自分を100パーセント修めることは、とても良いこと
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 【明慧日本2021年5月3日】最近、私は内に向けて探すことを経験したその心得を皆さんと交流したいと思います。記事に言及されている現象は、あくまでも修煉の過程を説明する為のものであり、正しい修煉の道を歩むことが目的ですので、関係する同修を傷つけてしまったり、正確さを欠いてしまったりした場合は、どうかお許しください。

 地元のB同修は協調人です。私たちはB同修が長年にわたり資金の出どころや使い道について、いつも厳粛ではなかったと思っていました。多くの人がこのことを知っており、しかしB同修はあまりにも強いため、他の同修は陰口を叩くことしかできず、あえて直接会って話したことがありませんでした。

 最近、私たちはB同修が作成した資料が不適切であることに気がつきました。私は配布しない方が良いと思い、他の同修に自分の意見を言っただけで、最終的に資料作りのことを決めるのはB同修です。

 家に帰ってから、一晩中考えてみたところ、自分がずる賢くなったと感じました。このことは法に符合していないと確信しましたが、同修や大法に対して責任を取らなかったのは、自分自身なのです。

 この時、B同修と2カ月以上会っていませんでした。この期間、他の同修は長い間彼女を見つけることができず、間違った道を歩んだ為迫害されているのではないかと心配しました。私ともう一人の同修はまず旧勢力の迫害を否定し、そしてB同修と会ったら、彼女と法のために責任を持つという基点に立って、資金の問題と資料の問題について素直に交流したいと思いました。

 以上は「出来事」の経緯を伝えましたが、本当に言いたいのは下記の通りです。

 B同修と交流することを思うと、私が真っ先に思い浮かべたのは恐怖心でした。その同修と仲たがいするのではないか、受け入れられずに騒ぐのではないか、大きい声で私を叱るのではないか、色んな説明をしてくるのではないかという恐怖心です。また反映されたのは腹立たしさです。同修の嫌な表情も見たくなかったのです。いつも彼女にアドバイスをすると、強く拒絶されるからです。

 自分の考えをA同修に打ち明け「こんなに多くの人心でB同修に言ったら、逆効果になるのではないか」と言いました。A同修は「完全に同修のためと思えば良いのです。彼女も大変でした。今まで頑張れた同修は皆すごいのです」と言いました。師父は「わたしがいつも言っているように、ある人が他人のためだけを思って、しかも、自己の目的と認識を少しも抱かなければ、語る話は相手に涙を流させるのです。わたしは皆さんに大法を教えただけではなく、わたしの行ない方をも皆さんのために残していますが、仕事のときの口調、善の心、それに加えて、道理で人の心を変えることはできても、命令では永遠にできないのです! ほかの人は、心の中では不服で、ただ表面的に服従しているだけであれば、見られていないときに、相も変わらず自分の思うがままに行動するのです」 [1]と説かれました。私は師父が説かれたようにすれば良いのですと言いました。A同修は「師父の法に従い、まず自分を修め、自分を清め、完全に同修のために思うことなのです」と言いました。

 ここまで書いたら、問題の解決方法を見つけた気がして、長いあいだ自分が乗り越えられなかった原因を見つけた様に感じました。昇華することを阻んでいるのは出来事から離れられず、100パーセント内に向け探していなかったからなのです。今までは他人を見ながら自分を探しており、たまには自分の原因の方が多かったり、他人の方が多かったりしていました。そして「人を気づかせる」ことを隠れ蓑(みの)として、あたかも他人のためになるかのようにしていたのです。なんて狡い心なんでしょう。ここ数年、何度チャンスを無駄にしてきたことか。何度もめ事が起きても、外に向かってああだこうだと言って来たのです。

 本当の修煉は、100パーセント内に向け探すことであり、少しでも外に向けて見ることは本当の自分を修めることにはならないと今では悟りました。100パーセント内に向けて探すことこそ、謙虚になって真相が見え、法理が現れ、次元を高めることが出来るのです。

 慈悲なる師父に感謝致します、A同修に感謝します、協調人同修に感謝します(今までお疲れ様でした)。このことをきっかけに一緒に向上することが出来ました。これは師父が苦心して按排して下さったのです、本当にありがとうございました。

 数日後、B同修と会いました。この時点では、自分がどう言ったら良いか、同修にどうあってほしいとか、どう思っているのか等の考えがなくなり(師父が取り除いてくださった)、ただ冷静に、親切に自分の理解、意見を伝えました。本当に不思議で、B同修も落ち着いて聞いてくれ、最初から最後まで穏やかな雰囲気でした。

 注:
 [1]李洪志師父の著作:『精進要旨』「はっきりと目覚めよ」

 【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】

 
(中国語://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/23/423576.html)
 
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