「師父の按排は何よりも大事」を読んだ感想
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年12月29日】12月9日の明慧ネットに掲載された「師父の按排は何よりも大事」を読んだ感想を皆さんと交流したいと思います。作者の同修は自分の次元で「何かを求めれば、結果は自分が求める通りになり、自分の念がどう動くか次第だ」と悟りました。

 以下に、同修の悟りを借りて、師父が伝統文化に戻ることを強調されることについて「師父の按排が何よりも大事だ」ということを、どのように理解するかついて述べて、同修の文章をすこし補足しようと思います。もし不適切なところがあれば、ぜひご指摘をお願いします。

 師父は大法弟子に中国五千年の伝統文化を切り開かれました。迫害に直面する時は、乗り越えることは難しくなり、難関が続々と来るので、私達は師父が説かれたより高い次元の法理を理解できないからです。

 正法修煉に伴って、病業、強制連行、不法な拘束などの迫害が20年あまり続きました。中国本土には、中国共産党のコントロールにより、貧困、虚偽、殺戮、飢饉が起こり、伝統文化が徹底的に壊滅され、儒釈道が決めた人間の基準も破壊され、この環境の中に生活している国民が共産党に洗脳され、思惟や行為は完全に神が人間に与えられた道徳基準がなくなりました。中国本土の同修は生まれてからずっとこのような環境の中で生活しています。

 明慧ラジオのある伝統文化に関わる物語を聞きました。その物語の概要は、ある修道者が朝坐禅をしたところ、東のほうから人が歩いてきて西のほうに行きました。修道者が天目でその人を見ると、その人の後ろに多くの悪鬼がついています。しかし、すこし時間が経つと、その人はまた西のほうから戻って来ました。修道者が天目で見ると、その人の後ろに多く善の神がついていたというのです。

 修道者はとても不思議だと思い、その人に、先ほど何をしていたかと聞きました。その人は、「先ほど、ある人を殺しに行きました」と答えました。修道者はなぜかと聞くと、「その人はお金を借りたのに、全然返さず、私を叱りました」、「しかし、その人の家に着いた時、その人には母親や、妻、子どもがいるので、その人を殺せば、家族は今後どのように生活していくのだろうかと思って、殺すことをやめて、戻って来ました」と言いました。修道者は自分の天目が見たことをその人に話しました。お金を返さない人は結局悪の報いを受けました。

 もし、私たちが伝統文化を基礎にすれば、師父が説かれた「慈悲は天地の春を溶かし 正念は世中の人を救う可し」[1] の意味が理解できます。

 慈悲を持ち、念が正しければ、背後に必ず善の神様がついています。その時、邪悪は受け止める力もないので、大法弟子を迫害するために常人を操る力はないでしょう。そうすれば、大法弟子は迫害のため、流れ者になることはなくなるのです。

 ここで慈悲がどのように邪悪を避けられるかについて、例をあげましょう。

 私が属している学法拠点の同修(邪悪のブラックリストに載せられた)は、既に20年以上修煉しており、彼女はいつもニコニコして、何があっても師父の要求通りに慈悲に対応しています。

 数カ月前、この同修は息子を見舞うため北京行きの汽車に乗ったとき、警察に止められました。車輌の中には人がいっぱいいましたが、警察官はこの同修だけにいろいろ質問をしていました。この同修はその時、100冊の資料と1000元ほどの真相スローガンを書いたお金を持っていました。皆さん、考えてみてください。中国共産党がコントロールしている汽車の中に、どれほどの正義と邪悪が戦っていることでしょう。この同修は目の前に現れた警察官に、ニコニコして、強い正念で、その警察官を見て、善意でその警察官の質問に答えました。数分後、警察官は何の検査も行なわず、ニコニコして離れました。この同修は恐らく自分の善意、優しい表情と強い正念の背後に、正の神がついて、師父が目の前の難関を取り除かれたことを、まだ意識していないでことしょう。

 もう一つの例で、恨みがどのように悪鬼を招いたかについて説明します。

 私が住んでいるところにもう一人の同修がおり、2年前刑務所から解放されました(この同修は修煉のため不法に拘束された)。この同修が町で法輪功の真相を伝えている時、真相を聞かない人に出会い、その人が大法を誹謗中傷すると、同修は怒ってその人と喧嘩をしました。この同修は、誰かが大法を誹謗中傷したら、すぐその人と喧嘩をします。この同修はそれが法を守る行為だと認識しています。誹謗中傷した人はすぐ警察に通報しました。結局、この同修は再び強制連行され拘束されました。今でもこの同修は刑務所の中で迫害されています。

 もしこの同修に伝統文化の基礎があれば、誹謗中傷する人の背後に、旧勢力が支えている悪鬼がついていることを知れば、2年前の強制連行はなかったでしょう。

 以上の二つの例は、「師父の按排は何よりも大事」を書いた同修の「あなたがどう思うか次第で、その結果が変わります。ポイントはあなたがどう思うかなのです」を実証しました。

 ここで私は同修の文章をすこし補います。もし私たちが神伝文化の真髄の面から考えれば、参照の基準が更にはっきりし、更に師父が説かれた「伝統の道に戻れば、天に通じる」[2] の法理に合います。こうすれば、同修の文章の中の「難関が突然現れた時、迷いや、どのように判断するか、またどのように区別するかの段階がなくなるでしょう」は、現代の言語で表現すると、それは直接伝統文化や、大法と連携して、私たちの修煉の道がもっと真っ直ぐに、もっと確実に、もっとはっきりすると思います。

 神伝文化は人にどのようにまともな人間になるかを教えます。大法は人にどのように修煉するかを教えます。まずまともな人間になってから、修煉者になることができます。だからこそ、伝統文化は修煉者にとって欠かすことができません。なぜ中国共産党が国家権力を奪ってから、国力を尽くして伝統文化を破壊するのか、目的は中国人がまともな人間にならないようにすることです。まともな人間にならなければ、修煉者になることなど言うまでもありません。中国共産党は恨みで中国人を鬼のような人間に変え、今日の大法修煉者にたいへん難しい障碍を設けました。

 もし、修煉者の顔がいつも怒り顔なら、後ろについているのは必ず悪鬼です。いつも慈悲なる修煉者の後ろには必ず正の神がついています。師父が五千年の伝統文化を切り開かれたことが分かったら、怒り顔の修煉者はいなくなるでしょう。

 師父は後の説法で伝統文化への回帰について何度も言及されました。洪吟五』の中に明らかです。どのように「師父の按排は何よりも大事」ということを理解するか、師父の話を聞き、師父の要求通りに行なうことは、「師父の按排は何よりも大事」ということを実証するのです。

 以上は私個人が現段階の次元に悟った理です。次元が限りますので、不適切なところがあれば、ぜひ慈悲なる指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「法正乾坤」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟五』「再び造る」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/12/13/396976.html)
 
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