私達の正念で主導しよう!
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2020年10月14日】例えば、子どもが悪いことをたくさんして、他人にたくさんの借りを作って、他人にたくさんの損害を与えてしまったとしましょう。その子の親が、「あなたはうちの子なので、自分の過ちを認めればいいのです。あなたの耐えるべき罪は親が代わりに耐えます。作った借りも親が返します」と言ったなら、子どもに対してかなり甘いと思いませんか?

 また師父は、私たちの生々世々に負っている業力を、バランスが取れるように按配して修煉できるようにしてくださいました。どれだけ力を尽くし、どれだけ耐えてくださったのでしょうか? このようにして、一部の同修の中には、病業の関を乗り越える時に、少し辛い思いをしたらもう耐えられないので、師父にお願いして、業力を解消してもらいたいと懇願する人もいます。

 同修の皆さん!  物心がついた子供が、自分の代わりに業を消してくださる師父が苦しんでおられるのを見たら、全く動じないでしょうか? また、病業を乗り越えなければならない人がいて、病業の状態が深刻になると「もういいや、この体はもういらない。もう我慢できない、辛すぎる」と言い出しました。同修の皆さん、考えたことがありますか? そう言った時、それを聞いた師父はどんな気持ちになられるか知っていますか? 師父は「実は、皆さん自身よりもわたしは皆さんのことを大切にしているのです!」[1]と説かれました。

 師父は私たちを地獄から引きずり出し、私たちの代わりに無数の罪を被ってくださり、私達が修煉できるようにしてくださり、師父にたくさんのご心配をおかけしたのです。私達はつらい病業の中にあっても、平然として向き合うべきではないでしょうか? 痛みやトラブルは次元を向上するはしごではないでしょうか? 修煉者は痛みに対して、なぜそんなに恐れるですか? 師父の説かれた法をどれだけ信じているのですか? 法を正す時期の同修の皆さん!  師父が何を期待されているのか、考えてみたことがありますか? 私たちが負わなければならない責任を考えたことがありますか? 師父は弟子に「成熟」してほしいのではないでしょうか? すでに歩けるようになっている子供なら、師父にご心配をおかけしないようにしましょう。同修の皆さん、私達の正念で主導しましょう!

 ここ数ヵ月、私たちの地域で亡くなった同修がいます。この文章は今、病業の関を乗り越える同修のために書いています。適当でないところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「最後の執着を取り除こう」

 
(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2006/11/7/141786.html)
 
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