明慧ネットに正しく対応 法を正す修煉でもあり
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年10月3日】私達大法弟子は誰でも師父がおっしゃったように、明慧ネットを見ることによって、法を正す修煉に関する様々な情報を知ることができ、そして、そこから大いに恩恵を受けることができるでしょう。しかし、一部の同修は修煉の立場から問題を見るのではなく、人心や個人の興味から、「明慧ネットは長年いつもと同じような内容で、あまり変化がない」と思い、そして、「すべては修煉者が書いたものだ。自分も修煉者だから、内容は分かり切っている、面白くない。あれもこれもすべて修煉者のものに過ぎない。他のサイトの方が面白い」と思っている人もいるようです。このような考え方は実におかしいので、このような考えをもっている同修は、はっきり言えば、本当の修煉をまだ理解していない人と言えるでしょう。彼らはむしろもっと明慧ネットを見るべきではないでしょうか。

 明慧ネットは師父から重責を委ねられ、そして同修から信頼されている重要なネットとして、師父と大法に責任を持つほか、大勢の同修の修煉において交流の手助けをし、そして、世間の人に大法の真相を伝え、さらに、自分自身をしっかり修めなければなりません。何はさておき、毎日の原稿の審査、執筆の依頼、そして様々な真相資料、定期刊行物、法会での交流及びその他の制作、編集など、これだけの激務をこなす同修と明慧は、人々が十分に敬服し、尊敬するのではないでしょうか。

 明慧ネットはまた宣伝ビラや小冊子の内容を統一し、同修達が真相を伝え、人を救う時により役立つようにしてくれました。このことからも、明慧ネットの強い責任感と真剣に取り込む姿勢をはっきりとうかがうことができるのです。明慧の同修も大変苦労されていると思います。特に一部のフルタイムで働いている同修達は、海外にいながらも、10数年間とても控え目で、プレッシャーの下、常人社会の仕事に就くことができず、収入も得られない状況下で黙々と働き、本当に大変だと思います。

 師父は説かれています。「特に明慧ネットはこの数年間の運営の中で、すでに威徳を樹立しました。このことは大法弟子が知っており、師父もはっきりと分かっており、世の人々ひいてはそれらの邪悪まで敬服しています。最後のこの間に皆さんはそれをさらに良く、さらに力強いものにし、緩めてはいけません」[1]

 私が放浪生活から家に帰った後、以前から知り合っていた同修とすべて連絡が取れなくなりました。師父がうまく按排してくださり、まったく面識のない同修から一冊の『明慧週刊』を手に入れた時、私は感激して涙がポロポロと流れ落ちました。その時、はじめて『明慧週刊』を目にした私は、泣きながら「やっとあなたに出会えた」と思いました。

 同修に助けてもらいながら、はじめて明慧ネットにアクセスしました。そして、明慧のホームページで師父のお写真を拝見した時、私は興奮して手が震えました。「ついに明慧ネットにつながった」と、その幸福感は言葉では言い表すことができませんでした。

 現在、明慧ネットを見ることはすでに私の日常の修煉の一部となりました。私は修煉ができない状態からできるようになり、内に向けて探すことができ、表面だけでなく裏面にある要素も探せるようになり、さらに、その深く隠れた根っこを掘り出すこともできるようになりました。そのすべては明慧ネットに掲載された同修の交流文章からヒントを得たのです。もちろん、これはすべて師父の按排で、突き詰めて言えば、これは師父の威徳と大法の威力により得られたのです。

 師父は説かれました。「明慧ネットはほかのマスコミのように社会で大きな影響がなく、常人が好む記事もそれほど多くありませんが、直接大法弟子の修煉状態と迫害情況を報道し、重責を担っており、非常に重要です。ある意味では、それはほかのマスコミでは現在まだできないことです。ほかのマスコミが一つなくなれば、別のマスコミがその代わりになり得ます。明慧ネットがなくなったら、どのマスコミもその代わりにはなれません。ですから、明慧ネットは続けて運営されるだけでなく、しっかり運営しなければなりません」[1]

 修煉の時間の推移に従って、私も時々明慧ネットに投稿するようになりました。その中には発表されものもあれば、されないものもありました。投稿された文章を掲載するかどうかは、明慧ネットには自らの尺度と基準があり、ネットは三つの方面(前に言及)で責任を持たなければなりません。一部の同修は投稿したものが発表されなかったことを理由に、明慧ネットに反発し、甚だしきに至ってはとても感情的になってしまうのです。本当にそうすべきではありません。投稿する大法弟子は、それを自分の心を修める過程とみなすべきで、投稿する目的が純粋であるかどうか、自我を実証する心、名誉心、顕示心があるかどうかを探すべきです。

 最後に、師父の説法を引用させていただき、法を学び同修と共に励まし合いたいと思います。師父はおっしゃいました。「先ほど言いましたが、明慧ネットは確かに非常に重要で、中国から直接入手した資料は絶対真実で信用できるものであり、どのウェブサイトも大法弟子の修煉の窓口という角度から作られたのではありません。大法弟子として、常人がどのように認識しているかに関わらず、皆さんは必ず正しく明慧ネットを認識すべきです。正しく明慧ネットを認識していない人がいれば、その人は問題があると私は思います。きっとそうです。明慧ネットが直接大法弟子の主体の修煉情況を報道しているので、世界で大法弟子の互いの交流において重要な作用を果たしており、これはほかのマスコミにできないことで、ほかのマスコミもこの角度から報道することができません。これはすなわち明慧ネットの特殊性です。もちろん、不足はあるはずで、それは修煉と成熟する過程で向上し強化すべきところです」[1]

 私は心から同修達に明慧ネットを重視してほしい、正しく明慧ネットに対応してほしいと望んでいます。なぜなら、これは私達が法を正す修煉の一部分だからです。そして、師父は説かれています。「邪悪を暴露し、衆生を救い済度し師が法を正すことを手伝う過程で、明慧ネットは自らの威徳を樹立し、とても素晴らしいことであり、将来衆生が明慧ネットの事に言及するとき、その素晴らしさに感激するでしょう」[1]

 以上はすべて個人的な見解です。法に則っていない所があれば、同修の皆さんの慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:

 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「明慧ネット十周年法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/9/25/354139.html)
 
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