明慧法会|刑務所内での365日
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 文/山東省の大法弟子が口述 同修が整理

 【明慧日本2019年11月23日】私は2018年9月7日、外に出て人々に法輪功真相を伝えていると私服警官に尾行され、その後、懲役1年の実刑判決を宣告され、2019年9月6日にやっと家に戻りました。私が刑務所内でさまざまなひどい目に遭うことを心配していた同修たちは、私の話を聞いて「2018年9月の明慧法会に向けて、修煉体験を書きましょう!」と言いました。

 私は文章能力が低いので、私が口述して同修が整理してくれたこの文章を、師父にご報告すると共に、同修の皆さんと交流したいと思います。

 刑務所の中で人を救うのに忙しかった

 私はまず留置場の第9監獄区に拘禁されました。最初、留置場の中の人は私に対して友好的ではなく、初日はある受刑者が言いがかりをつけ、さらに妥協しない私を脅しながら「お前がまた人の言うことを聞かなければ、懲役10年の判決を受ける。それでもお前がまだ修煉するかどうか見てやろう!」と言いました。そこで、私は「修煉します!」と言いました。この留置場の中には、だいたい20人の容疑者が拘禁されており、私は「ここに拘禁されて、人を救う正常な環境を失ったが、ここの生命たちも救い済度されることを待っており、さらにここで出会うことが出来たのは縁で、このチャンスを逃してはいけない」と思いました。人生の道を間違え、誤って正道から外れた容疑者たちを、慈悲深い師父も見落としたくはなく、大法のすばらしさの種を容疑者たちの心の中にこの私が、必ず植え付けなければならない。この一念がありさえすれば、私は容疑者たちに意識的に近づくことができます。

 当然、まず修煉者の基準に基づいて自分を律しなければならず、何を行なうにしても容疑者たちのことを考え、朝全員の卵を、私は毎日殻をむいて食べさせ、汚い仕事やきつい仕事は他の人はやりたがらないので私が行ない、寒い時はすべての監房で午前中と午後にそれぞれ5リットルのお湯が出されますが、私は多くの若者の生理周期を考慮すると、お湯は元々足りないので私はお湯を使ったことがありません・・・。容疑者たちはだんだんと私に近づきたがり、その機会を利用して容疑者たちに法輪功の真相を伝え、加入したことのある党・共青団・少年先鋒隊に対して、脱退するようにと勧めました。しばらくして、監房内の大部分の人が皆「三退」しましたが、信じない人もおり、信じない人にも私はあきらめずに、心の中でその人のために正念を発し、機会があればまた迫害の真相を伝えました。

 いくつかの小さな出来事について

 顔つきおとなしい温和な65歳の老婦人に私は気を配りました。なぜなら犯罪を犯すような人には見えなかったからです。機会がある時にその老婦人に話題を持ちかけると、なんとその老婦人は確かに無実の罪を着せられたのだと分かりました。その老婦人は三輪車に乗っていつも通り出かけると、オートバイが老婦人にぶつかり、その結果、オートバイに乗っていた女性がとがっている物の上に倒れて亡くなりました。そして老婦人も遠くにはね飛ばされ、病院で2日間昏睡状態でした。その事故が起きた後、亡くなった人の家が村で権勢があったので、交通警察をそそのかし、老婦人を事故の張本人に仕立て上げ、60万元の賠償金を要求しました。老婦人は普通の農民で、どこにそんなお金があるでしょうか? 最終的に懲役1年4カ月の判決を宣告され、さらに、20万元(およそ308万8000円)賠償しなければなりませんでした。

 老婦人も中国共産党の腐敗制度の被害者ですので、私は老婦人に同情しました。老婦人はその事故で足に傷を負い、中腰になれないので、毎回老婦人は当番で地面を拭くと、いつも床に腹ばいになり、私は見るに堪えず、老婦人の当番の仕事を私はすべて引き受けました。老婦人はとても恐縮していました。なぜなら老婦人は、この不慮の災難に見舞われて無実の罪を着せられたので、とても落ち込んで悲観していました。私は大法の法理で老婦人を諭し、老婦人に大法のすばらしさを伝えました。老婦人は私の話をとても聞きたがり、さらに大法のいくつかの法理に対しても理解でき、受け入れることが出来ました。もともと老婦人の亡くなった母親は法輪功修煉者で、生前、老婦人に大法を修煉して欲しかったのですが、老婦人は大法に入らなかったそうです。母親が亡くなった後、老婦人は母親のすべての大法書籍をすべて自分の家の中にしまいました。老婦人は嬉しそうに「何と大法はこんなにも素晴らしいのですね。家に帰った後、書籍を探して学びます」と私に言いました。老婦人はこの特別な時間と場所で、再び大法と縁を結んだのです。私と老婦人はともに喜び合いました。

 覚せい剤を販売したために死刑判決を受けたある受刑者は、某と言う名字で、私の方が某さんよりずっと背が高かったので、私は某さんのことを「小某」と呼びました。小某は一審で死刑判決を受け、目下二審の控訴中でした。死刑判決を受けたので一日中ビクビクしていて、二審でよくない結果が出ることを恐れていました。私はただ「もしかしたら彼女はこの世での時間は多くないかもしれず、救う機会はそれならばさらに少なくなり、彼女に会い、彼女のこの一生を決して残念なものにはできない」と思いました。ですので私は小某に対して、特に気を遣って真相を伝えました。小某はゆっくりと大法を信じ始めました。ある日、小某は私に「おばさん、おばさんは『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と念じれば福報があると言いましたね。私のような死刑判決を受けた者でも、役に立つのですか?」と聞きました。以前、明慧ネットで報道された数人の死刑囚が刑場で「法輪大法は素晴らしい」と高らかに叫んだ壮観な情景は、その場にいたすべての人を震撼させたと小某に伝えました。さらに「彼らは一生を終えましたが、どんなに幸運だったでしょうか!」と言いました。私はさらに小某に「この九つの文字(訳注:法輪大法好、真善忍好、法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい)を誠心誠意念じさえすれば、何らかの奇跡が起こる可能性があります」と伝えました。そこで小某は心の中でこの九つの文字を念じ始めました。

 ある日、散歩の時間に外に出ると、小某が突然「おばさん、私は大声で念じたいのですが」と私に聞いてきました。私は小某を励ましながら「それなら大声で念じましょう、あなたはすでに死刑囚になったのだから、何を恐れますか?」と言いました。すると小某は大声で「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と叫びました。さらに「おばさん、煉功しましょうよ」と言い出しました。小某の声はこの暗黒の留置場に響きわたり、留置場の警官らをも騒がせました。主管が腹立たしげにやって来て、全監房の人を懲罰したがり、全員を罰として立たせました。私は心の中で「師父、小某は誠実な人で、このように他人に迷惑をかけたことで、うらまれるようなことがあってはなりません」と師父にお願いしました。結局その日は私たちは30分罰として立たされただけで、自由に活動できました。留置場の規則によれば、丸一日立たせることも可能なのです。

 ある日、警官がやって来て小某を審問し「二審の結果がおりた」と言いました。小某はそれを聞くと、すぐに顔面蒼白になり、全身が震え出しました。すると、その警官は「そんなに驚く必要はない、いい知らせだ!」と言いました。そして小某を連れて行きました。戻ってくると小某は私たちに「二審は証拠不足で一審に差し戻すそうです」と言いました。最終的な知らせではありませんでしたが、小某にとってみれば、また生きる希望が生まれました。

 ある若い受刑者は「玲」と言い、私がどんなに大法を伝えても玲は信じず、その後、玲は別の監房に移されて行きました。私は不当に判決を下された後「結審者監房」に移され、ここでまた玲に会うとは思いもよらず、この時、玲もすでに判決を下され、ちょうど人数がそろうのを待って、省の刑務所に送られるところでした。さらに私に残された刑期は長くはなかったので、私は省の刑務所に送られませんでした。再び私に会い、玲は驚きながらも喜び、「おばさん、またあなたに会えるなんて本当に思いもよりませんでした」と言いました。私は感慨深げに「玲、なぜ私たちがまた会えたのか、あなたは知っていますか? 私たちの師父はあなたに対して冷たい心ではいられないのです!」と言いました。私は師父が作詞された歌『海は私の胸襟』「海は私の胸襟 青天の下はすべて私の舞台 師が人を救うことを手伝うのは私の誓約 真相を伝えることは神の按排 大地の民家から豪邸まで、甘露が遍く撒かれ 千万年待ち望んだものは無駄ではなく 創世主はすでに来てくれた 魔難の中、大法徒は全力で世人を救っているが 狂乱者の足元は危険な崖 私たちは冤罪を晴らせないけれども 紅潮が際立たせたのは千古の英才 私たちの神に向かって歩んでいるから」を玲のために唱えました。

 聞き終わると、玲は感動し、「おばさん、おばさんを信じるわ、私を脱退させてください」と言いました。

 まわりの壁に告示が貼り出されますが、いつも読み書きできない者がいます。あるお年寄りの譚さんは信じないばかりでなく、さらに私を皮肉って「あなたたちの師父がそんなに偉大だとあなたが言うのなら、どうしてあなたはまだここに拘禁されているのか?」と言いました。私は辛抱強く「学校の授業を考えてください、同じ先生が教えて、ある人は良く勉強でき、100点を取り、大学へ行き、博士の学位を取り、しかしある者は不合格で、卒業できず、あなたは先生のレベルが低いと言えますか? 『師は入口まで導くが、修行は各自にあり』 [2] です。しっかり修煉できるかどうかは私たち自身のことで、私は自分の修煉の中で問題があったので、迫害に遭っています。もし師父のご加護がなければ、現在どうなっているかは全くわかりません」と譚さんに説明しました。その後、譚さんの大法に対する見方が少し変わりましたが、最終的にはやはり「三退」せず、これは譚さんのためにとても残念でした。

 監房にはいつも監房の頭目がおり、ここでは「管理員」と呼ばれています。私がいる監房の管理員は30歳前後で、私によくしてくれ、いつも他の人に「みんな○○さんを見るように、彼女は私たちのお手本だ」と伝えました。ある日の朝食のとき、私はいつもどおり卵を取って殻を割りに行くと、管理員はひと握りを奪い取り、いい卵を私にくれ「おばさん、今日はあなたがいい卵を食べてください」と言いました。私がいつも大法弟子が創作した歌を管理員たちに歌うので、2017年の元旦、管理員は「おばさんは歌がうまいから、私たちに歌を歌ってよ!」と言いました。私は「新天地は新しい万象 青々とした山と川はにこやかで 真・善・忍を心に刻み 幸福と平安は常に心の優しい人の下にある」と『福』という歌を歌いました。皆は大法の幸福と平安の中にふけり、環境が劣悪な留置場の中に自分が拘禁されていることをしばらくの間忘れました。

 留置場内の監房では紙とペンは許されないので、「三退名簿」は記憶に頼って保持しなければならず、時間が経って忘れてしまうのを防ぐために、いつも心の中ですべての名簿の名前を念じました。同修たちが私のために弁護士を頼み、弁護士が来るのを待って、外にいる同修に伝えてもらうよう頼み、全部で何人三退させたのかを自分でも覚えておらず、私がこの1年、留置場の中で全部で40人以上三退させたと同修が私に丁寧に教えてくれました。この1年で私は外ではさらに多くの人を救うことが出来たはずですが、留置場内の衆生が救われる機会はさらに少なく、大法の福音を留置場内の人にもたらすことができ、私は心の中で嬉しくなりました。私にとっては、どこであっても私が人を救う場所であり、どこに行こうと、大法のすばらしさの種をそこにいる衆生に蒔かなければなりません。

 内に向けて探し頑として迫害に抵抗する

 私は1999年に大法の修煉に入りました。修煉を始めて間もなく迫害が始まりました。迫害以来、私はかつて何度も嫌がらせを受けて連行され、労働教養や不当な判決を宣告されました。累計すると私が刑務所にいた日数は6年以上です。2011年以来、私は大量に学法し、この数年大きな迫害はありませんでした。しかし、今回の迫害では内に向けて探し、やはり何らかの様々な執着が重すぎるために起きたことだ、と私は見て取れました。たとえば、強すぎる顕示心と歓喜心、それによって自分の強烈な仕事に対する執着を動かし、自分の理知のなさを引き起こしました。直接的な現れとしては不当に連行された当日、私の状態は極めて悪く、本来であれば家で発正念して空間場をきれいに整理すべきなのですが、ある同修と一緒に真相を伝えに行く約束をし、それで私はメンツを重んじ、自慢する心が私をコントロールして、他の空間の邪悪がすでにすきがあればつけ入ろうと機会をうかがっていたことに気づかず、結果、同修がまだ約束の場所に着く前に、私は警官らに不当に連行されました。

 以前、何回か不当に拘禁された中で、私自身はいつもうまく行なわず、早期に強い圧力の下でさらに本心とは裏腹に「転向」したことがあり、後の数回は「転向」しませんでしたが、徹底的に迫害に抵抗することもせず、いつも異なる程度で妥協していました。今回は留置場に拘禁されてすぐに「今回は正念を必ず強くしなければならず、再び何らかの妥協をすることは決して出来ない」と決心しました。

 迫害に抵抗するにあたって、まず留置場の規則を暗記することに抵抗することから始めました。私は留置場に不当に拘禁された時から留置場の規則を暗記せず、体操もしていません。私がいる監房を主管する警官がこのことを聞き、監房にやって来て私に「どうのこうの言っても何にもできないぞ、どちらにしても覚えなければならず、お前がわざとそういうことをするのはオレを困らせたいからだろう!」と言いました。私は「何の罪も犯しておらず、私は真・善・忍に基づいてよい人になろうとしているだけで、本来ここにいるべきではなく、あなたを困らせようなどとは思っていません」と言いました。警官はやはりカンカンに怒って「お前がこのように行なうので、おに2カ月間の当番を罰として与える」と言いました。当番とは監房内のすべての清掃で、普段は皆が順番で当番をします。警官が怒っている真っ最中であるのを見て、再び警官と議論せず、心の中で「むしろ清掃の仕事をして、留置場の規則は暗記せず、くだらないことだ」と思いました。

 翌日、その呂という警官は監房の人に別々に会って、私の状況を理解し、最後にまた私に会いに来て、「罰としてあなたに与えた当番は進んで行ないますか?」と言われ、私は「やりません」と言いました。思いもよらかったことに呂警官は突然笑い出し、手を私の方に上げて、私の服のえりを正し、私も笑い、呂警官は「○○さん、あなたも笑うのですね、あなたは笑顔の方が素敵ですよ!」と言いました。私は「私だってもちろん笑うことはあります。私たちは修煉者で、修煉者は誰からも好かれるべきで敵はなく、私はあなたに迷惑をかけず、私たちは無実であり、私はただこのような理不尽な迫害に抵抗しているだけです」と言いました。呂警官は「わかりました。規則を暗記しないのなら暗記しなくてもいいでしょう。あなたの当番の罰も取り下げます」と言いました。

 留置場には規定があり、毎月、すべての監房で2人がくじ引きで留置場の規則に関するテストを受けることになっており、ある時私がくじ引きで当たり、呂警官は私が規則を暗記しないことを知っており、すべての監房が巻き添えに罰せられることを心配し、試験官を担当する警官に「すみませんが、私たちの監房の○○は法輪功を修煉しており、彼女は留置場の規則を暗記せず、それでも彼女に試験を受けさせる必要がありますか?」と呼びかけました。その警官は「彼女の番号は何番ですか?」と言いました。「後ろから数えて5番目です」。「それなら後ろから数えて4番目の人に試験を受けてもらいましょう」。その後、留置場の規則は私とは全く関係がなくなりました。

 今回迫害された全過程で私はすべてのサインを拒絶し、拇印を押すことを拒絶し、事情聴取はすべて「ゼロ」であり、徹底して協力しませんでした。

 家に帰る日になり、私は「前回不当に拘禁され、釈放書にサインし、拇印を押し、今回は再び協力することはできない」と自分に言い聞かせました。9月6日、私は服を着替えて出て行き、はたしてテーブルの上には釈放書が並べてあり、私は「どんなものにも署名しません」とはっきりと立場を表明しました。担当者は「釈放書には必ず署名しなければならず、もし署名しないのなら、囚人服を着て戻ってください」と言いました。私は「あなたにはそんなことは決められず、私は今日家に帰ることに決まっている」と思いました。私は署名せず、また声も出さず、黙ってそこで正念を発しました。しばらくすると、その場を取り仕切っているらしい警官が入って来て、その当直の担当の警官は取り仕切っている警官に「○○は釈放書に署名せず、どうすればいいですか?」と聞きました。その場を取り仕切っている警官は「署名しないなら署名しないで、彼女を行かせなさい。あなたは『署名拒否』と書けばそれでいいです」と言いました。このようにして、私は正々堂々と365日で不当に拘禁された留置場を後にしました。

 留置場での大部分の時間は、私を冷静にすることができ、可能な限り多く法を暗記し、正念を発しました。2018年の夏、私たちのところは特別暑く、連続2カ月間34度以上の高温が続き、さらに監房内の温度は40度以上になることが日常でした。留置場の廊下には天井に取り付けた扇風機と冷房が設置されていましたが、監房内には何もありませんでした。私が拘禁されていた監房は13人分のベッドがありますが、宿直の歩哨(※1)を除いて、17人が13人分のベッドに寝なければならず、毎晩、すぐに体の下に汗がたまり、一晩中汗につかることになります。さらに室内は40度の高温で、監房の中は空気が非常に汚れており、警官は皆マスクをしています。このような悪劣な環境で、人の心は自然とイライラしてくるので、留置場での日々は、騒ぎが特にひどかったのです。当時、私の心も落ち着かず、法の暗記も堅持できませんでした。

 ある日私は頭の中で突然『洪吟』「日月潭に遊ぶ」「一潭明湖の水 煙霞幾すじか輝きて映る 身は乱世の中に在りて 独自の美は得難し」を思い出しました。その瞬間体にスースーと涼風が吹き抜ける感覚があり、心の中で清流が流れていったかのようでした。師父が私を励ましてくださっているのだとわかり、すべてのイライラがなくなりました。

 20年近い修煉の道で私は順調には行かず、少なからず師父に苦労をおかけしました。私の悟性がどんなに低くても、師父は私を放棄なさることはありませんでした。困惑していた時、師父は励ましてくださり、体が耐えられない時、師父はさえぎってくださいました。20年近く、どれだけの魔難を経験しようとも、師父を思い浮かべれば、私の心は限りない力に満たされ、師父のご恩は言葉では言い表すことができません。

 弟子は師父に感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟四』「海は私の胸襟」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 ※1 歩哨:ほしょう(ある場所に武装して立ち、敵または軍用品などを見張る兵)

 (明慧ネット第15回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/9/376570.html)
 
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