台湾法会|最後の1枚のチケットが、大法修煉の道に導く
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2019年12月8日】

 尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 私は2000年に一度、9日間の学法クラスに参加したことがあり、何回か煉功で煉功しましたが、その後修煉することはありませんでした。正式に大法の修煉を始めたのは、2013年に神韻公演を鑑賞した後でした。神韻公演前日の夜、コンビニにチケットを買いに行き、店員が発券の手続きを行った後、「これが最後の一枚です」と私に言いました。あとでチケット販売担当の同修から聞かされましたが、もともとチケットはすべて完売していて、あのチケットは公演の前日に偶然に空きが出たものでした。師父に感謝します! 神韻公演当日、偶然にも以前9日間の学法クラスを紹介してくれた同修に会い、その後同修の手配でもう一度9日間の学法クラスに参加しました。

 私はタクシーの運転手です。大法を修煉する前、毎日運転と睡眠の繰り返しでした、生活の目標がなく、たばこも吸うし、お酒も飲みました。ほぼ毎日、昼の休み時間と夜仕事が終わった後の時間は酒に溺れていました。長期に不規則な生活を送っていたせいで、高血圧と不整脈などの持病がありました。時々心臓の音が自分でも聞こえるのです。修煉して以降、これらの症状は全部消えました。

 修煉をするにつれ、三つのことの重要性も理解するようになりました。ある日、真相を伝えるとはどういうことなのか知りたくて、観光地の真相拠点に行きました。その日は雨でした。雨がそこそこ強かったのですが、同修が熱心に「観光地での真相活動は主に看板を持って、法輪功の真相を伝え、脱党を勧めることで、あとは煉功して法を広げることです」と説明してくれました。煉功しませんかと聞かれましたが、雨が強かったため断わり、その場を離れました。その時思ったのは、こんな強い雨の中では、レインコートを着ていても、中の服はきっとすぐ濡れてしまうでしょう。その時は完全に常人の考えでしたが、あとで同修たちが衆生を救うため、雨にも負けず、風にも負けず、何年も頑張ってきたことを徐々に理解することができました。

 その後、私も観光地の真相伝えの活動に参加するようになりました。最初は功法を煉ったり、看板を持ったりするだけでした。1年が経ち、このままではいけないと思いました! 私も真相を伝え、三退を勧めたいと思いました。この一念があったおかげで、相手にちょっと話したら、意外にすんなり三退に同意してくれ、師父が私を励ましてくださったと悟りました。そのあと真相を伝えれば伝えるほどスムーズになり、真相を伝えるのも、三退を勧めるのもそんなに難しくないと分かりました。

 修煉後しばらくして、神韻の宣伝活動にも参加しました。タクシーの乗客に対し、一番基本的な神韻の四つの特徴から紹介しました。話すのが怖い状態から、話せるようになり、また上手に伝えらるようになるにつれ、神韻の精髄を徐々に認識することができました。神韻の宣伝活動に参加できたこと、そして、衆生を救うチームに参加できたことを光栄に感じています。

 それと同時に、神韻ポスター貼りのプロジェクトにも参加しましたが、たった1日で卒業しました。なぜなら、2日目に参加しようとしたら、同修に断わられたからです。内に向けて自分の原因を探してみると、自分の意見が多く、また新しい修煉者のため、至らないところが多かったのが原因かもしれません。今振り返ってみれば、その時はすでに試練を受けていたのかもしれません。翌年に神韻がまた台湾にやってきました。神韻宣伝担当の同修から私にポスター貼りのプロジェクトを担当するように依頼がありましたので、私は喜んで引き受けました。

 基隆市では公演がないため、1カ月たっても、ポスター貼りがなかなか進まず、どうしたらいいのか?と悩んでいる時、人に頼るより、自分でやるべきだと思いました。それで1人でポスターをもって、知り合いの店舗、各区の掲示板、知っているところから知らないところまで、雑貨店やショッピングモールに、1枚1枚貼っていき、気づいたら50枚以上貼ることができました。もちろん、途中で拒否や、冷たい視線を経験したこともありましたが、断わられた経験が増えるにつれ、心性を高めることができ、執着心を取り除くこともできました。

 また1年が過ぎ、神韻芸術団が基隆にやってきました、担当の同修から「今回はあっちこっちに花が咲くようにポスターを貼りたい」という意見があったため、ポスターチームは2人一組になって、1人は神韻の紹介、もう1人はポスターを貼ることにしました。みんなが協力して頑張った結果、500枚以上のポスターを貼ることができました。ある同修はリーダーの素質があるため、彼女にポスターチームの責任者になってもらい、私は引き続きポスターチームに残ることにしました、プロジェクトがうまく進めば、誰が責任者になっても同じだと思います。

 神韻が基隆市に来ることもあって、市内の同修が積極的に動くようになりました。私も神韻のプレゼンに4回参加することができました。同修の手配のおかげで、このような経験ができ、もっと成熟した神韻の紹介ができました。一度、女性の乗客に神韻を紹介した際に、一つの特徴を説明したら、彼女はまた次を聞きたいと言いました。こうしてすべての紹介が終わり、車を降りる際に、彼女は「まだ降りたくない」と私に言いました。

 一度、ある女性の乗客は財布を会社に忘れたため、車から降りるときタクシー代を支払うことができませんでした。次回会った時にまた払えばいいと彼女に言ったら、彼女は私の車ではいつもオーケストラが流れているので、私のことを知っていたと話しました。彼女はよくタクシーに乗りますが、オーケストラを聞くタクシー運転手は初めて見たので、印象に残っていたそうです。実は前にも乗客から同じことを言われたことがあります。車で神韻オーケストラを流すのは、衆生の心を浄化するためでした。

 今年からコンビニに大紀元新聞を配送するプロジェクトに参加しました。毎朝3時起きで、体内時計を直すのに大変でした。夜はなかなか寝付けず、あまりにも寝られないので、いっそのこと煉功すればいいと思いました。師父は「皆さんは考えたことがあるのでしょうか? 修煉は最も良い休みです。あなたが睡眠で得られない休息を得ることができます。煉功して疲れて、今日何もできないと言っている人はいません」[1] と言われました。知らぬ間に坐禅を2時間キープできるようになり、睡眠時間が短くなりましたが、精神状態はよくなりました。

 新聞を配達する過程で、夜勤の店員の様々な仕事ぶりを見ることができました、コツコツ働く人、スマホをいじる人、毎日寝ている人、このような光景を私が見たのも偶然ではないと思い、修煉の過程もこのように、常に精進し、手を抜いてはいけないと自分に注意しました。

 店員と接触する中、何人か法輪功を認めてくれる人もいました。ある店員はいつも親切に挨拶してくれました。私の顔はいつも元気に満ち溢れ、ニコニコしているから、毎回私に会うとうれしくなると彼は言いました。彼に大法のホームページを紹介しました。しばらくして、彼はネットである人の、「法輪功修煉者は善良である」という書き込みを見つけました。彼は、私のことも書き込み通りに善良、慈悲だと言ってくれました。もちろん、態度が悪い人もいました。ある女性店員は、挨拶しても無視していました。たまに返事しても態度が悪いので、毎回この店に行くとプレッシャーを感じました。

 後で考えてみれば、前世で彼女に対して何か悪いことをしたのかもしれません、成り行きに任せることにして、これまで通り、笑顔で彼女に挨拶することにしました。ある日、彼女の態度が柔らくなり、話し方も優しくなりました。この過程が修煉だと思いました。

 私は基隆文化センター広場で煉功しています。この広場は都市の中心部にあり、高速道路の始発点でもあります。毎日たくさんの車両と人が通過するため、この煉功場も自然と注目を浴びる場所になりました。3年前から私はこの煉功場の2人の責任者のうちの1人になりました。ある同修から、この煉功場で静功(坐禅)をするときに寝ている人が多いとの指摘があったので、同修に寝ている人を注意するように頼んだり、携帯電話で寝ている光景を撮影したりしました。最初は寝ていることを認めない同修が多かったのですが、同修間で交流し調整することで、寝ている状況を大幅に改善することができました。

 毎朝4時50分から静功をし、静功を終えた後に発正念するまでの間、5分間空いてしまうので、この時間を活用して法の暗記を行いたいと思いました。もう一人の同修と交流した後、この時間を使って、毎日1編ずつ『洪吟』を暗記することにしました。文字数が多い詩は2回暗記し、文字数の少ない詩は3回暗記します。はじめた頃は本を読まず暗記する人が少なかったのですが、徐々に暗記する人が増えました。時々、20人の同修のうち、暗記する人が7、8人もいました。

 これまで、『洪吟』から『洪吟四』の暗記を二通り完了し、現在『洪吟五』を暗記しています。担当者は私なので、身をもって模範を示さなければなりません。そのため、どの詩も私が一番最初に法を暗記しました。毎日法を暗記するおかげで、暗記する状況がますますよくなり、『轉法輪』の暗記もスムーズになりました。

 煉功後、もう1人の責任者と一緒に同修をリードして、各地の説法を読むことにしました。時間に余裕がある同修が残り、毎日1時間学法をしました。毎日学法しているおかげで、この場の環境もますますよくなりました。煉功に来る学習者が増えるだけではなく、近くに住んでいる住民も煉功場の場所をきれいに掃除してくれるようになりました。これこそ「佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる」です。

 私は少し白髪があり、執着心を取り除いてないため、最近髪を染めました。2日後に頭皮が破裂し、少し血が出るようになり、非常に痛いしかゆいのです。夜寝る時もティッシュで拭かなければなりません。一晩にほぼ1箱のティッシュが必要で、一睡もすることができません。それから、毎日家にいて、頭皮を拭きながら、師父の説法を聞いたり、静功をしたりしていました。法を広げることも中断しました。睡眠が一番の悩みになったのです。それでも、師父の言葉を思い出して、「七分は精神的要素によるもので、三分が病気」[2] という師父の言葉を思い出して、心が穏やかになるように注意しました。1週間後、精神が崩壊する寸前になって、師父に頼んで、ようやく4時間ほど寝ることができました、目が覚めるととても楽に感じたので、煉功場に行き、煉功後、血が止まりました。この件で、師父の言葉を思い出しました。「われわれの煉功場は他のいかなる功法の練功場よりも素晴らしく、われわれの場は、そこへ行って煉功さえすれば、病気治療よりずっと効き目があります」[ 2] 。それから、毎日煉功場で煉功し、頭皮も徐々に治りました。

 関を乗り越える過程において、私はずっと内に向けて探しました。なぜこの苦難が現れたのか? 自分は修煉に対し厳粛に向き合うことができなかったという結論になりました。まとめると以下の4点になります。

 一、今年の神韻オーケストラ台湾公演は、基隆では公演がないため、また同修との間もギスギスしていたので、ほぼ神韻の宣伝活動に参加していなかった。

 二、観光地に行って真相を伝えることは継続したが、大陸からの観光客が減少したため、真相を伝えることに手を抜くようになり、予定の時間になると、観光地にいる機会を大事にして真相を伝えるのではなく、すぐその場を離れるようになった。

 三、朝コンビニに新聞を配送することを言い訳に、1週間のうち何日も煉功場の朝煉をさぼった。

 四、いくつか常人の情を放下することができなかった。

 この教訓を活かして、『轉法輪』の中の「炊事係の小坊主」のように、苦しみを恐れず、コツコツと三つのことをやり遂げたいと思います。師父の救いの恩を無駄にしないように、今後の一歩一歩をしっかり歩みたいと思います。

 個人的に悟ったものであり、至らないところがあれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願い致します。師父に感謝申し上げます! 同修の皆さん、ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪師父の経文:『北米第一回法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (2019台湾法会の発表文章)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/12/1/396251.html)
 
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