ワクチン接種の問題をどう見るべきか
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年12月6日】師父の新しい経文『目覚めよ』が発表されてすぐに、同修と議論をしてみると、この問題についてより明確になりました。

 師父は「ワクチン接種を頑なに拒む人もいます」[1]とおっしゃっていました。私の理解では、師父は予防接種そのものの善し悪しを言っているのではなく、私たち修煉者がこの問題をどのような基準で見ているかを説かれているのだと思います。

 ワクチンが発売され、政府が国民に接種を呼びかけていた頃、修煉者の中にはワクチンに毒があるのではないかと恐れ、接種を拒否する人もいました。また、修煉者の体は浄化されていて、ウイルスを殺すエネルギーを持っているのだから、接種しても意味がないと考える修煉者もいました。

 私は、絶対的なものはないと思っています。個人の修煉における損得勘定は捨てて、人を救うことを第一に考えるべきだと思います。

 例えば、外国では、ある場所でワクチンパスポートが必要だと聞きました。このパスポートがなと、修煉者は人を救いに行くこともできません。その場合、人を救うためにワクチン接種をすると言う考え方もありますが、絶対的なものではありません。中国では、まだほとんどの人がワクチンを支持しています。私たちがワクチン接種を拒否すると、理解できない人もいるでしょう。また、彼らの気持ちを考え、私たちがワクチン接種を拒否することで、将来的に彼らが救われることに影響があるかどうかを考えなければなりません。

 一方、私は親戚の例を参考にして、ワクチンの潜在的な害を人々に説明することができたので、再び注射を受けるように迫られることを避けることができました。

 私の親戚に医療従事者がいて、パンデミックの発生源や拡大についてよく知っています。彼は、大規模なワクチン接種は、一般市民を対象とした大規模な実験のようなものだったと話していました。

 しかし今では、ワクチンの接種は政治的な課題となっています。私の親戚は、仕事を続けるためにワクチンを接種しましたが、多くの副反応が出て、周囲の人もそれを知っていました。しかし、彼の居住区では、共産党の脅迫を使って接種作業を進めていたため、一部の人は接種を受けていました。

 私が住んでいるマンションの管理人がワクチンの話をしたとき、面白いことを言いました。「あなたは海外に行くわけでも、街に出るわけでもないのに、なぜワクチンを接種するのですか?」

 彼の表情から、ワクチンの意味がはっきりしていることがわかりました。また、居住しているコミュニティのスタッフからも電話があり、ワクチンの接種を促されました。私はその人に、親戚が注射を受けた後に起きた副作用のことを冷静に話しました。私は、その人は自分の仕事をしているだけだと理解していますが、ワクチン接種は任意であるべきだと言いました。その人は何も言わずにすぐに電話を切ってしまいました。

 私が気づいたのは、その間、予防接種会場には救急車が停まっていたことです。症状が出て病院に運ばれても、医師は「予防接種のせいではないです」と言い続けていました。医師は弁解のあまり、かえって真相を漏らしてしまったのです

 実際、私たちの周りの多くの人々は、躊躇していましたが、徐々にワクチンの副作用を目の当たりにし、当局の無責任さをはっきりと知ることになりました。今、私たちの地元では、ワクチンを接種していない住民がたくさんいますが、人々はそれを悪いことだとは思っていません。

 つまり、ワクチンを打つかどうかは、修煉者がどのような環境に置かれているかによって、それが人を救うことにつながるかどうかが決まるということだと理解しています。

 修煉にはお手本となる人はいませんし、誰かをお手本にしてはいけません。師父の法の教えに従い、師父と大法を心から信じてこそ、修煉の道の最後の一歩をしっかりと歩むことができるのです。

 以上が私のレベルでの理解ですが、不十分な点がありましたらご指摘ください。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『目覚めよ』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/11/24/433957.html)
 
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