教育の目的は、傑出した人徳を培うことにある
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NY・ミッドタウン・ハイスクール生徒の保護者からのフィードバック

明慧日本2020年7月13日】

 保護者の声その1:楽しみながら成長する

 数年前、ニューヨーク・ミッドタウン・ハイスクールが6年生から12年生までの生徒を対象に設立されたと聞きました。当時、私は子供をその学校に入れる考えはありませんでした。我が家はニュージャージー州に住んでいて、公立学校の教育レベルは全米でもトップクラスにあって、息子の学業は優秀で学校の「英才クラス」に入っていました。NY・ミッドタウン・ハイスクールのカリキュラムより、息子が通っている学校のカリキュラムのほうがレベルが高かったのです。私と夫は子供の教育をたいへん重視して、子供に学法をさせているだけでなく、学校の授業内容に対してもよく確認し把握していました。大法の法理にそぐわない内容を発見すると、直ちに子供に説明して正しい内容を教えていました。そのため、ミッドタウン・ハイスクールの多くの教師は大法弟子であって、授業内容も純粋で伝統的だと知っていましたが、子供をミッドタウン・ハイスクールに通わせる必要性は感じませんでした。

 しかし息子が10歳になった頃、状況が変わり始めました。まず、我々が言った道理に耳も傾けようとしなくなりました。理由は、あなたが言っていることはあなたの見解であって、私には私の見解があり、見解には「正しい」と「間違い」はなくて、人によって選択が異なっているだけです。そのため、息子に最も基本的な是と非の基準ですら教えられなくなってしまいました。だんだんと息子は学校の出来事なども伝えてくれなくなりました。 彼からすると、親はいつも同じ説教をして、彼は自分の力で物事を判断したいのでした。自分でどうやって判断するのか、どんな基準を持って判断するでしょうか。頭の良い子は何でも早く覚えるもので、悪いこともしかりです。今のメディアと学校に左翼思想が激しく浸透していて、親とのコミュニケーションも拒絶する我が子に、どうやって正しい価値観を築かせるのでしょうか。案の定、息子は世間をなめている不遜な生き方を覚えて、「どうでもいい」は彼の口癖になっています。学法が疎かになって、どんどん落ちこぼれ、帰ってきたら自分の部屋に引きこもって、家族と会話もなく、親子関係もぎくしゃくしてしまいました。

 息子をそのような状態から抜け出させるために、私は多くの教育理論を勉強し、ネットでほかの母親の体験談も読みました。結局、いわゆる専門家が提案した方法は「二階から目薬」のもので、一見、一理があるようですが、実は根本からの解決はできなくて、数少ない成功体験も信仰に頼ったものでした。もちろん、我が家にとって一番良い方法は、学法することです。夏休みの間、私たちは毎日、息子と一緒に学法したので息子に元気が戻り、少しずつ素直で明るくなりました。9月に入って学校が始まると、学校で受けている影響がまた少しずつ表れてきました。加えて勉強が忙しいため学法の時間が少なくなり、息子はまた前の状態に戻りました。クリスマス休暇中に、我々はまた息子を引っ張りだし学法をさせたので、息子の状態はまた少し良くなります。学校が始まるとすぐに元通りになります……まるで綱引き競技のように、片方は親でもう片方は変異した社会で、双方は息子を奪い合っています。

 2018年のDC法会でミッドタウン・ハイスクールの生徒の保護者の発表に感銘を受けました。彼女の息子さんはミッドタウン・ハイスクールに進学してからゲームを止めて、礼儀正しい子になりました。そこで、自分は常人社会の「名声」を重んじすぎているのではないかと反省しました。「英才クラス」や名門校は常人レベルのものにすぎなくて、本当に息子を良く教育できるでしょうか?

 その後、師父の説法を拝聴しました。師父は、「神韻の草創期に、皆さんは神韻に対する認識が不充分で、『子どもがダンサーになって、引退後何をやればよいのか』と思っていました。しかし、師父は子どもを使い捨てにしないのです。ちゃんと子どもの将来を考えています。そのため、中学、大学、大学院を開校しました。当時、親は子どもを神韻に入団させることに躊躇し、子どもと離れたくないと思っていました。しかし、十二、三歳はちょうど技能を習得する時期で、体も柔らかいのですが、親は子どもと離れたくないと思っていたのです。十四、五歳になると、十五歳の子はもう手に負えなくなり、口答えしたり反抗するようになります。このままではダメだと分かり、山の方に送りたいと思ったわけです。(皆さん笑って)しかし、すでに体が硬くなり、山に来ても厳しいのです」[1]と説かれました。

 当時、息子はまだ12歳ですが、すでに手に負えない傾向にあり、15歳になったらどうなるのか想像もつきませんでした。それで、我々は息子をミッドタウン・ハイスクールに連れてきて、面接を受けさせました。

 ほかの条件の良い中学校に比べて、ミッドタウン・ハイスクールの建物は少し地味でしたが、それとは対照的に、生徒たちの元気な姿と意気揚々とした笑顔が目に飛び込んできました。面接を待っている間に、ある教師が来て世間話をしました。ここに息子を入学させるのは正しい判断だ、この学校の生徒たちはみんな楽しそうだ。彼は毎日オフィスで生徒たちの笑い声が聞こえ、時には、邪魔にならないように少し笑いを抑えてほしいと頼まなければならないぐらいだ。彼はかつていくつかの学校で働いた経験があって、この学校の生徒が一番幸せだと分かっている。生徒が幸せでいれば教育は問題にならない、何を言っても素直に聞き入れてくれるからだ、と話してくれました。

 その先生の紹介を聞いて少し安心しました。朝から晩まで詰まったカリキュラムを見て、少々心配でしたが、息子をミッドタウン・ハイスクールに入学させました。

 息子は新しい環境にすぐに慣れて、遊ぶ時間がないと文句を言うこともなく、かえって学校に行くのが日ごとに楽しくなって、学校側の要求も進んで守っています。生徒の行動を規制するための集会は週一回行われて、年齢別の道徳授業もあります。ここの道徳授業はほかの学校のように形式的な空論ではなくて、西洋の古典哲学、アリストテレスの学説などを紹介して、生徒の考え方を正しい道に導きます。だんだんと息子は家族と会話するようになって、質問されるとちゃんと答えてくれて、親に迷惑をかけた時に「ありがとう」、「失礼します」と言ってくれるようになりました。

 息子の進学のために、我が家は賑やかな都市部から小さな町に引っ越したのを見て、友人は戸惑っていました。息子は、「以前、勉強が楽しいと一度も思ったことがなく、放課後の遊ぶ時間だけが楽しかったです。今の学校で授業が楽しくて、楽しみながら勉強をしているんです」と説明しても、「今の学校のカリキュラムに特別なものもないし、娯楽設備も少ないし、どうやって楽しくなれるのですか」と友人はまだまだ理解できません。それで、息子が中国語を習う時のことを友人に話しました。

 私も夫も中国人なので、息子の中国語教育をとても重視しています。しかし同級生の中で誰一人として中国語を使っていないため、息子は中国語の勉強に対してずっと積極的になれませんでした。週末の中国語学校に一度だけ行ったら嫌いになり、二度と行きたくなくて、中国語を勉強させられることは親からの嫌がらせのように思って、心から拒否していました。ミッドタウン・ハイスクールに行ったら、中国語を話す両親と華人の顔立ちをしている息子を見て、学校側は息子がきっと基礎的な中国語が喋れると思って、言語テストもせずに息子をレベル2の中国語クラスに配属させました。実はその頃、息子はほとんど中国語を話せなくて、中国語で行われる授業を聞いても分からない状態でした。

 息子が授業に追いつかないことに気づき、先生は息子をレベル1の中国語クラスに移動させました。1回だけ授業を受けて、息子は先生に元のクラスに戻すようにと願いました。その理由は、クラス2にいた毎日が楽しい、自分の中国語レベルではクラス1に行くのが適切だが、どうしてもクラス2のほうが楽しい、ということでした。クラス1とクラス2はどこが違うのかと掘り下げて聞くと、クラス2では毎回の授業の最初に「論語」の一句を暗記することがあると分かりました。一日に一句だけ、少しずつ暗記するのです。クラス1にはその要求はありません。息子は小さい頃から親と一緒に学法をしてきたのですが、大きくなってから常人社会の影響を受けてしまい、だんだんと学法に興味を持たなくなり、『轉法輪』を読む時も馬耳東風のように心に止めていなかったようです。今、授業で「論語」を暗記する機会があり、息子に分かった部分があって喜んだのです。そこで、息子にチャンスを与えてほしいと私は中国語先生のところへ行き、事情を説明しました。

 先生は息子に1ヶ月の試用期間を与えて、次回のテストで60点を取れればクラス1に行かなくても済みます(前回のテストでは20点しか取れませんでした)。 息子は快諾しました。そこで、一日に漢字2つと「論語」の一句を教えてくださいと私たち夫婦に頼みました。「論語」の内容を息子はまだ理解できなくて、中の語彙も日常生活で使われるような言葉ではなくて、最初、息子は発音だけに頼って覚える努力をしました。暗記すればするほど楽しくなって、やがて、一日に短い一句(一つの「,」)を覚える程度から、長い一句(一つの「。」)を覚えられるようになりました。2週間後のテストで100点を取り、進歩の速さに息子自身も驚きました。

 息子は無事にクラス2に残ることができて、「論語」の暗記も順調に進んでいます。先生に褒められて、息子はますますやる気が湧いて、「論語」を全部暗記できてから『轉法輪』の暗記も始めました。それに伴い気質も変わり始めて、明るくて純粋になってきました。学校の先生方の多くは大法弟子であり、保護者と同じ信念を持って、生徒たちを正しい軌道に修正し指導することで保護者と力を合わせています。一方、常人の学校は保護者と網引きをするように反対の方向へ子供を引っ張り、親と学校、双方の理念のギャップに子供も困惑します。

 唐の大詩人・劉禹錫(りゅう うしゃく)の名作・『陋室銘(ろうしつのめい)』に「山不在高、有仙則名。水不在深、有龍則靈」があります。意味としては、「山は高いからではなく、仙人がいるから有名になる。川は深いからではなく、龍がいるから神秘的なのである」です。学校も同じように、綺麗な校舎、豪華な設備、名門校卒業した教師を備えても、正しい教育理念から逸脱すると、表面の華麗さは全く無意味になります。

 保護者の声その2:ピアノの練習が嫌いな子が変わった

 我が家の息子は、習い事を早く覚えられるが練習をしたくないタイプでした。以前、公立学校に通っていた頃、周りの子供たちはただ音楽を趣味としてやっているだけで、息子はその環境では他から抜きん出ることはいとも簡単で、なおさら練習の必要を感じません。 練習を催促するたびに、大騒ぎしたりしました。

 ニューヨーク・ミッドタウン・ハイスクールの音楽クラスに進学してから、息子は大きく変わりました。まず、学校では毎週「コンサート練習」が行われて、生徒全員は皆の前で自分の楽器を独奏します。音楽クラスに進学した生徒はみな音楽の才能があって、演奏レベルもそれなりにあります。皆の前で独奏と聞いたら息子はすぐにプレッシャーを感じて、練習を軽んじることは二度としなくなりました。

 また、学校では毎日、午後には自習時間があって、先生の指導の下で生徒は練習室にいて楽器練習をしなければなりません。周囲のみんなは一生懸命練習して、自分だけ練習しないと恥ずかしいので、息子もしっかり練習するようになりそれにだんだん慣れてきました。自習以外、オーケストラのリハーサルや同じ楽器のグループ練習もあり、様々な形があり飽きたりはしません。

 息子が根本的に変わったのは、飛天芸術学院に進学することを決意した時からです。息子が音楽クラスに入った一年目の終わり頃に、クラス半数近くの生徒は飛天芸術学院に受かって、特に8年生と9年生はほとんど全員が飛天芸術学院に行きました。学友たちが嬉しく去っていく姿を見て、息子は複雑な感情を抱きました。心が空しくなることもあり、それより多かったのは、遊びばかりして時間を無駄にしたことに対する後悔でした。自分も飛天芸術学院に行きたいと息子は目標を定めましました。夏休みに猛練習して、1日に1時間の練習から始まり、徐々に毎日3時間の練習をするようになりました。

 夏休みを経て、演奏力がとても上達し、学友はみな息子の進歩にとても喜びました。芸術の世界は昔から競争が激しくて、芸術学校の生徒の間ではふつう、人間関係が緊迫しています。ニューヨーク・ミッドタウン・ハイスクールの音楽クラスの生徒たちは、互いに競い合っていましたが、互いに助けあいをしていて、それは本当に健全な競争です。年長者は年下の子の面倒を見て、先に入学した子は後に来た子の面倒を見るというような睦まじい仲です。そのような環境の中で、息子はスキルアップだけでなく、明るさや相手を思いやる心も身につけました。

 保護者の声その3:純粋かつ伝統的な芸術の浄土

 我が家の息子は小さい時からクラシック音楽が好きで、ポップスを全然聴かなくて、とても早くに音楽の才能を発揮し、国際レベルのピアノコンクールで一等賞を取ったことがあります。大きくなるにつれて周りの同級生や友人の影響を受け、コンピューターや科学技術を専攻するのは出世する道で、音楽は趣味にしかできないと思うようになりました。また、学校のオーケストラは興味のないポピュラー音楽しかやっていないのもあって、次第に息子はピアノの練習を止めてしまいました。しかし、本人も「何よりも音楽が好きだ」と認めており、音楽を諦めた後は生き甲斐を見つけられず、悩みを相談する相手もいないのでだんだんと心を閉ざして、気性も荒くなってしまいました。

 ニューヨーク州にあるミッドタウン・ハイスクールの音楽クラスでは純正なクラシック音楽を教えていると聞き、息子をそこに転校させ、音楽に対する興味をもう一度取り戻すように期待しました。

 ミッドタウン・ハイスクールでは、息子は毎日正統なクラシック音楽を聴き、学び、練習していました。一週間後、情緒的に安定した息子は家ではなんと歌うようになり、寝る時も頭の中はクラシック音楽が響いていると言いました。1カ月もしないうちに、将来はプロのピアニストになると決心しました。人生の目標が見つかって、息子はまた笑顔を見せるようになり性格も明るくなりました。学校ではキレないようにと注意したら、新しい学校に行って数カ月経っても、一度もキレたことがないと息子は言いました。

 視野を広げるために、一度マンハッタンにある世界的に有名な音楽学校の定例公演に息子を連れて行ったことがあります。結局、とてもがっかりしました。演奏していた生徒たちは優れた技を持っているにもかかわらず、粗野な雰囲気とヒステリックな表情をしていました。教師はさらにおかしくて、鳥の鳴き声を真似ると言い、ピアノに極めて高音域の音を弾かせ、技法もないし意味も分かりません。しかし、観客はかなり評価していました。これが一流音楽学校の演奏なのでしょうか? 息子はもう二度と聞きたくないと言っていました。

 その後、リンカーンセンターで有名なオーケストラの演奏を聴きに行きました。その日の演目はベートーベンの名作なんですが、何故かスーツ姿の演奏者らは演奏中に一斉に体を同じ方向に大幅に揺らしていました。彼らの動きに気を取られて、音楽を楽しむことができなくなるほど頭がフラフラしてしまいました。彼らは楽器を奏でているのか、それとも体でパフォーマンスをしているのかが分かりません。

 何度か似たようなこのような経験により、人類社会のあらゆる面はすでに変異し、クラシック音楽のような優雅で神聖な分野でさえ汚染されたことを認めざるを得ないところに来ているのです。幸いにも私たちにはミッドタウン・ハイスクールがあって、クリーンで高貴な音楽、エレガントで上品な風格を学ぶための場所があります。

 ミッドタウン・ハイスクールの音楽授業の内容は充実かつ基礎を重視して、ただのクラシック音楽の勉強やリハーサル訓練をするだけでなく、体系的に音楽理論も学ぶし、リスニング・トレーニングも行います。また、中国のクラシック音楽の鑑賞を含めて様々な音楽ジャンルや民族音楽を紹介する「音楽鑑賞」授業もあります。クラシック音楽の定義についてミッドタウン・ハイスクールは非常に厳しい基準を設けており、一般の基準とは少し違います。

 今年、息子が中学校を卒業します。卒業公演の曲を選ぶ過程で、良い音楽とは何かを息子はもっと深く理解できました。選曲について、学校側の要求はラシック音楽であることです。最初に選んだのは前世紀イギリスで有名な作曲家の曲でした。現代のほぼすべての有名なチェリストもこの曲を演奏したことがあり、一般的にいえば、これは最も人気があるクラシックのチェロ曲の一つです。嗚咽するような、切なくて感動的な曲です。しかし先生は、これは伝統的なクラシック音楽ではないので、別の曲に変えようと教えられました。

 こんなに美しい曲がどうして学校の基準を満たさないのかと息子は少し戸惑っていましたが、学校側の要望通りに曲を変えました。しかし内心では未練が残っていたので、空いた時間にその曲を弾いて練習していました。連日練習した後、この曲は自分を最も苦悩な時期に連れ戻されたようで、ネガティブで退廃的な心境になったと息子は訴えた。それを聞いてすぐに息子にその曲の練習を止めさせました。

 師父は「知っておかなければならないのは、人類の本当の芸術は最初神の殿堂に現れたのです。神が人間にこの種の文化を伝えたもう一つの目的は人間に神の偉大さを見せ、善悪応報を信じさせ、つまり悪事をした人に悪報、良い人に福報があり、修煉の人が天国に昇っていくということを信じさせるためです」[2]、「私は神を描いた天井、壁画、神を彫刻した彫像などの正統な作品を見るのが好きです。それを見て、人類にまだ元に戻ってくる望みがあるといつも思っています。なぜならば、それらの作品は神の偉大さを表現しており、神像の向こうの空間にいる神も本当に人間に善を施します」[2]とおっしゃいました。

 良い芸術は心を浄化し、道徳を高めることができます。古代の人も徳のある、雅な音楽は心身を整え、人々を健康かつ向上させることができると信じていました。たとえ音楽で「死」を表しても、良い音楽は一個人の悲しい感情からより広い思考へと昇華し、生や死、世界について考えさせてくれます。一方、退廃的で憂鬱な音楽は、表面的な技法や構造がいくらクラシックの枠に合致していても、そのテーマや意図はきっと純粋かつ健康的とは言えないものです。どんなに感動的なメロディに仕上げても、「みだらな頽廃(たいはい)音楽」としかなりません。今日の数多くの変異した芸術作品は、形式上の端正さと作曲家の技量で賞賛されていますが、このような見分けがつき難い変異は、最も人を害するものなのです。

 学校はカリキュラムをしっかり進行させるだけでなく、先生方の姿勢は責任感があるというレベルをはるかに超えています。学業の進歩を気にかけるほか、生徒の特徴に応じてプロ的な指導もしてくれて、純粋に生徒を思いやる心を持っています。彼らは教えることを職業としているだけではなく、責任を持って引き受けています。

 我が息子は小さい頃からピアノを習っていて、その後クラリネットも習って、両方ともよくできています。息子の身体条件から、弦楽器のほうがもっと向いている、弦楽器に切り替えたほうが良いと学校のピアノ先生が提案してくれました。先生のこの分析に納得し、息子は弦楽器に切り替えました。切り替えてから、上達の速さはすべての人の想像を超えて、今年は念願通りに飛天芸術高校に進学出来ました。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一八年ワシントンDCでの説法』
 [2] 李洪志師父の経文:『美術創作研究会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/6/21/407959.html)
 
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