繰り返し迫害された高世遠さん 2018年4月に死亡
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 【明慧日本2019年1月18日】陝西省延安市延川県の法輪功学習者・高世遠さんは法輪功を学んでいると言う理由だけで、3回の労働教養処分と1回の実刑判決を受けた。残忍な拷問などの迫害を繰り返し受けたことによって、高さんは刑務所から帰宅してわずか数カ月後の2018年4月末に死亡した。

 高さんは延川県関荘鎮関家溝村に在住しており、1998年の末から法輪功を学び始めた。そして、高さんは「真・善・忍」に従って自分を律し、より良い人になるように努力した。誠実で、善良な高さんは年配の村人に「本当に良い人だ」と評判だった。

 しかし、1999年7.20、江沢民グループは法輪功への弾圧を開始した。高さんも迫害から免れられなかった。

 労働教養処分3回を下される

 1999年7.20、当局が法輪功迫害を始めてから、高さんは当局の暴力を恐れず、北京に行き、法輪功への迫害を停止するように求めた。公民としての合法的な権利を主張しただけだが、それによって、高さんは迫害を加えられた。

 高さんは陝西省で労働教養処分を下された男性法輪功学習者の中で、第一号となった。高さんは辺鄙で山奥にある風翔県棗子河労働教養所に拘禁された。労働教養所で高さんは2年間、強制的に洗脳され、灌食の迫害を受け、重労働を科せられた。

 労働教養所から出た後、高さんは咸陽市に行き、同じ教養所に拘禁されていた法輪功学習者・高壽海さんに会いに行ったが、壽海さんには会えず壽海さんの勤め先で国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の人員に連行された。それから、高さんは再び棗子河労働教養所に送られた。高さんは数カ月にわたり断食をして、迫害に抗議し続けた結果、解放された。

 2009年1月22日、高さんは家に帰った。1月28日、朝食を取っているとき、自称延川県公安局の警官ら3人に自宅に不当に侵入され、県の留置場に連行された。その後、公安局、610弁公室の警官ら数人は高さんの家を家宅捜索し、法輪功関連書籍十数冊、法輪功の煉功用テープ、現金3千数元を押収した。そのことで当時、家にいた両目を失明した高さんの85歳の母親は精神的にかなり大きなダメージを与えられた。

 高さんは留置場の規則を暗唱するようにと強いられたが、従わなかった。そのため、警官は受刑者らに指示し、高さんを地面に押し倒し、スタンガンで殴った。その後も、警官の指示に従わなかった高さんは、何度も殴られ体中が傷だらけになった。

中共酷刑示意图:殴打
拷問のイメージ絵:寄ってたかって殴打する

 高さんは自分は罪を犯していないと主張し、無条件で解放することを求めたが、警官は認めることなく、かえって労働教養処分を下された。教養所で灌食された高さんは健康状態が悪化したため、警官らによって強行的に棗子河労働教養所に送り込まれた。その後、高さんは虢鎮労働教養所に移送された。

 2010年4月上旬のある日、教養所で高さんと他の法輪功学習者3人は警官の指示に従わなかったため、副隊長の指示を受けた受刑者らに、暴力を加えられた。しかも、1日中暴力を受け、3人とも全身に傷を負った。

 実刑判決を宣告され 刑務所に入れられる

 2014年8月、高さんは西安市西影路にある借家で雁塔区国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官に連行された。警官は何の証明書も提示しないまま、高さんを雁塔区留置場に入れ、所持していた現金1万5000元を押収した。その後、高さんは西安市北郊にある宣平園洗脳班に入れられ、3カ月半の迫害を受けた後、高さんは警官からの通知を受けた兄に連れられて実家に帰った。

 2016年4月、高さんは西安市城東駅から乗車して実家に帰ろうとしたが、駅で警官に連行され、西安市ハ橋区留置場に送られた。5月中旬、高さんを陥れるため、いわゆる「証拠」を集めるため、4~5人の警官らは長安市韋曲区西ザイ村に行き、高さんの写真を貼りつけ、村人に「この人物は捕まったので、この人の情報を提供しなさい」と言いふらした。

 その後、高さんは「法輪大法は素晴らしい」と書かれた真相紙幣と法輪功の書籍を所持していたことを「証拠」とされ、ハ橋区裁判所に懲役1年6カ月の判決を言い渡された。

 高さんは渭南刑務所に収容されたが、健康状態が悪化し肺結核だと診断され、刑務所病院の肺結核室に移された。しかし、警官は高さんに対する迫害を緩めず、高さんを「転向」させるため、残酷な迫害を続けた。

 高さんは長期にわたり迫害されたため、肺結核が悪化して、刑務所から出たわずか数カ月後の2018年4月にこの世を去った。享年50歳であった。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/12/28/378957.html)
 
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