文/黒竜江省の大法弟子
【明慧日本2019年6月26日】法輪大法を2011年から修煉し、私はずっと師を信じ、法を信じることにおいてよくできていると思っていました。どれほど大きな関や魔難に遭っても、真っ先に師父と法を思い出すことができ、順調に関を乗り越えてきました。しかし、最近のある出来事で、師を信じ、法を信じることが全くできておらず、その上、法を用いて自分の執着心を隠そうとしていることに気づいたのです。このことについて同修の皆さんと交流していきたいと思います。
私は今年で46歳になります。修煉する前は20種類以上の病を患っており、非常に辛い日々を過ごしてきました。皮膚がカピカピに乾いており、顔色も悪く、血の気もありませんでした。皮膚の免疫力が低下していたため、紫外線アレルギーで、日焼けする度に蕁麻疹やニキビができ、高い化粧品を使うと肌が荒れるため、安物で維持してきたのです。30代のころは50代に見えたので、鏡に映る自分を見る度に苛立ちました。
大法を修煉してから毎日、学法、煉功をし「三つのこと」もしっかり行い、次第に病がすべて消えてなくなりました。体が健康になったので、気持ちも変わり「どんどん若く見えるね!」と多くの人に言われるようになりました。私は「法輪大法を修煉したからよ! 煉功のおかげだよ!」と皆に言っています。そして、鏡の中の自分は顔色がよく、肌も白くなり、ニキビも消えて、以前よりも若く、きれいになったのです! うれしいと思いながらも、すべて師父が与えてくださったと理解しています。
しかし最近「顔の肌が乾いているわね。化粧品を変えてみたら?」と同修にも言われました。けれど、私自身はこのことを気にかけることもなく「春だから、顔の肌が乾くのも仕方がない」と思い、内に向けて探すこともしませんでした。この時同修Aさんが、自分の妹が販売している化粧品がとてもよくて、顔に塗るとすぐに効き目が現れて、みんな買っていると言いました。これを聞いた私は「常人にとっては効き目があるかもしれないけど、私たち修煉者にとっては効果はないのかもしれないわ」とAさんに言いました。
後になり、Aさんもその化粧品を使い始めました。彼女は元から肌が白く、そして、私より10歳以上も年下であるため、その化粧品を使ってより白くなり、いつからか、その化粧品を販売するようになったのです。私たちはよく一緒に学法するので、彼女に会う度に、そのきれいな肌を見て、私も買って試したい気持ちがわき始めました。大法弟子だとしても、最大限に常人の状態に合わせなければなりません。「いい加減な格好をしてはいけないわ」と思った私は「そのメーカーの化粧水と乳液、美白エッセンスを買いたいの」とAさんに頼み、仕入れ価格の値段で安く購入しました。
しかし、その化粧品を使った初日、顔がかゆくなり、ニキビも出てきたのです。他の人が使ってよかったのに、自分が使うと反応が出るということは、化粧品が悪いのではない、私自身が執着したからに違いありません。同修たちにこのことを話すと「私たちはメーカーやブランド物に執着してはいけないわ。肌が乾かなければなんでもいいのよ」と皆に言われました。しかし、私はどこか違うと感じました。心の中では分かっているけれど、やはり気になって仕方がないのです。
何日か経ち、再びその化粧品を取り出しました。顔に塗った瞬間、痺れた感じがしましたが、特に気にせずに4、5日塗り続けました。ニキビは出来ていなかったものの、いつも以上に乾いていたので、塗る回数を増やしました。しかし、塗れば塗るほど乾燥するので、鏡をよく見ると、いつの間にか、涙袋が大きくなり、しわも増えて保湿どころか、より一層乾燥したのです。どうして、このようなことになったのでしょうか?
心を静めて内に向けて探し始めました。毎日、鏡を見たがり、自分の化粧をチェックしたがっているのは、美への追及、執着ではないでしょうか。もっとはっきり言えば、これは「色欲」への執着なのです! 師父は「欲も色もみな人間の執着心で、それらはみな取り除かなければなりません」 [1]と説かれました。普段、色欲においては執着していないと思っていましたが、これほど強い心理に全く気付きませんでした。この人心を取り除かなければなりません。修煉者にとって真っ先に越えなければならない関なのです。
同修の皮膚がよくなったのを見て、自分もよくなりたいと思うのは、まさに嫉妬心ではないでしょうか。師父は「嫉妬心という問題はかなり重大です。なぜならそれは、われわれが修煉して圓満成就できるかどうかという問題に直接かかわってくるからです。嫉妬心を無くさなければ、人の修煉した一切の心が脆弱なものになります。ここには一つの決まりがあります。すなわち人間は修煉の中で、嫉妬心を無くさなければ正果を得られないもので、そうしなければ絶対に正果を得ることはできないのです」 [1]と説かれました。
自分の嫉妬心がこれほど強いとは思ってもみませんでした。これは取り除かなければなりません! それに、同修は仕入れ価格の値段で化粧品を売ってくれているのに、同修の気持ちも考えなかった自分はまさに利益心の表れではないでしょうか? 法を正す時期が最後まできたいま、これほど多くの執着心がまだ残っていては、師父と共に天に帰れるはずがありません。
さらに深く掘り下げてみると、師を信じ、法を信じることにおいて、それほど固い信念を持っていないことに気づいたのです。師父は「法輪大法の学習者は、一定期間の修煉を経ると、表に現われる大きな変化として、肌のきめが細かくなり、色も白くなり赤みがさしてきます。年配者は、皺が減り、ほとんど消えてしまう人もいます。これはよく見られる現象です」 [1]「これは冗談ですが、若い女性はどうしても美容に気を使い、肌の色をより白くつやのあるものにしようとしますが、実は、性命双修の功法を本当に修煉すれば、おのずとそうなりますので、手入れをする必要もないことを保証します」 [1]と説かれました。
師父の法理は明白です。では、一体何を疑うのでしょう? 師父のお言葉を信じないのですか? それなら、何を信じるのですか? 化粧品で肌が潤うと考えていましたが、化粧品は化学薬品で出来ています。言い換えれば毒なのです。師父は毎日私たちの体を浄化してくださっています。それなのに、私たちは口先では薬を飲まないと言っていますが、実際、毎日、薬や毒薬を顔に塗っているのです。毒を顔につけてよくなるはずがありません。長い間修煉してきましたが、肌が白く、赤みを帯びている状態に至っていない原因がようやく分かりました。私たちは真に実修しているのでしょうか? 本当に自分を修煉者とみなしているのでしょうか? 師を信じ、法を信じているのでしょうか? 完全に、まったく動揺せずに師を信じ、法を信じることができれば、常人の方法で肌を保湿したり、美白したりする必要もないでしょう。私たちが修煉しているのは何ですか?
師父は「真に命を修める功法では、採集してきた高エネルギー物質を人体の細胞に蓄え続け、その密度を高め続けていきますと、それが次第に常人の細胞を抑制できるようになり、次第に常人の細胞に取って代わることになります。その時がくれば、質の変化が起こり、この人はいつまでも若々しくみえるようになるのです」 [1]と説かれました。
私たちは、本当の性命双修の功法を煉っています。これはすべてを超える法なのです! それは常人の何物にも代えられません! 常人の化粧品を塗って、効果が出るはずがないのです。常人の肌荒れや、肌が黄ばんだり、黒くなったりすることは業力が原因であり、業力もまた生きた霊体なのです。薬や化粧品を塗ると、その霊体は殺されると思って、すぐに深い空間に逃げ込んでしまいます。
従って表面上、肌がよくなったように見えますが、時間が経つと、積み重なった業力が再発し、体の別の部分でよくない症状として現れるのです。業力を自ら返さないわけにはいかないのです。、私たちが化粧品を塗って効果が表れたと認識していても、実際はそうではないのです。修煉者はもっと高い基準で自分に要求しなければなりません!
実際に毎日法を勉強していても、どれだけの法理を理解したのでしょうか。自分の言動を振り返ってみて、本当に恥ずかしく思います。すべて些細なことですが、どれも人心を反映しているのです! 他人がそうしたから、必ずしも正しいというわけではありません。このことを悟ってから、私はすべての化粧品を常人にあげたり、処分したりして、それ以来、何も塗っていません。これ以上、師父に心配をかけさせてはいけないのです。しかし、ここ数日間で、顔面が再び乾き始め、薄い皮までめくれてしまい、触るとざらざらして、時には焼けるような感覚もありました。この時、私は動揺しませんでした。
何十年もの間、化学薬品による被害を受けてきたので、その業力を取り除かなければなりません。これを悟ったのならば、実際の行動に移さなければなりません! 師父が按配してくださったことは、すべて高エネルギー物質で構成され、すべて最高のものばかりです。それならば一体、何に執着するのでしょうか。すでに修めた方の自分は、若くてきれいなので、常人の肉身の変化に執着して、一体何になるというのですか? 顔の乾燥は、まさに残り少ない業力の表れであり、悟らないどころかいつまでも執着してどうするのですか? 常人の理は逆の理です。常人が思う「良さ」は、高次元では「悪い」ことだと認識しています。このことを悟ってから、全く化粧品に触れなくなり、そして肌も日増しに良くなっていきました。
化粧品を塗るべきではない点を悟ったとき、同修Aさんが訪ねてきました。彼女の顔にシミのようなものができたのを見て、自分が悟ったことを交流しました。彼女もこのことに気づいて、化粧品を塗らなくなったのです。
あれから、1週間ほど経ちました。Aさんの顔左半分のシミがなくなり、右半分はまだ少し残っています。修煉は厳粛なことです。まさに、師父が説かれた「観念転ず、腐敗物は滅し、光明が顕れる」 [2]の通りです。
法を正す時期が終わりに近づいてきたいま、私たちは本当に師を信じ、法を信じることができたのかを自分自身に問いかけるべきです。本当に実修できたでしょうか? たくさんの執着心を取り除いたでしょうか? 最後の時は、師父と共に天に帰るのです!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「新しく生ず」