明慧ネットを見て 同修と共に精進する
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文/吉林省農村の大法弟子

 【明慧日本2018年7月12日】明慧ネットを開き、師父が世間を注視されている写真と法輪を見ました。師父が強大な功で我々の正念を加持してくださっています。同修の交流文章を読み、文章一枚一枚の中に、同修達は修煉した後の変化、精進して実修する状態が現れています。全世界の大法弟子は巨大なエネルギーを持ってここに集まり、この凝集力は言葉で表現できません。そして、法を正す進展を見て、少しでも力を抜いたら、残されてしまうと感じ、毎日必ず明慧ネットを見ています。こちらで師父のご救度を感謝しており、明慧ネットの同修達の無私な貢献に感謝しています!

 私は明慧ネットからダウンロードした『神伝文化』、『師恩を思い出す』、『九評共産党』、そして『共産主義の究極の目的』、『解体党文化』等をマルチメディアカードにコピーし、プレーヤーを買って来て、マルチメディアカードを差し込みました。プレーヤーを同修達に分け、真相を述べるために使い、効果は非常に良かったのです。私は1人のキリスト教信者にプレーヤーを与え、彼女に、「この中に入っているのは、全て素敵なストーリーです。聞いてみてください。理解できれば、あなたにとって非常に良い事です。もし理解できなければ、返してくれればいいです」と伝えました。彼女は耳を傾けてくれました。1カ月後、彼女は私に、「中に述べられていたことは、本当ですか?」と聞き、私は、「もちろん本当です!」と答えました。彼女は、「しかし、これは師父が語られたことではありません。私は師父ご本人が語られたことを聞きたいのです!」と言いました。

 私はとても興奮しました! すぐに師父の説法録音をマルチメディアカードにダウンロードし、彼女に渡しました。さらに嬉しかったのは、ご主人も聞きたいということでした。ある日、私はマンション奥のビルに向かって歩いたら、彼女のところのお嫁さんに会いました。お嫁さんはもうすぐ出産しますが、最初の出産で大出血したので、彼女はとても恐れていました。彼女は師父に安産を守っていただきたいと言いました。 4月9日、無事に女の子が生まれました。私がお見舞いに行ったとき、彼女は分娩室に入った途端、「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と念じたと言いました。この家族は皆大法を理解し、将来のためにとても良い基盤を築きました。

 私の姑は80歳を過ぎで、2014年から修煉を始めました。近日、姑は業力を消すため激しい咳が出て、ご飯を食べられませんでした。自分の正念が足りず、自分の修煉も足りず、もうすぐ死ぬと思いました。ちょうど明慧ネットで、「起死回生ができ、さらに修煉の深刻さを認識した」、「死後の衣装を準備し、魔難を招いた」の文章が掲載されたので、私が読んであげると、姑は真面目に聞きました。すぐに正念が上がって来て、あっという間に元気になりました。今また普通に法を学び、煉功できるようになりました!

 明慧ネットでの交流をきっかけに 同修と共に精進する

 2008年以前、私の修煉は精進できない状態でした。大法の素晴らしさがわかり、功を修煉し、法を学び、三つのことをしていましたが、なかなか向上できず、大法の内包が見えませんでした。ある日、明慧ネットで、80歳過ぎた同修が人を救う美しい冊子を作り、明慧ネットを使い、文章のダウンロードもできる記事を見ました。当時私はとても感動しました。私はまだ40代であり、私もできると思いました。その時、当地域ではまだ資料拠点がありませんでした。

 私は資料拠点を立ち上げたいと、市にいる同修達に伝えると、同修達がみんな応援してくれました。私は早速ノートパソコンを買い、同修達がプリンターや消耗品を買って来てくれました。同修達にパソコンとネット印刷の使い方を教えてもらいました。私はパソコンの知識に対して素人でしたので、同修達は大変でした。師父のご加護をいただき、私達の資料拠点が立ち上がり、しかも非常に活発に、正法時期にやるべきことをしっかりやりました。

 パソコンがあれば、明慧ネットを見るのが便利になり、いつでvも同修達の交流文章を読み、同修達はとても精進して法を悟ることができることを感じました。師父は私達に、「法を学びて法を得る 比べて学び比べて修す 事々対照し 做すところ到るは是れ修なり」[1] と説かれました。私は同修達に負けないように、法を学び、そして法を写すことに努力しました。毎日朝3時50分に起きて煉功し、正念を発し、昼間は昼寝をしませんでした。

 家は7人家族で、年寄りもいて、子供もいて、たくさんの家事がありますが、資料を作成するのに時々一日かかりました。夜に法を10時まで写しました。毎日同じで、今まで『轉法輪』を13回写しました。私は顔色がとてもよく、内心での昇華は言葉で表現できませんでしたが、執着心は隠すことができません。それが出て来たら、その時の自分は自分ではないと意識し、直ちに修正しました。以前なら執着した物事を放下するのは辛くて、心が引き裂かれるように痛かったのですが、今は全くありませんでした。真に人は何故この世に来たのか、大法を得るために来たと分かりました。大法に同化し、師父の法を正すことを助けることは、どれだけ神聖な事か、毎日愉悦しています。以前常人の物を得られたら嬉しくなり、今は師父が要求されることができたときしか、嬉しく感じません。

 明慧ネットで同修は『轉法輪』をすでに30回以上暗記できたというので、私も暗記しなければならず、師父が語られた「比べて学び比べて修す」[1] に従い、これが今私の現状ですが、師父が語られた「人の心性の各方面を全面的に向上させる」[2] ことについてはかなり隔たりがあります。大法は広大であるので、私はわずか一つのことしかできません。それは「心を用いて修煉し、多くてやっても言わない」ことです。これができれば、修めたことになるのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「着実に修める」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/6/3/368355.html)
 
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