2017年 学習者40人が迫害により死亡(一)
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 【明慧日本2018年1月10日】明慧ネット2017年に法輪功学習者が迫害により死亡した報道の統計によると、全国において17の省、直轄市の学習者40人が迫害により他界した。これらの省と市は安徽省、北京市、甘粛省、広西省、広東省、河北省、河南省、黒竜江省、湖北省、湖南省、吉林省、江蘇省、遼寧省、四川省、上海市、山東省、天津市である。

 中国共産党による情報の遮断により、法輪功学習者が残酷な迫害を受けている情報は、随時に知らされることはまずない。まだ明らかになっていないことも多々あると思われる。これらの数字は実際の数字のほんの一部であり、また明慧ネットの「迫害により死亡した学習者ネームリスト」に入っていない方々もカウントされていない。

 一、2017年法輪功学習者が迫害されて死亡した地域別統計表

图1:2017年40名法轮功学员被中共迫害致死
図1:学習者40人が迫害により死亡

 図1によると、学習者が迫害により死亡した人数の多い順から、遼寧省6人、吉林省5人、安徽省・甘粛省それぞれ4人、河南省・山東省それぞれ3人、北京、河北省、四川省、天津市それぞれ2人、広東省、広西省、黒竜江省、湖北省、湖南省、上海、江蘇省それぞれ1人である。

 二、2017年の明慧ネットによる学習者の死因別の分類統計表

图2:2017年大陆法轮功学员遭不同类型迫害致死人数分布
図2:2017年学習者が迫害別死亡人数分布表

           表1:2017年上半期の学習者死因別分類統計

 省・直轄市

刑務所で死亡

拘禁され死亡

嫌がらせで死亡

洗脳され死亡

トータル数

安徽

3

1

 

 

4

北京

1

1

 

 

2

甘肃

3

1

 

 

4

広東

 

 

 

1

1

広西

1

0

 

 

1

河北

2

0

 

 

2

河南

2

1

 

 

3

黒竜江

1

0

 

 

1

湖北

1

0

 

 

1

湖南

1

 

 

 

1

吉林

2

2

1

 

5

江蘇

1

 

 

 

1

遼寧

5

1

 

 

6

山東

2

1

 

 

3

上海

1

0

 

 

1

四川

2

0

 

 

2

天津

1

1

 

 

2

合計

29

9

1

1

40

パーセンテージ

72%

22%

3%

3%

100%

  図2と表1によると、刑務所で迫害されて死亡した人数は29人で、総人数の72%を占め、拘禁されて死亡した人数は9人で、22%を占め、嫌がらせを受けて死亡したのは1人で、3%を占め、洗脳されて死亡したは人1人で、3%を占めている。

 (一)刑務所で迫害されて死亡

 刑務所で迫害されて死亡した学習者は刑務所で死亡、判決後の執行猶予、もしくは一時出所で自宅で亡くなった人、刑務所で重体に陥ってから家に帰されてすぐ他界した人を含む。

 2017年刑務所で迫害されて死亡した総人数は29人である。その地域別の内訳は、安徽省3人、北京市1人、甘粛省3人、広西省1人、河北省2人、河南省2人、黒竜江省1人、湖北省1人、湖南省1人、吉林省1人、江蘇省1人、遼寧省5人、山東省2人、上海市1人、四川省2人、天津市1人である。

 その中の主だった事例は下記の通りである。

 事例一、安徽省の朱維英さん

 朱さん(60代)はかつて合肥市梅山ホテルの副社長である。16年間、朱さんは刑務所、労働教養所、精神病院、思想改造施設、刑務所で拘禁され、灌食を受け、トラの椅子に座らされ、電気棒で電気ショックを受け、靴の底でびんたを食らい、トイレから拾った生理用ナプキンやトイレットペーパーなどを口に押し込まれるという酷い虐待を受けた。また、1999年12月からは精神病の持病がないのに、朱さんは市第四人民病院に送られて、精神病患者として扱われ様々な手段で迫害された。

酷刑演示:老虎凳
拷問イメージ図:トラ椅子

 2011年6月、朱さんは他の学習者・鄭徳明さんと同時に身柄を拘束された。同年12月13日、朱さんは秘密裏に懲役8年の不当な判決を宣告された。

 2013年、朱さんの息子は省宿州第三女子刑務所で面会した時、母は頭が上げられず、目が見えず、歩けない状態になっていると見えた。当時の朱さんは担架で担がれてやって来た。刑務所のリーダーは「すべての状況は一時出所の条件を満たしているが、だがしかし、転向しない限りは一時出所できない」と言った。

酷刑演示:打毒针(绘画)
拷問のイメージ図:毒入り薬物を注射する

 情報筋によると、朱さんは当刑務所で毒入り薬物を注射された。2015年10月、朱さんは迫害された結果、失明し、頸椎は蹴られて怪我をしたため身体は不自由になり、身の回りの生活が自分ではできなくなった。しかし、刑務所は治療をせず、解放もしなかった。

 2016年、朱さんは家に帰されたが身体は極めて衰弱しており、目には生気がなく、よく叫んだり、意識が朦朧(もうろう)としていたという。

 昨年10月、朱さんはこの世を去った。

 事例二、甘肃省の王有江さん


王有江さん

 蘭州軍区通信部の少佐・王有江さんは1969年生まれ、張家口通信学院を卒業後、蘭州軍区通信センターに配属され、その後、軍区の27支部に転勤した。1998年の旧暦の大晦日、王さんは法輪功を学び始めた。「真・善・忍」に従い、自らを律し、周りから高い評価を受けた。

 しかし、1999年7.20以降、王さんは法輪功の無実を伝えるため、数回に渡り上京し、身柄を拘束された。

 上司に非難されたため、王さん自ら転業すると申請した。しかし、手続きがまだ終わっていない2001年1月6日、王さんは市公安局の警官に不当に連行され、プリンター数台、パソコン、機械や置いてあった資金などの私物が押収された。同年7月3日、市城関区裁判所は秘密裏に開廷し、王さんに懲役10年の判決を宣告した。

 王さんは市刑務所に拘禁された。警官はあらゆる手段を使い、王さんを転向させようとした。2004年5月、王さんの脊椎が重度に変形し、身体は萎縮し、特に下半身の血流の循環が悪く、ひどく冷え、また関節が無力な状態となった。いったん座ると立ち上がれず、立ったら何かで支えていないとすぐ倒れてしまい、ほぼ歩けなくなった。毎日ベッドに横たわり、痛みで苦しんでいた。

 同年の年末、王さんの両手が麻痺し始め、のちに箸やコップを持つ力もなくなった。脊椎が硬くこわばり、頭を回すことすらもできず、医者に強直性脊椎炎と診断された。この病気は現在の医学界においても治療できず、死なない癌と言われている。

 2011年1月9日、王さんはようやく解放された。絶えずに煉功し続けたおかげで、王さんの身体は奇跡的に回復し始めた。

 2012年6月28日、まだ完全に回復していない王さんは蘭州に住む学習者・陳潔さんの自宅を訪ねた。しかし、市城関区支局の国保(法輪功迫害の実行機関)の警官に身柄を拘束された。

 同年11月24日、城関区裁判所は弁護士や家族に知らせないまま、秘密裏に開廷した。2013年9月24日、王さんは区裁判所に懲役6年の不当な判決を宣告された。

 2014年3月17日、王さんは市刑務所に拘禁された。警官は王さんに転向させるため、殴打、食事禁止、睡眠禁止、長期にわたって立たせる(1週間の時もよくある)、刑務所の独房に閉じ込めるなどの迫害を加えた。

 その結果、王さんは心身ともに大きなダメージを受け、噛むことができず、大小便を失禁し、左半身不随になり、完全に身の回りの生活が自分でできなくなり、車イスに座り、極めて衰弱した状態であった。

 昨年6月24日午前9時過ぎ、王さんの父は電話を受け、王さんが脳出血で蘭州大学第二病院に送られて応急手当をされたと知らされた。7月1日、王さんは他界し、享年48歳の若さであった。

 事例三、遼寧省撫順市の杜景芹さん


杜景芹さん

 撫順市の学習者・杜さん(67歳女性)は県の県志オフィスに勤めていた。かつて多種の病気を患い、法輪功を学んでから健康を取り戻した。

 杜さんは法輪功を学んでいるという理由で4回も身柄を拘禁され、1年の労働教養処分、懲役4年の不当な判決を宣告されたことがある。2008年5月、杜さんは再び撫順留置場に連行され、5カ月後、懲役4年の不当な判決を言い渡された。

 杜さんは省女子刑務所に拘禁されて、十数人の警官から指示された囚人に押し倒され、靴で蹴られた。

 その期間中、囚人に殴られ、食事を禁止され、睡眠までも禁止され、髪を引っ張られて壁にぶつけられるなどの虐待を受けた。それでも杜さんは断固としてサインをせず、囚人が代わりにサインしたという。

 杜さんは囚人のサインを認めず、「真・善・忍」の信念を貫いた。その結果、冷凍倉庫に閉じ込められ、冷たいセメントの床に立たされた。

 杜さんはまた長時間にわたって立たされ、刑務所の独房に13日間拘禁され、睡眠を禁止されるなどの迫害を受けた。そのため、血圧は220mmHgになり、病院に搬送された。刑務所に戻った後、囚人の名札を付けるように強いられたが、杜さんが拒否したために4、5人の囚人に殴られ、全身アザだらけになった。

 1年半後、杜さんは突然脳血栓になり、記憶力が悪化し、話すことが非常に遅くなった。2012年5月12日、刑期完了後、ようやく解放された。

 しかし、家に帰された杜さんは身の回りの生活は自分でできず、高血圧のままだった。2014年10月13日、突然の脳出血で10日入院したが、医療保険が勝手に解除されていたため、入院費はすべて自己負担になった。長年の迫害を受け、杜さんは昨年2月24日に他界した。

 事例四、上海市の柏根テイさん


柏根テイさん

 上海市の学習者・柏さんは北京市石油部の元人事部の幹部で、東海石油の責任者でもあった。中国共産党による法輪功への迫害が始まってからの18年間、6回も身柄を拘禁され、合わせて14年間拘禁され、昨年の6月15日に他界した。

 2012年9月10日、徐匯公安局支局の関係者は街で柏さんを不当に連行した。2013年5月3日、区裁判所は柏さんに懲役6年6カ月の不当な判決を宣告した。柏さんは上訴したが、6月18日に却下された。同年6月、柏さんは市女子刑務所に移送された。

 柏さんはずっと刑務所の独房に閉じ込められた。囚人の話によると、真冬でも柏さんは夏服を着ていたという。家族が送った冬服は「上からの命令で柏さんに着させない」という理由で渡されなかった。2014年の春、家族は検察官を訪ね、ようやく柏さんを第五監区(法輪功迫害の専用エリア)から第三監区に移送したことを知った。

 2016年8月24日午後、柏さんは迫害されて重体に陥った。松江人民病院に送られ、重症病室から自宅で静養することになった。しかし、柏さんの記録力はますます衰退し、意識も朦朧としていた。さらによく親族や自宅を刑務所と勘違いし、同じ動作を繰り返した。

 ようやく記憶力が回復し、人と交流し始めたごろ、突然9月30日に再び意識不明になった。その後、記憶が喪失し、思惟が混乱し、家族すらもわからなくなり、さらに食事もしなくなった。それは刑務所で毒入りの物を食べさせられ、家族からの食べ物にも毒が入っていると勘違いしたもと思われる。いつも興奮状態に陥り、もう法輪功を学ぶことができなくなった。

 その後、11月30日と12月29日、突然意識不明になり、顔面痙攣の症状が現れたので、家族は柏さんを第六人民病院の脳内科に送った。しかし、その期間中、柏さんはよく頭痛を起し、食欲もなくなり、点滴で命を維持していた。その状態でも610弁公室の関係者らに監視されていたという。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/1/6/359334.html )
 
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