【明慧法会】自分をしっかり修め 明慧のプロジェクトの中で協力することを学ぶ
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2018年7月24日】

 尊敬する師父、こんにちは。

 同修の皆さん、こんにちは。

 私はある国の新しい修煉者で、5年前に修煉を始めました。ほとんど一から修煉をはじめ、スペイン語の明慧ネットで文章を翻訳しました。私にとって、それは修煉して向上するために、最もよい按排となりました。明慧ネットでは、修煉の一歩一歩で作用が起こり、加えて学法により心性が向上し、内に向けて探し、迫害の事実を理解し、異なる大法のプロジェクトで真相を伝えるなどの方面とも結び合わせ、よい基礎を打ち立てました。

 このように一つの神聖なプロジェクトの中で仕事をし、私の感激は言葉に表すことが出来ませんでした。さらに、私は長い道のりにおいて心性を向上させ、修煉の中で成熟しなければなりませんが、ここでは、この数年来、スペイン語明慧ネットに参加した体験を交流し、同修と協力することを学び、大法と同化してきた経験を交流したいと思います。

 プロジェクトに参加し始める

 2013年の仕事量はとても多かったのですが、最初に私は文章を翻訳しました。私は英語教師だったので、自分の知識を大法を実証することに使えてとても喜びました。

 最初、私は1週間に1編の文章を翻訳しました。その後、私は毎日翻訳するようになりました。なぜなら、多くの文章の中でわけのわからないスペイン語があったりすると、同修はその文章から恩恵を受けることが出来ない、ということに気がついたからです。

 個人的には、文章を翻訳するということは、中国同修の空間範囲内に入って行く、ということであり、自分が読んだ同修の体験は私の心に痕跡を残しました。また、迫害文章や修煉体験文章を翻訳する中で、中国同修の清浄な心に感動しました。そして、同修の心が慈悲と真・善・忍に満たされていることを感じました。

 師父は『明慧ネット十周年法会での説法』の中で「果たした役割から言えば、力強く邪悪の迫害を暴露し、特にここ数年、迫害が始まってから大法弟子の修煉状態の実情を適時に報道し、同時に学習者と学習者との間の連携の役割を果たしました。中国大陸にせよ、大陸以外の地区にせよ、どの地区にいても学習者は明慧ネットを通じて交流を行なうことができ」[1]と説かれました。

 その頃、法を正す時期における修煉者の法を実証する責任について、私は理解していませんでしたが、自分の才能が法から来ていることがわかり、このプロジェクトにおいて最もよい貢献をしたいと思いました。ですから、それはとても喜ばしい時間であったので、私はまるでスポンジが水をすばやく吸収するように絶えず学習し、学法しました。なぜなら、私はすでに宇宙大法を修煉していたので、多くの物はいらず、欲しいとも思わなかったからです。

 向上し 執着を取り除く

 しばらくして、私たちのホームページが英語版の明慧ネットと同じになることを知りました。私たちにとってそれは大きな変化であり、挑戦でした。それは、私たちの毎日の仕事がさらにつらくなるであろうことを意味していました。そして私は「いつ更新するのか、どのように更新するのか、現有のマンパワーでどのようにこれを行うのか?」と焦りました。

 この変化はとても重要でした。なぜなら、スペイン、ラテンアメリカ、そして、アメリカのスペインコミュニティーでは、みなスペイン語を話していたからです。実際、全世界で5.7億人の母国語がスペイン語で、その人数はわずかに中国語に劣るだけです。スペイン語のホームページを改善することは、常人に対して真相を伝え救い済度すること、および、修煉者間で交流し、切磋琢磨し、一緒に学んで修煉することに大きなメリットがありました。

 師父は「多言語の明慧は各民族にとって本当に重要なのです。各政府と人権組織、反迫害の団体も閲覧しています」[1]と説かれました。

 多くの方面において、私たちは向上し学習しなければなりませんでした。そして、自分に対してさらに厳格に要求しなければなりませんでした。私たちは自分の修煉に対してメリットがあるから明慧に参加しただけではなく、まじめに、そして穏やかに大法とこのプロジェクトに報いなければなりませんでした。そして同時に、私たちはうまく力を合わせ、仕事の流れを促進し、交流しなければなりませんでした。そして、私たちは多くの同修を参加させ、一つの全体を作り、大法の威力を表さなければなりませんでした。

 当時、これは私たちの協調人にとっても大きな挑戦であり、大きなプレッシャーがかかるようになり、協調人はプロジェクトを外れたいと思うようになりました。この新しい挑戦に話が及んだ時、私が協調人の協調を助けるよう協調人が提案しているのだと感じました。こうして、この変化を実施することが出来る一方、プロジェクト全体を促進することが出来ました。

 これは私にとっても大きな変化でした。私はもともとただ翻訳していただけだったのに、今は突然、プロジェクト全体の協調を手助けしなければならなくなったからです。時間の推移に伴って、以前行ったことがないことを誰かが私たちに行わせようとし、その知識と技能が欠乏している時、それこそ修煉と執着を取り除くよい機会なのだ、ということを私は理解しました。

 この役割は大きな責任を伴っていました。私はいつもミスを犯すことを恐れ、知恵がないためにミスを犯すことを恐れていました。1人の新しい修煉者について、他の人がどのように思うのかがわからないために、他の人が私を責めるかもしれないと恐れ、特に、私はまだその次元に到達していないのではないか、ということを恐れました。これは名利に対する執着であり、面子がつぶれ、ミスを犯すことを恐れており、これらは私が取り除かなければならないものです。さらに深い次元から見れば、私は大法を信じており、私が何かを成し遂げたとしても、私が行ったすべては実際には師父と大法の手助けの元、成し遂げたものであるからです。

 一部の同修は長い時間プロジェクトの中におり、最初はこの変化を歓迎しませんでした。しかし、他の同修は、私たちがさらに責任を負い、自分に対してさらに厳格に要求することに同意しました。

 私が何かを提案すると、協調人はいつも、見たところ比較的マイナスな作用を取り除き、私もそのマイナスな作用によって話したくなくなったり、観点を分かち合おうと思えないことがあったからです。一部の同修は、私が正しく行わなかったからといって、私に対して怒っていると感じました。しかし、私たちは性格は異なりますが、やはり協力しなければなりませんでした。時には、物事が解決した後、あるいは、全面的に計画が整った後に、その同修に伝えることがあります。なぜなら、その同修が私の考え方に同意しないことを恐れたからです。その同修と話をする時は、いつもその同修は私に対して厳しい、と私は感じ、この恐れる心は私の性格の比較的軟弱な部分に反映しました。

 その同修はさらに多くの同修を参加させたくないと思っており、作業工程を調整したり、改善したくないと思っている、と私は感じました。そして、その同修は恨んでおり、向上したいと思ってはいるが、改変はしたくないと思っている、と私は感じました。

 私たちは何度も言い争いをし、交流した後、私に恨む心と不公平に思う心が生まれましたが、見たところ、物事はうまくいっているかのように見えました。しかし、私は内に向けて探すべきであり、執着と人心を取り除くべきであり、そうしてはじめて心性を向上させることができ、このプロジェクトをしっかり行うことができるのだ、ということが私はわかりました。

 内に向けて探した時、私の考え方と提案は善の心から出たものではなく、恨みと批評と闘争に満ちていたことを見て取りました。その同修が出会った困難を私は体験しておらず、その同修の心の容量が小さいことを恨みました。しかし実際には、私の心の容量が小さく、自分勝手であったと気づきました。

 このトラブルに直面し、私の認識は初めの頃の人としての観念から、自分を修煉者としたものに変わり、法に則って問題を見るようになりました。しかし、毎回の試練を乗り越えることが出来たわけではなく、私は自分の認識にも限りがあることがわかっていました。

 師父は「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」[2]、「あなたが心性を修煉せず、道徳水準を高めようとしないで、悪い思想や悪い物質を捨て去らなければ、宇宙の特性はあなたを昇華させてはくれません」[2]と説かれました。

 この過程には時間を要しましたが、改変したくない心、および自分の無知さ、批判する心、自我への執着、および闘争心が自分にあることを私は見ました。その時から、トラブルや論争、または何かあった時、私はまず内に向けて探し、法に則ってこれらの執着を取り除きました。また、私はこれらの心を取り除きたいと思いました。なぜなら、これらは嫉妬から来たものであり、修煉者が持つべきものではなかったからです。

 自分の不足を見つけ、これらのよくない念と執着を取り除いた時、私が大法に同化できるように師父が手伝ってくださっているのを感じ、物事も圓容してきました。プロジェクト内の他の同修や責任者、他の言語の責任者も学法するよう常に私に気づかせ、修煉のために責任を負い、師父の法に則って無条件に内に向けて探すよう私に気づかせました。

 多くの時間は虚像であり、また、それは一つの機会でもありました。もし私が執着を固守し、自分の考えと観念に固守し、内に向けて探さなかったならば、物事は異なる結果をもたらしたでしょう。私が内に向けて探し、これらの執着を取り除いた時、私たちはうまく協力することが出来るようになりました。協調人もその変化に相応し、私の考えを受け入れ、私と協力してスペイン語版の明慧ネットを改善し始めました。さらに、協調人は私をどれだけ信頼しているかを話してくれ、私が何かを行うのを励ましたり、プロジェクトで何かを行うことを推し進め始めました。

 師父は「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」[3]と説かれました。

 数年後、学法していた時、私は新しい認識を持ち、他の次元の執着と観念を取り除き始めました。協調人がほとんど最初からずっと、このプロジェクトの中で行ってきたことに私は気づきました。その頃、翻訳に参加していた同修のレベルには限りがありました。大部分が翻訳ソフトを使用するか、ただできるだけのことをするだけでしたが、それでも、他の同修は迫害を暴露する報道や修煉交流の文章を読むことができ、それによって法を正す進展に追いつき、中国の同修との交流から恩恵を受けることが出来たのです。しかしそれでも、参加した大部分の同修がプロジェクトを離れ、別のプロジェクトに従事し始めたのですが、私たちの協調人は去らず、さらにこの数年、尽力しました。そして、このことに気づいた時、私は深く感動しました。

 この時、私の心の奥深くにあった障碍は打ち砕かれ、プロジェクトが行うこれらのことのために、私は本当に協調人を大切にすることが出来るようになり、私たちは自分の責任を理解し合ったのです。

 私が修煉を始めた時、師父は洪大な慈悲をもって、私をこのプロジェクトに参加させてくださいました。私たち2人は異なった性格でありながら、似たような執着心を持つ修煉者にとって、これはよい按排であると私は思いました。なぜなら、これは修煉と執着を取り除くための貴重な機会であったからです。そして、私は自分の認識に対して自信を持ち始めました。ある時、私は心性が向上し、批判を受け入れることが出来るようになり、いつでも他の人を考慮し、自分の主意識を強め、自信を増すことが出来ました。このようにして、私は少しずつ成熟していきました。

 全体で協力する

 全体の過程は容易ではありませんでした。ある方面において向上した後、前に向かって歩もうとすると、新たな挑戦が出現しました。

 私たちが心を向上させ、全体を形成した時、大法の威力が現れ、以前は不可能だったことが現実になりました。

 師父は「乗り越えられそうもないと見えても、行ない難いと言われても、本当にできるかどうか試しにやってみてください。もし本当にやり遂げられれば、きっと「柳暗花明又一村」というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません」[2]と説かれました。

 私たちのプロジェクトの明慧同修は時間と空間の困難を克服し、共に学法し、交流しました。最初、私たちは毎週1回でも時間を合わせることは不可能であると感じました。なぜなら、時差があったからです。それでも私たちは試そうと考えました。その後、私たちは定期的に毎週1回学法することを達成しました。そして、おしゃべりをするという方法で互いの交流を促進し、共に向上しました。そして、翻訳水準を高め、翻訳量を増やすことに私たちは同意しました。

 このようにして、私たちのプロジェクトは発展していきました。異なる国のさらに多くの同修が参加し始め、私たちはさらに穏やかに、翻訳の数量と質を高めたのです。もともと、私たちはただ1人の同修が原稿の審査と校正の責任を負っていましたが、その後、2人の同修が私たちのプロジェクトに加わりました。そして、私たちも同修の育成に加わり、各々がさらに効率的になりました。現在(訳注:2018年7月)、私たちは毎週、学法と交流を行い、穏やかで厳粛な態度をもって作業工程に対処しました。

 2013年の時、私たちは毎週2回文章を更新し、毎回12編を更新しました。現在(訳注:2018年7月)私たちは毎日更新し、毎日10編の文章を更新します。それ以外に、私たちはさらに毎週、ニュースの概要と録音をします。そして、私たちにはさらに多くの向上したところがありますが、なにしろこれだけでもすでに大きな改変だと言えるでしょう。これが大法の威力でした。

 これは別に成績を列挙しているのではなく、私たちが修煉し協力した結果なのです。これらすべてが可能になったのは、私たちが心性を向上させることが出来たからで、私たちが全体を形成した時、大法の威徳を打ち立てることが出来たのです。

 私たちのプロジェクトの中のすべての同修が、心を込めてこのプロジェクトに対応し、各々が積極的に互いに協力したのです。私たちは互いに助け合い、捕捉しあい、私たちの学法と交流の機会を大切にしようと思いました。私たちは他人を考慮し、お互いにわかりあい、お互いに促進してさらに良く行わなければならないからです。

 師父は「大法弟子は一つの全体として、法を実証する中で協調することができれば、法力が非常に大きくなります」[4]と説かれました。

 プロジェクトの一部分として、私たち各々がさらに早く向上し、さらに着実に行わなければならないのです。師父は「プロジェクトに参加していない弟子も含めて、全ての大法弟子は必ず行なわなければなりません。できるだけ時間を作って人を救うことを行ない」[5]と説かれました。

 大法のプロジェクトを行うにおいて、協力することを学ぶことはとても重要です。なぜならそれは、欠点を取り除き、執着を放下し、自我を取り除き、法に同化するための最もよい方法だからです。もし私たちがお互いに協力すれば、私たちが行うことに成功がもたらされます。この過程の中で私は学び、たとえ私が最もよいアイデアと知識を持っていなかったとしても、自我と自分の観念を放下して無条件に協力すれば、私たちは一つの全体となることができ、大法の威力が現れてくるのです。

 この道が順調ではないかもしれないことを私は知っており、なぜなら、私たちがある方面で向上した後、新しい挑戦が現れ、私たちを引き続き向上させるからです。

 約1年6カ月前、協調人が明慧ラジオの研修を按排しました。私たちがラジオのプロジェクトを行えるかどうか、私にはわからず、なぜなら、この方面において何の専門知識もなかったからです。

 プロジェクトのメンバーの何人かが、それぞれの考え方を分かち合いました。ある同修は「同修の修煉体験を録音する必要はなく、なぜなら、最もよいのは師父の説法を聞くことだからです」と言いました。他の同修は「同修の録音には同修の執着が含まれています」と言いました。また、別の同修は態度を表しませんでした。全体的にみると、皆がとても忙しいために、どのように行ったとしても、多くの疑問が出てきたのです。そこで、私はこれを乗り越えるべき関としました。

 まず、私がその原因を知っているかどうかにかかわらず、行わなければならない要求である以上、やり遂げなければならない、ということでした。そして、私たちは同修が成し遂げることを信じなければなりません。その後、誰がどのように行えるのかを見て、方法を考えなければなりませんでした。

 私の心の中で、それは一つ一つのピースになりました。全体の図形はすでに按排され、行わなければならないことは、それぞれのピースを探し、あるべき場所に置くことでした。言い換えれば、私たちが何かを行なわなければならない時、条件はすでに備えている、ということでした。あとは、この知識と技術を持った同修を探すだけでした。

 この角度から言えば、師父が多くを手助けしてくださり、明慧ラジオのグループはすぐに成立しました。私たちが現在(訳注:2018年7月)発表している録音は、明慧法会の原稿の中から最終的にレベルの高い文章を選んでおり、各地区の同修も真正面からの反応を返してきました。

 私たちのグループの中で、明慧ラジオに対して最初に怪訝(けげん・その場の事情などがわからず、納得がいかないさま)に思っていた同修も、真正面からの反応を返し、さらに、私たちがこのような進展を見せたことを喜んでくれました。また、ある同修は、録音を聞いた後に、なぜ中国の同修の体験を録音する必要があるのかを悟った、と言いました。そして、その同修は、同修の体験を理解し、同修たちが歩んできた道を理解し、真相を伝えてきた努力は全人類の史詩となるでしょう、と言いました。同修のこの話を聞いた時、私は感動し、同修の話に賛同しました。

 師父は「マスコミとして後の人に残されると思います。後の人に残さなくても、未来の人は『明慧ネット』という名を極めて大切にし」[1]と説かれました。

 さらに よりよく行えるよう希望する

 全体的にみれば、私は自分の修煉ではしっかり行っていないことを認めなければならず、私は精進しておらず、個人修煉の上でさらに努力しなければなりませんでした。最近私は、仕事をしたい心が自分にあることに気がつきました。しかし、仕事は修煉ではなく、自分の仕事が忙しい時、自分の安逸心を隠していたことに気がつきました。また、煉功においても、自分には精進と意志力が欠乏していたことにも気がつきました。自分が精進していない時はいつも、私の主意識は弱くはっきりしなくなり、多くのマイナスの観念が現れ、さらに意気消沈し、孤独に陥っていました。そして、これが旧宇宙の按排だとわかり、それは私が必要とするものではありませんでした。そして、私はさらに努力しようと決心し、これらの按排を徹底的に否定し、なぜなら、私は師父の按排だけを認めていたからです。

 師父は「法の要求に従って身を持し、修煉の人として身を処し、これこそ大法弟子です。煉功は修煉を補っているため、両者のいずれも不可欠です」[6]と説かれました。

 私は最大の努力をもって修煉の中で向上したいと思い、成熟に達し、使命を全うしたいと思いました。明慧ネットのプロジェクトに参加することは殊勝な道であり、心性の向上に満ちており、絶えず向上し、法の一粒子としてのそれぞれの機会となりました。振り返ってみる時、いつもこの機会を授けてくださった師父に感謝し、この神聖な機会を大切にしました。なぜなら、ここには浄土があったからです。

 ありがとうございます、師父! ありがとうございます、同修の皆さん! 不足の所があれば、ご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「明慧ネット十周年法会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
 [4] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』
 [5] 李洪志師父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』
 [6] 李洪志師父の経文:『アルゼンチン法会への祝辞』

 (2018年明慧法会の発表原稿から選んで投稿し要約したもの)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/7/12/370790.html)
 
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