文/中国青年大法弟子
【明慧2020年7月31日】私は90年代に生まれ、子供の頃、法輪大法を修煉していた祖母のお陰で、私は幸いにして大法に触れることができ、大法に関連のある不思議な出来ことを耳にしていました。当時、まだ小さかったので、大法はどんなものかが全く分かりませんでした。少し成長してから、大法の中に含まれる奥深いものがまだ理解できなかったものの、心の中では「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を認めて賛成していました。
成長の過程において、残念なことをしてしまったのは様々な原因で祖母について一緒に法輪大法を修煉しなかったことでした。しかし、幸いにも宇宙の特性『真・善・忍』の理念に基づいて良い人になる理屈が分かってきました。最終的に、2019年8月に、縁があって私は法輪大法の修煉の道を歩んで来ました。
他の街の大学で勉強していた私は、卒業する前、一般的にはそんなに重視されていない病の「痔」を患いました。思いもかけなかったのはこの小さな痔の病で人生で、最も暗く、最も辛い日々を体験しました。
最初は保存療法(座薬で緩和)を用いましたが、だんだん病状は進行していて歩行までも困難となり、1日中ベッドに横になり元気がなくなりました。すると、両親に連れられ病院へ行って検査を受けて、直ぐに手術が必要だと言われました。術後の最初の段階の回復は比較的に良かったのですが、半月後、見た目では既に治っていた創口から突然膿が絶えず出てきました。トイレの時間帯には、さらに死ぬほど痛かったのです。その後、原因不明で毎日、昼から夜まで微熱が続いていて、夜になると高熱が出ました。しかたがないので、街で一番有名な専門医を訪ねて行って診察を受けましたが、やはり原因不明でした。一番良い抗生剤で一時的に発熱を抑制するしかなかったのです。
その間に、祖母は試しに私に大法の本を読んでみるようにと勧めてくれて、練功も一緒にしてくれました。その時の私は悟りが鈍く、怠惰で消極的、坐禅の時の足の痛みを怖がり、射幸心などの様々な常人の考え方を持っていたせいで、心より修煉しようとしなかったのです。しかし、慈悲なる師父はやはり私が煉功していた時、身体を浄化してくださいました。煉功時に、現れた業を滅す現象(嘔吐、高熱、痔の創口からさらに大量な膿の流出)に対して、口ではこれが「消業(業を滅すこと)」だと言っていましたが、潜在意識にはこれらの現象は「病」だと見受けていました。数日後、痔の創口の近くにまた大きな膿庖が出てきました。これこそ、私の我慢の最低ラインを破ってしまって、結局、病院へ行ってしまいました。したがって、今回の大法修煉のチャンスを失い、そして、だんだんと離れていってしまいました。
またこの一歩を間違えたせいで、その後、次々と間違いの連続でした。3カ月も経っていないうちに、私は前後3回手術を受けました(1回目を含め)。活力が大いに損なわれてしまいました。経過中、発熱の原因がずっと不明だったため、医師はひたすら血液疾患を疑い、血液・腫瘍内科へ転科され各項目の検査を受けて、心に大きなストレスをためていました。良かったのは検査結果は正常でした。しかし、医者たちは、また困ってしまいました。
最後の手術は全く心の準備が出来ていない状態で受けてしまいました。家族と私は直感的に痔の創口より膿の流出が発熱の原因だと考えていましたが、医者達は、これまでの自分たちの経験、及び各項目の検査と診察の結果を踏まえ、依然として創口からの流出物が分泌物だと、「正常現象」だと判断しました。しかし、数回を通じて、両親と医者は話し合った後、やっと医者たちに注意を支払わせ「肛周膿腫」が強く疑われました。病状の経過が長すぎたため、まだ確定診断が出ていない状況で、臨床実験室の「小さな白鼠」のように実験テスト(手術)を受けました。術後はやっと再発熱が出なかったが、創口面積は比較的に大きい(3つ穴開き、最大の穴は卵サイズ大)、それに、創口は奥から外へと癒着していくため、回復の経過は非常に緩慢で、さらに、私に死ぬほど辛い体験をさせたのは毎日、朝と晩の2回創口ガーゼ交換のことでした。まずは、創口に充填していたガーゼを取り出して(ガーゼが創口周りの組織との癒着の原因で、いつも創口周りの組織とも一緒に取り出されてしまう)、ポビドンヨード付き綿棒で創口を洗浄し、それから、薬を漬けたガーゼで再び創口を塞いでいて、このような処置は繰り返して続けられました。
その期間中、私は心身とも大変辛かったのです。時々刻々恐怖、圧迫感、悲しい、絶望などの心境に置かれて、その上、術後に残された一連の後遺症のせいで、私は軽度のうつ病になりました。とても長い期間を経て、しばらくして症状は無くなりました。
身体がいわゆる「回復」後、私は他の県へ仕事に行ってきました。正常な生活に戻ってきたように見えたとたん、突然、体にまた異常が出ました。以前の主治医の数回の診察を受けた後、クローン病が強く疑われました(原因不明の炎症性腸疾患のひとつで、比較的難治で、終身に再発リスクがある)。このクローン病の症状は腸結核、潰瘍性大腸炎の症状に極めて似ています。治癒せず、あるいはコントロール不良の場合には、以前に現れた一連の合併症は絶えず起きることになります。真の病因が見つかるまで、まず内服薬で症状を取り除くのを試みるしかなかったのです。しかし、二十数日間の内服薬後、依然として微熱が続き、また合併症で再入院となりました。
術後も根本的な原因が解決されませんでした。特殊な病勢で医者たちも困ってしまいました。再診察を受けて、うち1人の医者は一番最悪の結果(腸を切除)を私に告げてくれました。そして、武漢の消化器科の専門家外来を予約するようにとアドバイスしてくれました。病院のある科の1人の看護婦には姉がいて、彼女の病状は私と同じでした。私の実情を知っていた後、この姉は自分の主治医(武漢同済病院の専門家)を推薦してくれました。それと、彼女が当時ステロイド薬物療法でやっと病勢をコントロールできたことと、今まで毎日時間通りに内服薬を服用していること、ミルクや魚介類、辛い食べ物などを禁止していること、コントロール不良の場合には再発することなど、教えてくれました。これらのことを聞いた私は思わず気持ちが落ち込んでしまいました。しかし、どうしようもなく、迷う中で、両親と私は人にお願いして武漢同済病院の消化器科のその専門家外来を予約するしかなかったのです。
その期間中のある日のこと、病院で私に付き添っていた祖母が、「また以前に師父の書かれた『洪吟』を暗唱しています」「聞きたいですか?」と私に尋ねました。私がうなずいて、すると、祖母は『洪吟』の中の数枚を暗唱して聞かせてくれました。また、師父の説法の中のに「師父は当初、今年迫害を終わらせると決めていたのです。(皆が熱烈に拍手する)前期と後期を合わせて20年です。結局、旧勢力が手を出していくつかのことを変えてしまったのですが、溶錬炉の石炭が底をつき、火力も弱まり、このことも間もなく終わろうとしています。ですから、皆さんは今まで以上にしっかり取り込むべきです」[1]と説かれたことも教えてくれました。その時の私は驚いた表情で、この法輪功に対する迫害がいつ終わるのかと思いましたが、その日が近づいて来る際、突然言葉で表現できないほどの気持ちになりました。また、祖母は「師父は本当に慈悲ですよ! またより多くの人々を救いたい」と言ってくれました。これらの話を聞いた私は感慨無量でした。
その後、祖母は『洪吟五』を持ってきてくれました。最初は、基本的に母が読んでくれましたが、だんだん自分で読むことになりました。読んでいるうちに、私と母の心の奥底に触れる時に、私たちは涙が溢れてくることになりました。修煉の縁が訪れたかもしれません。あるいは、師父に対して恩を返す気持ちがあったかもしれません。また、あるいは、この更なる高い科学を試してみたいかもしれません。今まで、ずっと私の修煉を妨げる様々な考え方が一瞬なくなりました。そして、家に戻って真面目に修練すると決めました(病院内で煉功は不便なので、お昼に『洪吟』を読み、夜、寝る前に数枚を暗唱することしかできなかったのです)。
その後の数日のうちに、偶然にも一つの出来事が起きました。折角、予約が取れた検査は本来、一番早くとも退院後の一週間にできるのです。また、検査経過を加えて、前後で少なくとも約、半月がかかるのです。これが一番便利な方法です。ある日の朝、その看護婦の姉からは、彼女の主治医(私が予約した医師)は依頼され週末(土曜日)に来院され、一連の手術が行なわれる予定だと聞きました。その日、その主治医はスケジュールが一杯で、あなたが本院で診察を受けられる可能性は極めて低いが、それでも試してみると言ってくれました。
万分の一の希望で前回の予約で助けてくれた人に尋ねましたが、今回、彼女も力不足でした。丁度、私が諦めようと思っていた時、意外にも、私の主治医が予約の全ての手続きを取ってくれました。その専門家は診察後、腸結核強を疑い、とりあえず私にある特定項目の検査を受けるようにと決めました。そして、次のステップの治療方針を固めました(検査結果は異常なければ、まず、3カ月結核の薬を内服すること。そうでなければ、武漢でホルモン治療を受けること)。一週間の間に各項目の検査結果は続々と出ました。異常は無かったのです。こうして、私は順調に退院しました。
一見、不可能なことに思いもかけず私は巡り会いました。師父が助けてくださったと、早く家に帰り修煉するようにと私は分かっていたのです。師父と大法に感謝すると同時に、さらに自分は修煉しようと気持ちを固めました。
2019年8月に、退院して家に戻ってきました。私は母と修煉し始めました。練功し始めたとたんに、師父が私の身体を浄化してくださったの(練功しながら嘔吐していたこと)を覚えています。第一式の練功を終えたとたん、全身が疲れて仕方がなかったのです。そのあと、数回休憩を入れようと途中で中断したかったのですが、やはり最後まで頑張って動功をやり終えました。小休憩を取った後、第五式の静功をやり始めました。その当時、この第五式の静功は私にとって一番怖くて、抵抗のある功法でした。只、片足で坐禅して足がまだ高く立てている状態でも強烈な痛みを感じでいました。私は本当にどんな大きい業力をもっているのでしょうか!
練功してから4日目の朝、動功をやっていた間に、動作が以前より軽くスムーズに出来たと突然私は、はっきり感じていました。その次の数日間、また他の業を滅す現象が出てきました。私の髪の根元から汗がぼろぼろ出始め、静功を終えたとき、全身が震え寒くて、まるで氷倉の中にいるようでした。これらの現象は暫く続いていました。
その退院の日に、医者は繰り返し「時間通りに薬を飲み(3カ月内服を継続して、はじめて治療効果が判断できる)、それに抗結核薬が副作用は大きい、一旦副作用が出現したら直ぐに受診をするように」と私に言いました。正直に言って、私は心より薬を拒んでいましたが、ある原因で飲むしかありませんでした。
薬を飲んでいた数日後、師父が毎日私の身体を浄化してくださっていましたが、自分が絶えず体内に良くないものを注ぎ込んでいる、と悟り始めました。そこで、内服薬を止めると決心しました。しかし、修煉していない家族の年配者達はどうしても理解できず、最初は私を説得しようと試みました。それと私に心理的に圧力をかけてきましたが、私が依然として自分の考え方でやっていくと言うと、年配者達は「まずは1カ月薬を中止して様子をみるのはいいが、毎日必ず体温を測定しなければならない」と私に約束させました。その当時は、私は他のことを考える余裕がなく同意しました。こうして少なくとも年配者達は私の考えを受け入れてくれるし、一時的には自分の考えにも沿っていったと思いました。
1カ月の期限が迫って来ました。自分の身体が少しずつ良い方向に向かっていると感じたと同時に、毎日相変わらず微熱が続いていました。年配者達(母と祖母を除いて)は私の病気を治す希望を全て薬に託したようで、私に薬を飲ませました。しかたがない中、私は薬を飲まざるをえませんでした。また1カ月が過ぎて、薬の副作用は現れなかったのですが、合併症が猛烈な勢いでふたたび再発しました。ただ1日の間、肛門の近くに約鶉卵大の膿庖が出てきて、トイレの時間帯と歩いている時はとても辛かったのです。
その翌朝の練功時間帯になり、私はやっと起き上がりました。練功経過中の状態は最初の練功したときの様子に戻っていたようでした。普段は非常に楽々と出来ていた動作(第四式の手をつま先から脚の外側を通して踵の外側まで回す一周)も正しく出来ませんでした。とりわけ最後の静功は、最初から落ち着きませんでした。しばらくして練功を終えて、ベッドに倒れ力が抜けてしまいました。父は以前の辛い状態に戻っていた私を見ると、どうしても私を病院に連れて行くと言ってきかないようでしたが、母は私に自分で決めなさいと言いました。
人心と常人の考え方で私は不安と混乱の中、だんだんと冷静になってきて、正念を持ち始め、先程のそれらの考え方がすべて常人の考え方だと気づき始めました。今、私は修煉している人で、それらの良くない考え方を無くすべきだと分かりました。師父は「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」[2]と説かれました。それらの良くない考え方が消えた瞬間、どのようにしたらよいかが分かりました。
その翌日、奇妙なことが起きました。朝の煉功のときに、体の痛みは前日より随分良くなったと感じました。その後、私の肛門の近くにある膿庖が小さくなって、へこんでいたと、母が教えてくれました。不思議なことは膿庖が敗れていなかったのです。また、その2日後の午後、体温を測っていたら、正常範囲でした(ほぼ1年間発熱が続いていた私は突然正常体温に戻ってきた)。さらに、その2、3日後、その膿庖が完全に消えました。
師父の加持のお陰で、私はやっとこの業力の関を乗り越えました。2か月ぐらいの経過で、病院側は、まだ私の病因をはっきり確定できなかった状況の下で、膿庖が消え私は完全に元気になりました。偉大なる慈悲の師父に感謝し、私を修煉の道へ導いてくださり、私に新しい生命を与えてくださいました。
11月になり、3カ月の内服薬の期限になり(実際私は1カ月薬を内服した)、主治医からは検査を受けるようにと、私に電話がかかって来ました。その時、私は「私の身体は完全に回復しました。武漢へは行かなくでもよいです」(当時、武漢が間もなく新型コロナウイルス感染蔓延のことを知らなかった)と主治医に伝えました。最初は、主治医は内服薬で治ったと思いましたが、私は「退院後しばらくした後、肛門の近くにまた大きいサイズの膿庖が出来て、法輪大法の修煉を通じて、奇跡が起こり、膿庖が消えました」と経過を先生に話しました。私の話を聞いて、主治医は驚きました。このことは医学の角度から見ても不可能なことで、かつ、解釈できないことだと言われました。そして、検査の機会を借りて、私は「今、法輪大法を修煉しています。これらの奇跡は私が修煉してから起きたことです。現在、私の身体が回復しただけではなく、心性も向上できました」と先生に話しました。そしてまた、大法の真相と大法が世界で数多くの国々で広がっていることを先生に伝えました。最後には、先生も分かってくれました。また、今回の異常なしの検査結果は私の親戚と友達や、友人達にも大法で起きた奇跡を目の当たりにしました。
私は毎日頑張って大法の本を勉強しています。心性を修めることにつれて、大法の奇跡が他の面においても私の体に現れました。ことわざで「山河の改造は易しいが、本質を変えるのは難しい」。以前の私は他人に対してとても優しい人でしたが、家族に対してよく怒る人間でした。この悪い性格はずっと直らなかったのです。修煉してから、私はこのことを意識しており、そして、修煉を始めた時点から、真に『真・善・忍』の理念に基づいて物事を行なうように決めました。今まで、私は家族に対して怒ったことはないです。時に、あることに対して家族との考え方や意見が違ったりして、しかし、師父の説かれた大法「本当に修煉するには、心に向かって、内に向かって修め、内に向かって探さなければならず、外に向かって探してはいけません」[2]「われわれは、トラブルに直面した時、一歩引き下がれば世界が広々と開けると言っています。間違いなく違った世界が現われるのです」[2]を思うと、対立は間もないうちに解決でき、私の心もますます穏やかになりました。法輪大法こそ、私の悪い性格が直りより温和な性格に変わってきました。
以前、私はずっと両足で坐禅をするのを怖がっていましたが、修煉してから、この恐怖心がよくない執着心であり、取り除くべきであると意識しました。しかし、修煉過程の中に、この恐怖心が繰り返し出てきていました。暫くすると、私は師父の法を思い出しました「修煉においては、業を消去しなければなりません。業を消去するには苦痛を伴いますので、心地よく功が伸びることはありえません! さもなければ、修煉者の執着心をどうやって取り除けるでしょうか?」苦しみに耐えることは業を消去することです。こうすれば、黒い物質は素早く白い物質に転化することができるのです。本来、これはよいことでしょうか! 私はどうして怖がり、拒否しているのですか? 師父の加持のお陰で、この恐怖心が徐々になくなりました。修煉してから4か月の時、私はやっと両足で坐禅することができました。現在、1時間の坐禅もできます。修煉の過程において起きた奇跡はまだまだ沢山があります。自分が真に修煉の道を歩んで、初めて大法の素晴らしさと殊勝さを体験することが出来ました。
これらの体験を振り返ってみると、実際、幼いときから大人になるまで、師父はずっと私を見守ってくださり、悟るようにしてくださいましたが、私はずっと悟らずにいました。このようにして、私は初めて徹底的に目覚めることが出来ました。これからも修煉の道を歩むことになるでしょう。
再び師父に感謝し、大法に感謝します!
注:
[1] 李洪志師父の経文:『2019年ニューヨーク法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』