正念について語る
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文/黒竜江省の大法弟子 明智  

 【明慧日本2020年9月18日】私が大法を修煉し始めた時、煉功点で起こったある事件について考えさせられました。Aさんは年配の修煉者で、昔中国での師父の説法講習会に参加したことがあります。彼女の性格は非常に気丈で、法に対しても敬虔です。修煉する前は半身不随で介護されなければならない状態でしたが、修煉後は自由に歩けるようになり、炊事や洗濯、買い物に行くことも出来るようになりました。ただ片手だけは効かないようです。ある時、彼女は片手で服を縫っていたのですが、縫っている途中で自分の効かない手を叩きながら「お前はいらない」と言って、効かない手を手で後に回して捨て置きました。その時、私はAさんは偽りの病業を認めない強い人だと思いました。

 師父は「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある」[1] と説かれました。人間の不屈とは、人間の観念であり、病業を認めないことは、自分の肉体を手放すことではないのです。Aさんはこの念で、病業の偽りの現象を引き起こしたと気がつきました。

 その後、Aさんが倒れて外に出られなくなったと聞き、妻と2人で見舞いに行きました。私達を見てAさんは悔しそうに泣いていたので、私達は「あなたは長年の試練と苦難を乗り越え、大きな縁があり、師父の説法講習会にも参加できて、なんと幸運なことでしょう」と慰めました。彼女は手足の調子が悪いと言っていました。私はAさんに、師父は『物事の善し悪しは人間の一念によるもので』[1] と説かれていますよ。師父の説法の通りにすれば、体の状態は必ずよくなります」といい、木櫛を手に取り、彼女の手を握って髪をとかしてあげようとしたのですが、彼女は手が届かないと言うので、「大丈夫よ、きっと手は髪に届くわよ」と言って、彼女の手を握ってゆっくりと2回くらい髪を梳きました。その後、自分で梳いてみたら、と彼女に言うと、彼女は本当に1人で出来るようになりました。彼女は嬉しそうに微笑みました。これは本当に師父のお陰です。20年以上も効かなかった彼女の手が数分で髪を梳くことが出来たのです。

 もう一人の同修Bさんですが、昔、夫に支えられて法を学ぶために煉功点にやって来ました。しかし彼女も半身不随で口が曲がって涎(よだれ)を垂らし、話すことすら出来ず、身体は斜めに傾き、立つことすら出来ませんでした。そこで、彼女の自宅を煉功点にしました。ある日、彼女が頭上で法輪を抱えていた時に、手を頭の上に上げることができ、両腕も円形に抱えられるようになりました。 短期間で、法を学び、煉功を通して彼女の体は正常に戻りました。多くの同修はBさんの変化を目にして、彼女に聞きました。Bさんは「私は功を煉る時は(上げられないので)腕を上げず、頭の上で法輪を抱える時は片手を頭上に、片手を胸の上に置いて、自分は両腕を自分の頭上に置いて法輪を抱えているように想像していました。毎日のように、功を煉っているうち、いつ身体の状態が良くなったのか私自身もわかりませんでした」と皆に話しました。

 観念が違えば、身体の状態も変わります。修煉者は必ず正念で問題をみるべきです。大法は超常的なものなので、超常的な理で自分を律しなければなりません。人間の理で物事の正誤を判断してはいけません。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/9/15/411809.html)
 
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