2017年 学習者40人が迫害により死亡(完)
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明慧日本2018年2月3日】    

 事例六、北京の許秀紅さん

 許さんは通州に在住。幼い頃から病弱で、家族に連れられていろんなところで診てもらい、結局は憑き物を招いてしまい、身体は好転しなかった。

 1996年11月、許さんは法輪功を学び始め、すぐに健康を取り戻した。また煉功してから数日後、天目が開き、回転している法輪が見えた。ある日、自分の身体から丸い悪いものが飛んで行くのが見えた。身体が浄化され、ますます元気になった。顔色の血色もよく、薄かった髪と眉も濃密で艶が出てきた。

 2016年1月21日、許さんは北京市通州区の警官に身柄を拘束され、区留置場で身体検査を受けた。血圧が260mmHgに上がったにもかかわらず、解放されなかった。

 話によると、許さんが留置場に入ってから3日目、トイレの掃除をさせられ、床があまりにも滑りやすいため、転んで足を怪我した。足全体が化膿し、全身に感染してしまい、顔も腫れて変形した。刑務所の医者に発見された時、「どうして報告しなかったのか、足はいらないのか」と叱られた。

 また、留置場で大小便が禁じられたため、許さんは半月も大便でず、生理の周期も乱れた。ある日の夜9時、許さんは刑務所のリーダーに「大便に行きたいのですが」と申し出たが、「だめだ、今は大便をする時間じゃない」と拒否された。約10分後、ようやくトイレに行けたが、すでにズボンに出てしまった。

 留置場から解放された後も、許さんの心身の状態は悪化し、亡くなるまでずっと不安の中で暮らした。

 昨年4月2日、許さんはこの世を去り、享年40歳であった。病院には「心血管による急死」と診断された。

 事例七、遼寧省の于宝芳さん

 昨年7月4日夜、遼寧省鞍山市の学習者・于宝芳さんは警官に自宅を侵入され、何も捜査証などがないまま、家宅捜索し、于さんおよび夫の王殿国さん、息子の王宇さん一家3人を不当に連行した。

 翌日の夜6時ごろ、于さんは市女子刑務所に拘禁された。

 7月17日午後4時半ごろ、于さんの息子は急に警官に「お母さんは病院に送られた。他に面倒を見てくれる親戚はいるか」と聞かれた。

 しばらく、于さんの息子は所長に「お母さんに会いたいか」と聞かれた。「会いたい」と答えた王さんは手枷をかけられ、所長と警官2人と一緒にパトカーに乗せられ、市の長大病院に連れられた。

 王さんが母親に会った時、于さんはICU病室のベッドの上に横たわり、顔色は灰色で、のどに呼吸用のパイプが挿入されていた。その時、ある医者は王さんに「お母さんの心臓は止まり、呼吸もなく、瞳孔は大きくなっている」と伝えた。王さんは強制に連れられ、母親の遺体と対面したが、わずか数分間でしかなかったという。

 于さんは2017年7月17日午後3時30分に死亡した。

 一方、留置場は責任がないと主張し、1、2万元くらいしか賠償できないと言った。家族はそのやり方に同意しなかった。

 事例八、山東省のケイ西美さん

 山東省沂南县の学習者・ケイ西美さんは昨年11月7日に、縁日で法輪功の文言が書かれたカレンダーを配ったという理由で、岸堤鎮派出所の警官に身柄を拘束され、臨沂留置場に拘禁された後、病院に送られ、数日後亡くなった。家族は写真を撮ることも阻止された。

 事例九、天津市の楊玉永さん


楊玉永さん

 天津武清区の楊玉永さんと妻・孟憲珍さんは、2016年12月7日に、黄花店鎮西田荘村の自宅で身柄を拘束され、武清区留置場に拘禁された。楊さんは何度も残酷な迫害を受けた。
 昨年6月28日、弁護士は楊さんと面会した時、楊さんは刑務所の警官や囚人ら13人に殴打されたことを伝えた。13日後、楊さんは留置場で死亡した。
 楊さんの子供2人と親戚や友達は情報を知り、区病院に向かったが、楊さんの遺体しか見れなかった。また首や身体はアザだらけで、目には血があり、耳にも大きな傷口があった。左の乳首は焼け焦げたように黒く、足の爪に爪楊枝で刺された跡が残っていた。背中にも傷が多く、腰から足の太ももには血痕だらけで、酷い拷問を受けたと考えられる。

 武清公安局、留置場は楊さんの家族に死因を教えず、100人近い警官や特別警官を派遣し、楊さんの死体を奪った。

 楊さんの子供は各部門に出向き理不尽なことを訴えたが、地元公安局の副局長、警官らに脅迫された。さらに、インターネットによる情報の発信、取材の受け入れも禁じられた。すべての親戚もそれぞれプレッシャーを受けたという。また、家族から弁護の依頼を受けた弁護士たちも、所属の法曹機関から楊さんの案件を受け入れないようにと指示されたという。

 数カ月経ったが、楊さんの案件はいまだに解決されておらず、家族の訴えもまったく効果がなかった。天津市から武清区の法曹機関は互いに連絡をとって意志を通じ合わせ、調査を阻止した。

 一方、村の村長は法曹機関のやり方に不満があり、迫害に協力しない方針である。

 (三)嫌がらせを受けて死亡

 吉林省の王其さん宅

 長春市の法輪功学習者・王さんは2016年3月9日に身柄を拘束され、家財を押収された。10日間拘束され、息子の王戈さんは懲役3年6カ月の不当な判決を宣告され、いまだに公主嶺刑務所に拘禁されている。王さんは解放された後も、長期にわたって長久路派出所、街道、社区の関係者に嫌がらせを受け、監視され、心身ともに大きなダメージを受けた。昨年11月22日、他界した。享年71歳であった。

 (四)洗脳班で死亡

 広東省の馮娟さん

 広東省仏山市の法輪功学習者・馮さんは昨年4月、より多くの市民に法輪功の真相を伝えるため、千灯湖公園で横断幕を掛けた時、三水洗脳班の人員に不当に連行された。10日間迫害された後、吐いたり下痢したりする症状が現れ、家に帰されてわずか2カ月後、内臓が疲憊(ひはい・ 動けないほどに疲れること。疲れ弱ること)し、10月1日に他界した。享年67歳であった。

 馮さんは以前多種の病気を患ったが、1997年法輪功を学んでから「真・善・忍」に従い、自らを律し、健康を取り戻した。また姑との関係も改善でき、一家は和気あいあいになった。

 昨年4月29日、馮さんは千灯湖公園で法輪功の文言が書かれた横断幕を掛けた時、近くで巡回した警官に身柄を拘束された。当日の夕方、地元610弁公室、派出所、社区の関係者は馮さんの自宅を家宅捜索し、法輪功の創始者の写真、法輪功のポスター、法輪功の関連書籍および資料、MP4などの私物を押収した。

 馮さんは地元派出所で2日間取り調べられた後、市三水洗脳班に送られた。迫害に協力せず、転向しない馮さんは十数日後、吐き気、下痢の症状が現れ、酷くやつれているように見え、中毒したと考えられる。

 馮さんは洗脳班から家に戻ってからも2カ月の間、前と同じ中毒症状がずっと続いた。洗脳班に拘禁されていた期間中、食事や飲み物に毒物が混入された可能性が高いと思われる。

 拘禁されてから、わずか5月間で、馮さんは2017年10月1日に他界した。

 四、結び

 2017年において、新たに40人の法輪功学習者が中国共産党の迫害により死亡した。これまでの明慧ネットの統計によると、迫害されて死亡した人数は4160人に上った。

 「殺人の罪は、自分の命で償う」という言い伝えがあるが、誰もがこれから逃れられない。悪い報いが来る前に、改めるチャンスでもある。中国共産党の法輪功への誹謗中傷を信じる人々は早く真相を知り、正しい道を選択して頂きたい。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/1/6/359334.html)
 
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