文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年5月17日】私は75歳の田舎の女性で、2005年6月、幸運にも大法の修煉を始めました。夫と2人の息子が私の修煉に反対したため、私の修煉の道はとても険しいものでした。しかし、私は真に修める大法弟子になって、必ず返本帰真し、師父について家に帰ろうと固く決心しました。
大法の本の中に書かれたように、私は別の空間の生命が見えて、そして、井戸とトンネルのような通路に沿って外へ走り出し、いつまでたっても突き抜けられませんでした。私は走り出し、飛び上がり、馬や車に乗って走り、裸足で走りました。そして、古代の衣装を身に着けている人や、現代の服装を着ている人も見ました。
大法は本当に不思議です。本当にただ者ではありません。私は必ずこの機縁を大切にしようと思いました。ですから、私はさらに法と師を信じて確実に修め、他の誰の物も要らず、誰の話も信じず、聞かない事にしました。修煉の過程では、師父は絶えず様々な光景を見せてくださいました。
時には同修が迫害される光景も見せてくださいました。ある同修が、旧勢力に肉体を奪われた光景を見ると、次に旧勢力は、幾重にも重なった空間で別の同修を迫害しようとしているのを見ました。その時私はとても焦り、この同修を助けたいと思い、自分は今からでもすぐに発正念をしよう、そして、皆にも発正念をしてもらおうと思いました。
しかし、この一念が脳裏に浮かんだその瞬間、大勢の旧勢力が私のところに集まって来て、私をやっつけようとしました。ナイフを持っている人、棒を持っている人、そして、名前も知らない武器を持っている人たちが、私に襲いかかって来ました。私はとても痛く感じ、言葉にならないほど辛く感じました。こうして、旧勢力はいつも私を迫害しました。時には、私は抵抗できず、怖くなって、師父に助けを求めました。
偉大で慈悲なる師父はいつも私を啓発してくださり、励ましてくださいました。ある時、私は師父と多くの正神が、私の頭上を通過されているお姿を見ました。一人の正神は、彼らの上にいらっしゃる師父を指して「あなたには師父がついておられるし、正法もあるから、何も恐れることはありませんよ。あなたの正念はどこへ行ったのですか?」と尋ねました。私もそうだと思いました。私はいったい何を恐れているのでしょうか? そこで、私はすぐに起き上がって、1時間ほど発正念をしました。元気を取り戻した私は、また大法の事を行うようにしました。
しかし、しばらく経つと、旧勢力は方法を変えて、また私を迫害しました。彼らは時にはナイフで私の背中を刺し、時には錐(きり:先の尖った細い鉄の棒を、木の柄に付けた工具の一種)で私のこめかみを突き刺し、私は本当に痛めつけられました。
同修は我が家に来て、発正念を一緒にしてくれました。そのおかげで、しばらくの間、調子が良くなりました。しかし、良かったり悪かったりしたこの状態は1年間も続き、今年の正月まで続きました。ところが、この状態には根本的な変化が現れました。
それは今年の大晦日の夜、餃子を食べてから、夫と息子たちは皆でテレビを見ていました。私は疲れて早く寝ようと思いましたが、眠りにつけません。私は正念を発して、邪悪を一掃しなければならないと思いました。そこで、私は元気を出して1時間ほど正念を発した後、更に五式の功法を煉りました。しばらく休んでから、また正念を発し始めました。
発正念の時間が長ければ長いほど、私は心が静かになり、心が静かになればなるほど、気分もよくなりました。あの素晴らしい感覚は言葉では表現できません。本当に素晴らしくて、今まで経験したことのないような素晴らしい感覚でした。夜12時の発正念をしてから、少し休みを取り、更に発正念を始めました。私はずっと両足を組んで、体は入定状態になり、朝4時まで正念を発しました。夫は朝5時に餃子を食べたいと言っていましたが、私は6時の発正念に遅れないよう、夫を早めに起こして餃子を茹でて食べさせました。
こうして、一晩中発正念をした私の状況は徹底的に変わりました。昨年一年間、私はずっと体がだるく、頭がすっきりせず、息苦しくて、歩くといつも倒れそうになり、時には本当に倒れてしまいました。しかし、大晦日の夜、一晩中発正念をしてから、あのよくない状態が消えてなくなりました。
師父がおっしゃった「修は己にありて、功は師にあり」 [1]について私は深く体得し、そして、師父がおっしゃった「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」 [2]についても深く体得しました! 同修達よ、早く発正念を重視しましょう。それは師父が求められた三つのことの中の一つです。とても重要です!
法に則っていない所があれば、同修たちの慈悲なるご叱正をお願いします。
師父に叩頭して拝みます!
同修達のご協力に感謝いたします!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」