アメリカ人の夫と暮らす中で、共産党文化を除去
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2021年7月8日】私はアメリカに来て、すでに10年経ち、自身が持っている共産党文化(以下、党文化)を除去することに留意していますが、アメリカ人の夫と結婚して一緒に暮らす2年の間に、自分にはまだ気づいていない党文化がたくさんあることがますます分かりました。

 一、マナー

 まずは一番基本的な生活マナーからお話します。例えば服装について、ふだん私は服に無頓着な人間ではありませんが、一人で家にいる時、特に去年から新型コロナウイルスの影響で在宅勤務になったので、基本は毎日ホームウェアを着て家で仕事をしています。ところが夫は毎日、朝食を食べ終わると洋服に着替えて、出勤と同じ状態で座って仕事を始めます。髪も丁寧に整えます。

 毎日食事をする時も、夫は必ずテーブルナプキンを敷いて、その上にお皿を置いて食べます。二人の食事はいつも皿を分けています。最初、皿を分けていなかった時、私が自分のお箸で皿に料理を取って、それから口に入れると、夫に変な目で見られました。「このように食事をするのはマナーが悪いと思っていますか」と尋ねると、「あ、ちょっと変だなと思う」と夫は答えます。これは彼がよく使う遠回しな表現です。

 私はご飯を食べるスピードが速く、食べながら考え事をしています。夫はゆっくり食事をして、時々深呼吸をして目をつぶって、食べ物の味をよく味わいます。彼は食べ物に感謝しながら、心を込めて食べ物の美味しさを楽しんでいることが分かりました。それは食べ物を尊重することを含めて、自分に関連するすべてのことを尊重するという彼の生活態度だろうと思います。

 実は、中華民族の伝統文化はとても儀式を重んじるのです。中国の「礼、楽、射、御、書、数」という伝統的な六芸の中で、「礼」が一番に置かれています。年越しと祝日の時に皇帝は大臣たちを率いて天地に参拝をします。

 私は電話をする時、よく聞こえるようにスピーカーを使ったりして、自分にはよく聞こえますが、人への配慮を忘れてしまいます。しかし夫は長電話や重要な電話の時、イヤホンをつけてドアを閉めて、私に迷惑をかけないように気を付けます。時々、何かのことをはっきりしたい時、つい声が高くなるので、夫はいつも「怒らないでください」と言います。私は「怒っていませんよ、ただはっきりしたいだけです」と言います。彼から見れば、私はすでに興奮していて、落ち着きのない状態なのでしょう。

 「中国人はどこに行っても大声で騒いだり、呼んだりしています。大陸では皆、これに慣れていますが、国際社会にとっては受け入れがたいことです。改めなければなりません。しかし、大陸からの中国人は確かに世界の人々にこのような印象を残し、海外の中国人も恥ずかしいと思い、面目がないと思っています。しかし、知っていますか? 中共邪党はこれを中国人に教えたりせず、人々に正しいことを教えていません。中共邪党は目的をもって世の人々に中国人のこの姿を見せており、中国人のイメージを台無しに、中国人の尊厳を破壊するためです。中国人自身もなかなか気づかないのです。私が思うには、海外に来る機会が増えれば、少しずつこの社会が違うと気づき、徐々に気をつけるようになり、そのうち良くなります。身についた習慣はなかなか取り除くことができません。中国人に闘争を教えた党文化が原因で、人間の性格まで変わってしまいました。爆発しないと気が済まないという性格、中共邪党が教えたこれらのことは改めなければ本当にいけません」[1]

 二、言葉の中の党文化

 夫とは英語・中国語の相互学習コーナーで知り合いました。私の英語はあまり上手ではなく、ここ2年間、下手な英語を喋ってよくミスをしますが、ミスの背後に実は党文化の思考回路が存在しており、言うことはいつも自己中心的で、相手の気持ちを無視していると気づきました。

 例えば、相手が私に何かを尋ねて、私が必要ないと思う場合、よく「no (いいえ)」と答えます。夫は「I am good、thanks。(けっこうです、ありがとう)」と言います。比べてみると、私の返事は相手を否定しているようで、夫の答えは「今はいいです、必要ありません、ありがとうございます」です。

 また、私はよく「you can (あなたは……していいです)」を使用します。例えば、「これを私は食べないので、あなたは全部食べてもいいです」と言います。夫は「you are welcome finish it(もし食べてくれれば嬉しいですが)」の言い方を教えてくれました。「もし」と「……てもいいです」は、前者は相手に決めてもらい、後者は上から目線のようです。

 それに似たようなもので、私はよく「you should (あなたは……をすべきです)」、「do you understand (分かりましたか)」を言います。夫は「have you tried to (……してみませんか)」、「Am I making sense (私の言ったことは通じましたか)」と教えてくれました。人を尊重するといえば、夫は食事の時、私におかずをくれる時、若しくは何がほしいかと聞いてくる時、いつも「Do you mind (……していいですか)」と言います。私は「していいですよ、こんなに良いこと」と思っているので、結婚当初、何か美味しいものがあれば、私は聞かずに直接彼の口に入れます。もちろん、夫はびっくりして引きました。自分がいいと思って人に押しつけるのは無謀な行為で、相手を尊重しないことになります。

 自分の見解を表す時、私はよく「it's not good (これは良くない)」と言います。夫にとっては、「it's not good」は自分の基準で相手を決めつけることで、自分が良くないと思っても他の人が同じように思うとは限らないので、「I don't like it (これが好きではありません)」を言ったほうがよいと夫はアドバイスします。しかし、夫から「I don't like it」もほとんど聞いたことがなく、夫は比較的婉曲な言葉で表現します。物事と人に対する尊重を示すほか、自分の意見を柔らかく、相手を傷つけない形で表します。

 ある日、夫にネクタイを買いました。たぶんその柄があまり好きでないのでしょうか、夫はストレートに「好きではない」と言わずに、「このネクタイに対して好感を持つには少し時間がかかります」と言いました。暫くすると、「このネクタイに対する好感が増えました」と言いました。彼の態度は私に「口を修める」ことを教えたようなものです。

 ある日、夫にある人のことを愚痴りました。ストレートに不満をこぼすのでなく、柔らかい言葉を探して言ったつもりですが、夫は「あなたはこの人が好きじゃないでしょう」と聞いて、私は「そうです」と答えました。夫は「それは嫉妬心ではないでしょうか」と言いました。西洋の社会文化の中ではふつう相手を良いほうに思って、言う時も人の良い所を言って、自分を持ち上げたり他人を貶めたりしません。簡単に人を疑ったりせず、物事の信ぴょう性を確かめる時に証拠を重視し、理性的に問題を判断し、総じていえば西洋社会の人は中国人より人に優しいのです。

 もう一つ、私はよく聞き返す言い方、つまり「why not」のような言い方をします。実はその中に闘争心が隠れていますが、夫と一緒に生活するまでは自覚していませんでした。例えば、「なぜドアを閉めないのですか」という言い方に、相手を責める気持ちが隠れています。夫と付き合い始めた頃、「人に言われたくない」ことは夫の一番大きい執着心だと思いました。どうしてと考えて逆に自分を見てみると、自分はいつも外に向けて探していることに気づきました。修煉者はもし大法の要求通りに誠実で善良で、寛容な人間になると、つい人と闘おうとせず、また、言葉上のいがみ合いで相手を圧倒することを通じて心の満足を得ようともしないでしょう。争いの言葉の背後にあるのは、中国共産党(以下、中共)の闘争哲学がもたらした、傲慢と劣等感が同時に存在する歪んだ人格です。一方、伝統的な西洋人は宗教と文明の導きの下で、礼儀正しい言葉を使い、社会全体は穏やかな状態にあります。

 三、マイナス思考

 夫の長所で、私が最も好きなのは、常に前向きに考えることです。私は「今日の坐禅はとても足が痛かったです」と言えば、夫はきっと「良かったね、痛いのは良いことです」と言います。仕事に嫌なことがあっても、例えば他の同僚に営業成績を奪われても、夫は文句を言ったことがなく、「勉強になりました」としか言いません。二人で散歩に行く時、夫は家に鍵をかけることは一度もありません。世の中に悪い人はいないと信じているからです。車も鍵をかけるどころか、降りる時に車の鍵を座席に無造作に置きます。それは泥棒のために周到に用意したのかと私は時々思います。

 旅行中に博物館を訪れた時、夫はプロ使用の高いカメラで写真を撮っていました。歩いていると、「おや、私のカメラはどこにありますか」と言って、私は「しまった」と思頭が真っ白になりました。しかし次の瞬間夫は「大丈夫、サービスカウンターに行って聞いてみます」と言いました。きっと誰かに拾われてサービスカウンターに届けられたと確信しているので、慌てず悠々と下に降りました。しばらくしてカメラを持って帰ってきましたが、彼の推測通り、誰かが拾ってサービスカウンターに届けてくれていました。

 西洋社会の文明に感心するほか、夫は悠々自適で、カメラが見つからなくなることを全然心配しない態度に感心しました。実はこれも一種の師父を信じて大法を信じる状態です。大法弟子として「修煉者は自然に任せることを重んじるべきです。自分のものなら、無くなることはないし」[2]という法理をみんな分かっているでしょう。また、修煉者の一念で物事の結果も違ってくることを、大法弟子としてみんなが知っています。ネガティブな考えや悪意を持つ時、対応する空間もきっと闇に葬られます。ポジティブな考えや善意を持つと、対応する空間はきっと晴れて明るいのです。

 私自身は、何かに遭遇するとまず悪い方向へ考えて、まず相手を疑って警戒します。実は党文化の中で、神を信じず、天理を信じず、道徳の制約がないという大前提の下で、人々は習慣的に敵視・防犯心理を抱え、相手を警戒することは社会の常態になっていて、最大限に警戒することを通じてはじめて安心感が得られたのです。

 西洋人の生活状態を見ると、マイナス思考や消極的な感情は人間の純真的な本性とそぐわないことを意識しました。実は中国の伝統文化にも、人と人の関係について「兄弟のように」と語っています。孔子の『論語』に、「君子は敬う態度を取り、間違いを犯さず、人と交際するのにも慎み深くし、礼を失わなければ、世界のすべての人々が皆兄弟なのです」とあります。先日、中国にいる家族と電話して、家族は「今、共産党は伝統文化の回復を提唱している」と言いました。私は「しかし伝統文化の中心は、天を敬い神を信じることなのです……」と答えました。

 四、相手をコントロールしようとする

 自分は相手をコントロールしたい人間だとは思いませんが、些細なことで「馬脚」が見えてきました。例えば、夫が車を運転する時、私は横で「ゆっくり運転して」、「そこを見てみよう」、「ここを見てみよう」、「前を見て」、「後ろを見て」と注意します。夫は「車を運転するのは僕なので、僕は見ますよ」と直言します。どうして夫の運転に不必要な心配や注意をするのかと反省したら、彼を信用せず、全局を掌握しようという心理だと分かりました。

 もう一つ例を挙げます。ある日、2人がソファーを家の外へ運ぶとき、私は指揮者になって、誰が前に歩くか、夫にどちらを持ち上げてもらうか、どのような経路をたどるかなどを指示しました。夫は「私は男です」と言いました。むやみに指揮しないで、と言いたかったのでしょう。その時、「女人強剛たりて、強豪ぶり 上調子、言酷薄たりて、家の采配を振る」[3]を思い出しました

 私の言動の裏には党文化が存在して、相手を自分の目の届く範囲、コントロールできる範囲に置きたいのです。独りよがりもあります。西洋社会の中では、人々は自分のことをしっかり行い、仕事上の人間関係を正しくしながら相手を尊重します。

 結び

 鏡のように私の身に存在している党文化を映して気づかせてくれた夫に感謝します。彼と築いた党文化のない家庭の中で、和気あいあい、気楽、互いに敬愛するということはどういうことなのかが分かりました。同時に、党文化の中国人に対する長期的な毒害、日常生活の各方面に与えた影響も痛感しました。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:「二〇一六年ニューヨーク法会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の著作:『洪吟三』「陰陽背反」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/29/426266.html)
 
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