文/海外の大法弟子
【明慧日本2020年9月23日】私は1997年末に法を得た大法弟子です。修煉の中で、師父が私たちにしっかり行うように要求された三つのことのな中には発正念が含まれています。師父は発正念をおろそかにしていた自分を、正念を駆使して思うがままに邪悪を取り除くことが出来るようになるまで導いて下さいました。また、発正念によって余計な魔難を避けることができ、そして病業の関で苦しんでいる同修を助ける中で、如何に難関を突破するかについても導いて下さいました。
私は天目で見えません。天目で見えない同修の中にはこのような経験をした人が少なくないかもしれません。自分が発した正念にどのくらいの威力があるかを感じ取れないのです。天目では正と邪の大戦の場面が見えず、さらに身体で何も感じ取れないため、自分が発した正念が一体効果があるのかどうかを疑い、そして一部の同修は発正念を毎日完成すべき一つのタスク(作業、仕事、課題)として扱い、時間が経つにつれて一種の形式になってしまいます。
師父は20年ほど前から、私たちに三つのことをしっかり行うように何度も念を押されてきました。 私は発正念する時に精力を集中するべきだということを分かっていますが、毎日4回全世界で同時に実施される発正念に参加した際に、気が散ってしまい、実際に自分には能力があると思ったことがありません。
私は妊娠中にも煉功や学法を続け、師父の説法録音を聞き、法を実証する活動にも参加しました。今から10年ほど前、当時、子供はまだ3、4歳でした。ある日突然、子供の全身に赤い発疹が出来て、すごくかゆがりました。その日は木曜日でしたが、翌日の私の仕事に影響が出ることを心配した母は、子供の世話をしながら、ほぼ徹夜で子供の痒い所を掻きむしりました。
翌日になっても子供の発疹はなくならず、逆に腫れ上がって来て、顔も腫れていつもの姿を失っていました。当時、私は同修の夫と一緒に子供のために発正念しようと思いました。しかし、夫は当時私の考えに賛同せず、結局、私と一緒に発正念をしませんでした。私は少し不愉快でしたが、逆に「私は将来成就したら、一人で自分の世界を主宰しないとならない。このことは私一人でも出来ることだ」と思いました。そして、私は精神を集中させ、全力で発正念をしました。何も見えませんでしたが、ただただ精力を集中して発するだけでした。
翌日が土曜日だったので、私は母にゆっくり休むように伝え、夜は自分が子供に付き添いました。その夜、私は子供をお風呂に入れましたが、子供は一晩中寝ていました。翌日、子供の発疹がすっかり消え、本来のかわいい姿に戻っていたのには驚きました。こんな状態の子供を連れて、どうやって中国に連れて帰ろうかと悩んでいた母は、これでひと安心できました。
今回、私は発正念の威力と不思議な効果をはっきりと目にしました。これは私に、自分にも功能がある、ということを教えてくれたのではないでしょうか。しかし私は悟性がすぐれておらず、さらにこれほど貴重な修煉体験をまとめて悟るのではなく、あれから何年間も真面目に発正念することがで出来ず、発正念をする時にやはり気が散っていました。
今振り返ってみると、今回の発正念の効果が著しかったのは、念力を集中した以外、自分でも自分ができると信じ、自分にその能力があると信じたからです。そして功能は人間の思惟に制限されず、正念の作用が働きました。当然の事ながら威力は限りなかったのです。
その後、天目が見えなかったし、主な原因は修煉において充分に精進しておらず、悟性が優れていなかったために、今回の発正念の経験があったのにも関わらず、真面目に厳粛に発正念に対処することが出来ませんでした。
4、5年前、メディア関係の仕事をしている能力が非常に高い同修がひどい病業の状態に陥り、入院しました。彼女を助けるため、私は仕事が終わってから毎日のように病院に通い、彼女と一緒に関を乗り越えました。ある日、ベッドの上で痛みで転げ回る彼女を見ているうちに、私には慈悲心が生まれ、何も考えずに精力を集中して、彼女のために強い正念を発しました。驚いたことに、その時、彼女はまるで別人になったかのように、すぐに「もう痛くない!」と言ってくれました。
それ以降、彼女は自分のために発正念をすると、全部が効果があるわけではない、と言いました。それを聞いてびっくりしましたが、恐らく自分の心がわりと純粋で、心の中で旧勢力に彼女を引きずらせないようにしようと、思っていたからかもしれないと思いました。毎回発正念する度に、全力で彼女のために発正念を発しました。今思えば、今回発正念をする際の心は彼女のためであって、慈悲の心が生まれたために法に則っており、非常に確固たるものだったため、効果が明らかでした。
同修のために発正念したことを通じて、自分に能力があることを知りました。それ以来、発正念をする事を私は怠ることが出来ません。もし、師父が私にこの能力と使命を下さったのに、しっかり全う出来なかったなら、師父と私の世界の衆生に申し訳なくなるでしょう。例え見えなくても、感じ取れなくても、私は自分に能力があると固く信じています。私は自分に発正念する時に、必ず精神を集中するように要求しています。毎回発正念をする時、私は自分に「私は威力限りない神である。私の身体はとてつもなく大きく、背が高く、これからすぐに正と邪の大戦がはじまる!」と告げます。このような心理状態で発正念をすると非常によい効果を収めます。時には気を散らしますが、直ちに自分の主意識を取り戻し、引き続き精力を集中して発正念を行います。
その後、発正念をする度に主意識が非常にはっきりとし、ほとんど気が散らなくなりました。天目が開いておらず、ほかの空間を見ることは出来ませんが、師父はたくさん励ましてくださり、時々強いエネルギー場を感じて体が熱くなります。時には自分の背筋が伸びるのを感じることもあれば、正念の場が邪悪を消滅させる強大な威力を体験し、神の慈悲の境地を感じ取ることもあります。
ここで言いたいのは、私もこのような過程を経てきたということです。発正念の効果を全く感じられず、単なる形だけのものになってしまっていた状態から、徐々に発正念の超常的な威力を感じ取り、そして発正念を重視し、真面目に発正念をするようになってきたということです。もし私たちが自分にこのような能力があることを信じていないならば、それは師と法に対して充分に信じていないことではないでしょうか。このように信じないことは逆に、自分の能力を阻止してはいないでしょうか。発正念の結果が見えないとしても、それは表面上自分に見えないだけで、他の空間では天地がひっくりかえるほどの変化が発生しています。なぜなら、大法の法力は無限だからです。
師父が法を正す肝心な時期に、師父の法を正す進展にしっかりとついて行き、厳粛に真面目に発正念をし、衆生を救い済度しましょう。
以上は個人の悟りであり、もしも法に基づいてないところがあれば、慈悲なるご叱正をお願いします。