文╱中国の大法弟子
【明慧日本2017年11月4日】数日前、明慧ネット上にこのような文章が掲載されました。それによりますと、多くの年配の大法弟子、あるいは病業にいる大法弟子が亡くなる前、脳裏には「逝きたい、もう生きたくない」との危険なメッセージがあるというのです。
数年前に、母の身に起きた事を思い出しました。母(70代同修)はいろんな面においてとても精進していますが、しかし、金銭面や情に対しては少し執着していました。
数年前のある夏、田舎の叔父が危篤になり、姪や甥っ子達は都会に住んでいる母親に経帷子(きょうかたびら・仏式で死者を葬る時、死者に着せる白い着物)を買ってほしいと頼んできました。私は、「このような事に関わらない方がいいよ。お香典を渡して気持ちを表せばいい。修煉者として、このような事に過度に関与すべきではない」と言いました。しかし、母はとても熱心でした。ある暑い日の昼頃、私は母と一緒に経帷子屋を数軒回り、数着の経帷子を見比べました。いずれも少し高いと感じ、最後の一軒の店で、比較的に安いものを購入しました。帰宅途中で、母はそれをしきりに褒め、「この経帷子はものが良くて、とても気に入ったわ」と言いました。私はすぐに、「何を言っているの? 気に入ったって、どういう事? そんなことを言ってはいけないよ! 口を修めなさい」と反発しました。
帰宅すると、母は息切れして、ソファーに座って休みました。私が後ろを振り返って見ると、母の頭がしきりに上下に揺れており、そして、頭が垂れ下がり、口からは白い泡を吐きました。私は母に、「しっかりしなさい! このまま逝ってはいけない! 私達は師父と一緒に帰るのですよ」と大声で叫び、発正念の口決を念じました。しばらくして、母は少し意識が戻ってきました。そして母は、「一度、死んだようだった」と言いました。私はすぐに「普度」と「済世」を母に聞かせました。その後、母の意識はようやく完全に回復しました。本当に心を強く揺さぶられ、はらはらドキドキした経験でした。
当時、「口を修めなかったことは邪悪に迫害する口実を与えた」としか思っていませんでした。しかし、いま思えば「母がそのような言葉を口にする前に、すでに危ないメッセージが母の脳裏に反映していたに違いない」と思いました。それは、母のうまい汁を吸うという心理を利用し、母に「安い値段で高価な物を買えて、本当に良かった」と感じさせ、さらに「将来自分もこのようなものがほしい」と考えさせたのです。このような危険なメッセージを認めると、主意識もそれについて行ってしまうので、邪悪はそれを迫害する口実にして、あなたを引きずり下ろし、あなたを逝かせるのです。
この事は、邪悪が虎視眈々と私達を狙っていることを改めて感じさせてくれました。
常人は頭に入って来たすべてのものが自分の考えだと思っています。しかし、修煉者はそのように思わず、「その考えの一部は副元神によるもので、一部は別の空間の様々な生命によるものだ」と理解しています。脳はあくまでも一つの加工工場に過ぎず、何を加工するかは、主意識が選別しなければなりません。かごに入ったものを何もかもほしいと思ってはいけません。危険なメッセージにとりわけ気をつけなければならなりません。特に年配の大法弟子、あるいは病業にいる大法弟子はなおさらそうです。環境は確かに緩やかになりました。しかし、邪悪の迫害は依然として存在しています。私達は必ず法に則って一思一念を把握し、しっかりと修煉の道を歩み、決して邪悪に乗じられる隙きを与えてはいけません。
個人の考えですので、慈悲なるご叱正をお願いします。