難に陥った同修を助ける時の注意すべき体得
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 【明慧日本2019年2月16日】旧勢力が大法弟子を迫害する形はさまざまですが、ひどい病気はその中の一つで、目的は、修煉者の意志を壊すことにあります。そのため、修煉者として意志を固めなければなりません。それでは、病気の難に遭ったとき、どのように対応すればよいでしょうか。師父は「人間なのか、神なのか、一念の違いです。正念が生じ、このすべてが虚像で、旧勢力の妨害であり、長年大法を修煉しているので、この状況は起きるはずがないと思い、本当に心からの一念が生じれば、すべてが消えてしまいます。しかし、これは人間が言えばできることではありません。確固たる正念はあなたの内心から来るもので、形式的なものではなく、口で言うものでもありません」[1] と我々に教えて下さいました。

 同修Aさんに脳梗塞の症状が現れ、はっきり話せなくなり、片側の体は力が入らず、子供たちによって強行に病院へ送られて、MRI検査を受けて脳梗塞と診断されました。1週間後、状況が少し安定したAさんは強く退院を主張しました。退院前後の1カ月の間、私は毎日のように病院かAさん宅へ行き、付き添っていました。そこでAさんが正念をもって、迫害を否定していた全過程をこの目で見ました。

 入院中の頃から、Aさんは自分で食べれない状態になっていたのですが、Aさんは強い意志で自分で食べられるように努力しました。蒸しパンを少しちぎっては、開かなくなった口を手で開けてパンを口に入れ、それから水を少しずつ飲んではパンを中へ飲み込みました。小さなパンを食べるのにも2杯の水を飲まなければなりませんでした。とうとう水を飲むことも出来なくなって、飲むと咳が出ました。それでもAさんは咳を気にせず、咳をし終わってから引き続き水を口に入れました。そして、とうとう歩くことも出来なくなったのですが、Aさんはそれにも屈しませんでした。

 1日目、ベッドで便器を使って小便をしたほか、翌日からAさんは歯を食いしばって1人でトイレに行きました。トイレまで距離があって、Aさんは体のバランスを保つように努力して、1歩ずつ前に向かって移動しました。後ろで付き添った私は、あえて彼女を支えないようにして、しゃがむときと起きるときに少し手伝っただけです。

 病室に他の人がいないとき、私は「一緒に、発正念をしましょう」と言ったら、彼女はいつも少しも躊躇せずに「はい」と答え発正念しました。それからきちんと座れるように歯を食いしばって上半身を起こして、看護婦さんが病室に入って我々を止めるまで、ずっと私と一緒に発正念をしました。時に私が「一緒に、煉功しましょう」と言うと、彼女はすぐに賛成して私を少し待たせてから、ベッドに体を寄せてゆっくりと自分で立ち上がります。片側の体が動かなかったのに、どうやって煉功するかを少しも考えたりしませんでした。途中で力が尽きたら少し休憩して、それからまた煉功を続けていました。

 退院した後、私とAさんは毎日長時間発正念をし、学法と煉功を怠らずに続けました。Aさんの情況は日ごとに好転していき、家族も彼女に薬を飲むことを強制しなくなりました。2、3カ月後、彼女は完全に回復して、法輪大法の素晴らしさを実証しました。

 Aさんは他の空間が見えます。最初、2人で発正念をしたとき、自分の空間場に様々な鬼や悪いものが充満しているのが見えました。私たちが根気よく発正念を続けると、鬼の数はだんだん少なくなり、最後にはたまにしか見えない程度まで減りました。

 各種複雑な原因により、病状がとても長びく場合もあります。その中で、旧勢力に修煉の意志を奪われる修煉者もいます。普段とても良く修煉ができているBさんは、真相を伝えるときに逮捕され、出所した後に、Bさんに重い病が現れました。病状は半年も続き、とうとうBさんは大法の本を全部片付けて、師父の写真に向けて「師父、私は修煉したくないのではなく、本当にもう力尽きました」と申し上げ、その後、しばらく経って彼女は他界しました。

 ここ1年来、病状に陥る同修を助ける中での教訓や体得を下記のように、まとめました。

 一、病状に陥った修煉者本人に贈りたい言葉

 まず、病状に陥った本人は、「これは旧勢力の加えた迫害であり、絶対にそれを認めてはいけない」と、はっきりと判断しなければなりません。同時に、旧勢力に大法修煉の信念や意志を壊されないように要注意すべきです。

 師父は「ある時期になると、功が本当に存在するのかどうか、修煉はできるものなのか、果して高い次元へ修煉していけるだろうか、佛は本当に存在しているのか、などについて、あなた自身が紛らわしく思い、迷ったりすることが起きます。将来、あなたに錯覚を与えて、それらすべてが存在しておらず、みんな偽物だ、とあなたに思わせるようなことも起きるかも知れません。動揺するかどうかを試すのです」[2] とおっしゃいました。

 その次に、当事者の修煉者は内に向けて探すと同時に、必ず学法と煉功を続け、また、全力で発正念をして邪悪を一掃し根絶して、迫害を解体します。発正念は迫害を本当に解体させるまで続けなければなりません。

 修煉者は誰もが内に向けて探すことを知っていますが、特に病の苦しみに陥った修煉者は内に向けて深く探すべきです。しかし自分の執着心が見つからないときもあります。私自身も難関に陥って突破できないときに、自分の問題点をなかなか突き止められないことが多々ありました。

 師父は「実は道を正しく歩むことができないのは、一つは業力が原因で、その生命の背後にある厄介なこと、各種の恩讐、誓願、各種の生命との関係等々が含まれています。もう一つは自身の人心による執着です。特に形成された観念、形成された思考様式によって、なかなか無意識のうちに表れた人心に気づくことができません。気づくことができなければ、どのように放下するのでしょうか? 特に中国という環境で、邪党は中国の伝統文化を打ち壊し、邪党のもの、いわゆる党文化を作りました」[3] 、また「多くの良くない考えに気づくことができないなら、どうしたらよいのでしょうか? 大法に従って行動するしかありません」[3] とおっしゃいました。「大法に従って行動する」とは、つまり大法弟子のするべき事を行うことだと私は思います。内に向けて探すと同時に真面目に学法すれば、師父はきっと悟りを開かせてくださると思います。きちんと煉功すれば、体がはじめて回復できると思います。旧勢力の迫害があるかどうかに関わらず、修煉者として内に向けて探して、自分をしっかり修めるのは当たり前のことで、それは旧勢力と関係がないことです。

 一方、旧勢力からの妨害を容認するわけにもいきません。発正念をして旧勢力を解体しましょう!!

 病難に陥っても発正念を重視しない同修がいます。なぜでしょうか。発正念するときに何も感じられなくて、発正念しても効果がないと思ったからです。発正念の効果に関して、師父は何度も説かれました。「皆さんに教えますが、ここ数年来、私はいつも大法弟子に非常に大きな能力があると言っていますが、どうしても信じない人がいます。なぜならば、あなたに見えないようにしているからです。あなたの正念の作用で、周りのすべてとあなた自身まで変化が起こりますが、あなたは試してみようと思ってもいません」 [3] 、「あなたが正念を発すると、邪悪が千軍万馬であっても、全部土となり、すべて消滅され、何者でもありません」[3]

 苦しみに陥って現状に対して無力感を感じ、自分を小さく見てしまい、難を大きく見てしまった修煉者がいます。大法弟子の成し遂げる果位はとても高いもので、それに比べて旧勢力は何ものでもありません。また、私たちには師父がおられることを、くれぐれも忘れないでほしいです!!

 ある男性同修Cさんの例を挙げましょう。ある日、Cさんが転んで手足が動かなくなりました。Cさんの家に駆けつけた私は、Cさん夫婦と一緒に発正念しようとしました。Cさんの全身が激しく震えて、座ることさえできません。Cさんの修煉者の妻はCさんの腕と胴体を掴んで、ベッドに倒れないように支え、私たちは長時間に発正念して、それから私は『轉法輪』を読んでCさんに聞かせました。夜、私が家に帰った後に、Cさんは頑張って煉功を試みました。手足を自由に動かせなくても、煉功動作が正しくできなくても、できる限り煉功しました。

 一方、妻の方は発正念をするときに目では見えないのですが、旧勢力が自分の手を下へ押したり、背中を押して、ベッドへ倒そうとしたりするのをはっきりと感じました。妻は強い正念を発して、根気よく旧勢力の邪魔に対抗しました。

 その2、3日間、Cさんの病状はとても危険な状態でした。全身の皮膚が壊死したような色を呈し、弾力性が無くなり、手足の爪は乾いて黒く変色し、醜くてたまりませんでした。顔の表情はきわめて苦痛に満ち、まともに喋ることも出来なくなりました。それでも、妻はずっと発正念を怠らずに続けていました。5日目から、Cさんの状況は好転していき、私たちと一緒に『轉法輪』を読めるようになりました。妻によると、4日目のときにCさんは「来たぞ、邪悪が家に来た」と言ったり、また「ごめん、俺は先に逝くよ」と言いました。でも、Cさんは全くこれらの事を覚えていませんでした。妻はCさんの手を握って「どこにも逝かせませんよ、私たちは師父について天国の家に帰るのですよ」と強く言って聞かせました。その後、妻が発正念の言葉を言い出すと、Cさんは一言一妻が言った通りに繰り返しました。このようにして正念が強化されていき、次第にCさんは大法を思い出し、彼は旧勢力に対して「お前たちが言ったことは嘘だ、全部間違っている!!」と言って、それらを絶対に認めませんでした。その後、Cさんは回復していきました。

 病業の苦しみに陥った修煉者はできれば病院に行かず、常人と接触しない方がよいと思います。旧勢力はよく常人である家族を利用して、病中にある修煉者を邪魔しに来させるのです。

 普段あまり付き合いをしないけど、修煉者が「病気」になると、親戚らが格別に関心を示して、積極的に修煉者を病院に送ろうとするケースを周囲でよく見かけます。実はそれはすべて旧勢力の手配なのです。

 またCさんの例を挙げてみましょう。Cさんが転んだとき、ちょうど彼の妹は妹婿と夫婦喧嘩をしていて、Cさんの妻にすぐに来てほしいと頼みました。妻はどうしてもCさんを1人にさせることが出来ないため、電話で断りました。常人である妹にCさんの魔難を教えたくないため、妹の家に行けない理由を言いませんでした。それで、妹は電話の中で泣いて妻を罵倒しました。

 その後、Cさんの情況をやはり兄妹たちに知られてしまい、兄妹たちはCさんを病院に送ろうとし、Cさん本人に断られました。Cさん夫婦は地元で商売をして知合いがとても多いため、近くの住民は彼ら夫婦が大法修煉者であることをほとんど知っています。Cさんの娘は電話をかけてきて、「お父さん、今回の難を乗り越えられなければ、今までお父さんとお母さんが救った衆生は、すべて無駄になりますよ」と伝えました。これは師父が娘の口を借りて言われた教化(人に教え、よい影響を与えて善に導くこと)だと、Cさん夫婦にはすぐ分かりました。妻は店を休んで、できるだけ兄妹たちと接触せず、寝る時間以外はひたすら学法をし、煉功をし、発正念をして修煉者であるべき状態を保ちました。

 病業に陥る修煉者はもし正念がとても強い人ならば、1人でも難を突破することが出来ると思います。もし1人では力不足と感じるのであるならば、同修に来てもらってもよいのですが、しかし来てくれた同修が正念が弱くて、話した内容が法理からずれている場合は、すぐに阻止しなければなりません。なぜかというと、来てくれた同修がもしも念を正しく持つことが出来ないなら、もしくは正念が弱いのならば、同様に旧勢力に利用されて妨害の作用を働くことになるからです。生死を分ける肝心なときに、すべての邪魔を排除しなければなりません。

 二、助けに行った同修に贈りたい言葉

 まずは、病業に陥った当事者の同修の正念を強化させるように、努力してほしいのです!!

 私の見たところほとんどの当事者は病気に苦しみ、正念がすでにとても弱くなっています。また、旧勢力は彼らの頭に多くの観念を押し付けて、すでにその良くない観念を自分の考えであると思ってしまっています。私たちの役目は当事者の正念を強化させて、頭の中の悪い観念を排除させ、法理を踏まえて物事を思考できるように当事者を導くことです。

 学法、煉功と発正念を怠る当事者に、私たちは必ず学法、煉功と発正念の重要性を教えて、毎日続けていくようにと勧めなければなりません!!

 漠然と「内に向けて探しましょう」とか、「自分自身を正そう」とか言っても、当事者に実際の助けにならないと思います。修煉者として内に向けて探して、自分自身を正したくない人がいないと思いますが、当事者も例外ではなく、ただ自分の執着心を探し出せないのです。具体的に教えて、当事者が聞いたらどのようにするべきかが、すぐに分かるような話し方をしないといけません。例えば、「足が動かなくなった現象は旧勢力があなたの頭に注いだ観念なので、それを認めないでください」とか、「ちゃんと座ることさえ出来なくなったと思わないで、私たちが帰ってからも、あなたが1人きりになってもちゃんと座れますよ」などなど、よく言って聞かせます。

 その他に当事者のおかしい振る舞いを見て、それは本人がやっていることではなくて、旧勢力にコントロールされた「彼」なのだと見分けることも大切です。旧勢力が演化した「虚像」を見分けることが出来て、はじめて当事者を助けることが出来ると思います。旧勢力に関して、師父は「実は、自分自身にある正しくないすべての要素も含めて、すべて大法と大法弟子の正念と一致していないものはいずれも、旧勢力の関与によってもたらされたことです。そのため、私は正念を発することを大法弟子の三つの重要なこととして行なうよう指示したのです」[4] と明言されました。

 次に、全力で当事者のために発正念をすることです!!

 私自身が何度も長時間発正念して、良い効果を経験しました。みんなで一緒に発正念してから、苦痛が軽くなった当事者もいます。また、大きなエネルギーを感じた当事者もいます。苦しみに陥った当事者たちに自信が湧いてきて、段々と正念も強くなってきます。例を一つ挙げましょう。ある日、喘息の年配の同修のためにみんなで発正念しました。15分の発正念が終わったとき、ゼイゼイと喘(あえ)いでいた年配の同修の喘息がすっかり治りました。それを見ていた2人の新しい修煉者は「とても不思議ですね」と言いました。

 万が一、発正念した後に効果を感じられなくても、諦めないでください。発正念は師父が私たちに要求されていることなので、決して無駄にはなりません。また、時には発正念してから当事者の状況が好転したので、同修たちがホッとして気を緩めてしまい、その結果、邪悪が勢いを盛り返して、当事者の「病業」がいっそう酷くなるという教訓もあります。ですから、発正念は当事者が安全に難関を乗り越えるまで続けることが大切です。

 三、まとめ

 苦しみに陥った当事者に「内に向けて探そう」と促すのをやめて、私たちはただ大法の要求に沿って行うだけでいいのです。私たちはよく習慣的に当事者に「内に向けて探してください」と言いがちですが、私の理解では、「内に向けて探す」ことは自分自身に対して言うときだけが、本当の意味の「内に向けて探す」こととして成り立ちます。しかし、自分以外の誰に対しても、たとえ当事者の同修に対してであっても言ったならば、それは実質的に「外に向けて探す」ことになってしまいます。外に向けて探しているうちに、当事者に対して愚痴や軽蔑などが生じやすくなり、いつの間にか旧勢力と同じ考えになってしまいます。当事者を助けているようにみえますが、実際には逆効果です。

 同修が病気になった、若しくは逮捕されたなどのことを耳にしたら、我々はどうすればよいでしょうか、どのような念を持てば本当の「正念」になりますか。私が悟ったのは以下の三つです。

 1、病業や迫害はどれも旧勢力からの妨害なので、絶対にそれを認めません。当事者の同修によく行っていない部分があっても、迫害される理由になりません。「現在、業の消去にしても、邪悪の要素による妨害にしても、すべて旧勢力がやったことであり、同じことです。言い方が違うだけです。旧勢力がやったことを私はすべて否定し、認めません。大法弟子が苦しみに耐えるような事はことさらあってはいけません」[5] と師父は説かれました。大法弟子として、内に向けて探すのは当然のことですが、旧勢力となんの関係もありません。大法弟子はただ師父が按排された道だけを歩みます!!

 2、周囲の同修が迫害、もしくは病業に遭ったとき、それを見た私自身に何か執着心がないか、自分の修煉に抜けている部分がないかを反省すべきです。また、迫害に遭った同修のことを私はどう思っているのか、自問します。

 3、これから私自身はどのように行うべきか、大法の要求は何なのか、その要求をやり遂げたのかどうか、大法弟子としての責任を果たしたのかどうか、周囲に難に陥っている同修がいれば、決して自分に関係がないと思ってはいけません。その時は、自分自身の私心や独りよがりの心、無責任さなどを除去するよい機会です。実は、我々は難に陥った同修を助けるのではなくて、私たち自身の修煉を高めているのです。メンツなどのために当事者の同修の家に行くのではなく、必ず責任を持って、着実に同修のためになることをやらなければいけません。たくさんの同修が同時に当事者の家に押しかけるのではありません。当事者の生活を邪魔することにもなります。また、みんなの時間ももったいないのです。そうではなくて、2、3人が交替するのが最も良いと思います。

 以上は、最近経験したことから悟った些細な体得ですが、間違っているところがあれば、皆さんのご叱正を仰ぎたいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二〇一〇年ニューヨーク法会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二十年説法」
 [4] 李洪志師父の経文『波紋を呼んだ副元神に関する文章について』
 [5] 李洪志師父の経文:『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/2/20/343219.html)
 
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