物事の良し悪しは自分の判断基準で判断しない
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年6月22日】母(同修)は父とよく喧嘩します。物事の良し悪しを判断する基準で見ると、多くの場合、すぐに怒鳴り散らす父親と比べ、表面上では、母親の方が確かに間違っていないように思います。母はいつも、「私は間違っていません。私が間違っていれば、何を言われても構わないですが、罪をなすりつけられるのは許せません」と言いました。

 こうした場合、私はいつも両親の喧嘩の仲裁に入ります。そして「母はどうして悟らないのだろうか? どうして内に向けて探さないのだろうか? どうして人間の基準で物事を判断するのだろうか?」といつも思っていました。ある日、家の大掃除をしました。とても丁寧に徹底的にやったので、満足感と達成感がいっぱいでした。しかし、夜に帰宅した妹は「掃除が全然できていないよ。ほら、ここも、そこも、全部だめだ」と喧(やかま)しく文句を言いました。それを聞いた私は「自分は掃除しないくせに、私が苦労して掃除したことに対して、どうしてこんなに文句を言うのか? きちんと出来ていないと思えば、自分でやりなさい」と腹が立ちました。

 その時、「いつも母親が人間の理に執着していると批判しているが、自分だってそうではないか」と突然、気付きました。師父は「トラブルの当事者双方が自分の原因を探す以外、第三者まで自分を考えなければなりません。なぜ自分はこのことに出くわしたのでしょうか? ましてやトラブルの当事者の一人であり、なぜ自分を修めないのでしょうか?」[1] と説かれたからです。

 毎回、母と父が喧嘩をする時、「どう仲裁をしたらいいのか」とばかりを考え、そして「母は内に向けて探すべきだ。心性を高めるべきだ」と母ばかりを責めていました。なるほど、それらはこの私に気付かせるために、あったことだと思いました。

 ある次元に修めた時、人から理不尽な理由で、不平不満を言われ、甚だしい場合、罪をなすりつけられても、人間の良し悪しの判断基準で物事を判断しない、心を動じない、そうしていられるか、どうか、試されるでしょう。それを悟った瞬間に、私は心がぱっと開きました。父も母も、そして、妹も私のために、お芝居を演じてくれていたのだ。そのおかげで、私は心性を高めることができ、心を大きくすることができました。師父の見事なご按排に心から感謝いたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇四年シカゴ法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/6/9/407456.html)
 
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