明慧法会|無私で協力する力
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2019年4月6日】私達のグループにとても勤勉な同修がいます。ここ幾年来、その同修は毎日トップ記事の文章を翻訳し、今まで1篇も間違えたことはありませんでした。しかし、その同修の文章には多くの小さなミスがありました。私はその同修の文章の校正と編集の責任を持ち、翻訳したすべての文章を隔週でインターネット上で投稿していました。当初、その同修の文章を校正した時、すべての言葉を少しずつ正さなければならず、あまり嬉しくはありませんでした。他の同修の翻訳と比べて、その同修の文章を校正し編集するのに、いつも、さらに多くの時間が必要でした。

 その同修が翻訳技術を向上させるのをどのように助けようかと思いました。その同修の文章を書き直した時、編集追跡機能(訳注:差分君のように編集前と編集後の違いを比べられる機能)を使いました。文章を書きなおした後、書き直した原稿をその同修に送り、文章を対照させることによって、その同修が翻訳レベルを向上させることが出来ることを希望しました。しかし、その同修はいつも1回また1回と同じような過ちを繰り返していました。そのため、私は機嫌が悪くなりました。その同修に対してマイナスの見方をし始め、その同修が頑固で不注意であると思いました。

 しかし一方、私はまたその同修への不満が現れてきてしまうのを恐れていました。なぜなら、その同修は翻訳チームの中で、最も能力のある1人だったからです。ですから私はその同修に対して、不平不満を感じているけれども、それを表現できないという情況に置かれていました。

 やはり「自分の修煉状態に問題が起きている」と感じました。そこで私は内に向けて探し始めました。私の不満は、自分の私心のために多くの仕事をしたくないことからきている、とわかりました。その同修に対して不満をあらわにしたならば、その同修が文章をあまり翻訳しなくなるのではないか、と私は心配しました。もし文章が少なくなったら、私自身が翻訳をして多く仕事をしなければならなくなります。結局、私心によるものでした。

 ですから「その同修が翻訳レベルを向上させるのを手伝おうとした心は、不正なものであった」ことに気づきました。法を実証する仕事の効率を向上させたいという願いの中で、自分の「私心」と「恐れる心」が入り混じっていました。

 自分には辛抱強さがないことに気づきました。その同修に対する私の協力の効果が、直ちに出ることを私は希望しました。しかし、大きな改善が見られなかった時、私は不快感を表しました。私は「做して求めざれば」[1] を行っていませんでした。

 その同修に対する自分のよくない考えを取り除きました。私は違った角度からこの問題を見てみようとしました。それは、その同修のどこが良くないのかだけを考えるのではありません。その同修がよく行った面を大切にすべきです。その同修はトップ記事の文章を翻訳して日数を重ね、私たちのウェブサイトでは長時間の間、ずっと重要な文章は1篇もミスをしたことはなく、さらにその同修の助けがあって、文章数量も増えています。その同修は自分の行動を以って、私と翻訳チームの他の同修にさらに精進するように促していました。

 私はしっかりとした協力する力を認識しました。私たち一人人には欠点がありますが、長所もあります。もし私たちが相手の欠点をネガティブに見ずに、相手の欠点を埋め合わせようとすれば、私たちは自身が単独で行うよりも、もっと多くを行うことができます。

 たとえば、この同修は毎日文章を翻訳できますが、もし誰も毎日その同修の文章を校正し、編集しなければ、発表する文章の品質は崩れるでしょう。他の同修も文章の質に注意しますが、毎日大真面目に翻訳はしなくなるでしょう。もし最初の同修が精を出して働かなければ、このウェブサイト上の文章の翻訳もずっと少なくなり、重要な文章も時を移さず発表することは出来なくなるでしょう。しかし私たちは共に協力し、質の高い多くの文章を時を移さず、発表することができます。これはしっかりとした協力の力です。

 自分の考えを浄化した後、今回のことと他の同修と一緒に行うことについて、だんだんと重視し始め、さらにその同修に対してのよくない考えはなくなりました。

 私は多くの観念を持たずに、その同修の文章を校正し編集しました。自分が行うべきことに努め、すでに完成した文章を大切にしました。なぜなら、それが私たちが協力した成果だったからです。1回また1回と誤りを見つけた時、その同修にメールを書き、その誤りに注意してもらうように礼儀正しくお願いしました。ある時、私が気づいたことは、いくつかの単語やフレーズには違った理解があるということです。

 しばらく経ってから、その同修の翻訳はとても改善されたので、私は今その同修の文章を正すために、あまり多くの時間はいらなくなりました。

 今回の経験で、他の環境にいる他の同修に対するネガティブな考えを改めました。

 ありがとうございます、師父、ありがとうございます。同修の皆さん、ありがとうございます

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「道の中」

 (2018年明慧法会の発表文章より一部の内容を要約したもの)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/7/9/370785.html)
 
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