文/海外の大法弟子
【明慧日本2013年6月2日】今日、明慧ネットの『身近に発生した小さなことでも 厳粛に対処しなければならない』の文章を読んで、私は突然、自分の周りで発生したことを思い出しました。数カ月前、西洋の大法弟子が中国語を学ぶため、他の西洋の大法弟子が中国語で読んだ『論語』の録音を携帯電話に保存し、聞いていたのを見かけました。当時、私は適切でないと思いながらも、相手の面子に遠慮して指摘しませんでした。
数カ月後、私は、これが非常に良くないことだと再認識して、翌日その大法弟子に会いに行きました。その時、その大法弟子はすでに録音を削除していました。
このことは過去のことになりましたが、やはり交流する必要があると思い、投稿しました。同修あるいは自分が経文を読んで録音し、それを自分で聞いたり、人に聞かせたり、与えたりしてはなりません。私たちが読んだものは法ではなく、中に師父はなく、大法の力もなく、かえって私たちの向上には妨害となり、邪悪に隙に乗じられやすいのです。
「弟子:師が説いた新経文を録音して自分で聞いてよいのでしょうか? CDにコピーしてほかの学習者 に聞かせても良いのでしょうか?
師:このようにしてはいけません。録音して自分で聞いてもいけません。このことについてすでに数回説 いたことがあります。いかなる人も無断で録音してはならず、配ることはなおさらしてはいけません」[1]
私の理解では、師を信じ法を信じる心をもって、師父の経文を読み、あるいは録音テープを聞けば、中国の同修が英語を学んだ物語、字さえ読めない年配の同修が短い期間で『轉法輪』を読むことができるようになったなどの奇跡が起きるはずです。くれぐれも師父が明確に禁止されたことを、大小にかかわらず私たちはしていけません。大法を守ることは私たち自身から始めなければなりません。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』