指定され、多くの学習者が監禁されました。彼は刑務官との付き合いがうまく、刑務官の意図をうまく理解できましたので、第一看守区の学習者を「包挟」する組の組長に指定されました。刑務所は包挟人員を集め、1カ月のトレーニングを行い、詳細かつ強制的に学習者を転向させる計画を設定しました。彼はこの計画を具体的に実施するキーマンでした。

 「包挟」というのは、中国共産党が学習者を迫害する期間中、身近にいる学習者を監視する刑務所の服役人員でした。彼らは警察から全ての命令を受け、学習者に近づいて学習者の行動を監視し、警察に報告し、警察からの洗脳、暴行、野蛮な灌食等の命令を受けて執行しました。

 数年間、彼は邪悪の刑務官とグルになり、積極的に多くの学習者への迫害に参与したので、悪行が公表され、追跡調査国際組織に記録されました。

 2010年に釈放され家に帰った彼は、ある日偶然に、以前迫害した学習者に会いました。学習者は彼の所に来て、「天安門焼身自殺事件」の真相ビデオを見せ、追跡調査国際組織のサイトを開き、彼の悪名がすでに国際組織に記録されたことを見せました。彼は非常に恐れましたが、まだ警戒心を持っていました。学習者がネット封鎖突破ソフトを渡すと、彼は無意識に、「これは宝物ですね!」と言いました。

 翌日、学習者が再度彼を尋ねたとき、彼は感動して、「私は大金をかけても、治らなかった皮膚病が一晩で消えました」と言いました。実は、彼は麻薬を使用する悪習があったので、夕方になると、皮膚がかゆくなり、肌に常にかき傷がありました。数万元のお金をかけて、大手の病院にも行きましたが、治りませんでしたが、彼の無意識の善念の言葉で、前日の夜、皮膚のかゆみがなくなり、しかも皮膚の深層から表面まで赤い湿疹のようなぼつぼつが出てしまい、彼は非常に驚きました。

 学習者に会ったとき、彼は感動して心を開き、たくさんの話をしました。そして学習者に、ぜひ法輪功の師父と学習者達に、「法輪功の師父及び学習者達に是非許してほしいのです。私はずっと刑務所に入っていたので、法輪功とは何かわかりませんでした。刑務所で配られた法輪功を中傷する本が、全て真実だと思いました。学習者を『包挟』したときに、本当に彼らを助けていると思いました。その後学習者と接触する機会が増えて、私はひそかに観察していましたが、本で書いてあったことと違っていたと気付きました。私は疑い始めましたが、昨日になって『天安門焼身自殺事件』のビデオを見て、やっとわかりました。私は騙されていました。刑務所で警察からもらった焼身自殺事件のビデオを数百回見ましたが、昨日真実の焼身自殺事件の真相を見たら、刑務所で見せられたビデオは捏造されたものだとわかりました。長年苦しんでいた病気は、一晩で治り、しかも体から毒素が排出され、法輪功の奇跡がわかりました。刑務所にいた大法弟子はいかに虐待されても、自分の信仰を諦めなかったことは無理もありませんでした。現在私はやっと真相がわかり、是非過去に犯した法輪功に対する罪を法輪功の師父に是非許してもらいたいのです!」と言いました。

 その後、学習者に、「どうすればいいですか?」と聞き、学習者は、「あなたが分かった真相をもっと多くの人々に伝えてください」と言いました。彼はたくさんの資料、チラシ、『九評』のビデオをもらい、「私が資料を見終わったら、他の人達に転送します。『九評』のビデオを私の店で店員達に見せます」と言いました。そして、彼は叔父のためにネット封鎖を突破するソフトももらいました。

 法輪功学習者が帰る前に、彼は再三に、「ぜひ私の懺悔の言葉を明慧ネットに伝えてください」と念を押しました

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/9/1/353220.html)
 
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