文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年9月6日】ワクチンを接種するかどうかについて、多くの共有記事が出ています。私の考えをいくつか紹介したいと思います。
第一に、中共ウイルスのパンデミックの発生と発展は、もはや特定の地域や国の問題ではなく、全世界に関わることです。世界的な大流行が起こりうるということは、それが天変地異の一部であることを示しています。
師はこう明言してくださいました。
「しかし、今の『中共ウイルス』(武漢肺炎)のような疫病は目的と目標を定めています。中共ウイルスは邪党の党員、中共邪党の支持者を淘汰するためにやってきたのです」
「疫病自体は神が段取りしたことであり、歴史の発展において必然的に現れるのです。人心が悪くなれば、業力を造り、病にかかり、災難に見舞われるのです。この時期に神を信じていない人は何らかの措置を取るでしょう。措置という言葉の同音語がすでに、措置はすなわち『錯誤の実施』と示唆しているのです(注)」 [1] (注:措置の中国語は「措施」。「措」と錯誤の「錯」は同音異字であり「施」は実施の「施」と同じ)
その意味では、ワクチンも一種の「対策」であり「誤ったアプローチ」なのかもしれません。ワクチンがどれだけ人をウイルスから守るのか、守る期間はどれくらいか、悪影響はないのか、抗体依存性増強(ADE)効果によってワクチンを接種した人がより重い感染症にかかるのではないかなど、まだ解明されていないことがたくさんある中で、この規模の疫病は「天は中国共産党を滅亡する」への一歩であり、いわゆる「ワクチン接種」は、その滅亡につながる自滅的な行動の一つではないかと私は考えていす。
第二に、「ワクチン接種」という対策は、間違っているかもしれませんが、現在、世界各地で行われている「予防接種」の導入には、何らかの天象の按排があるはずです。
師父は「私たちが見た多くのこと、この社会に現れた乱れた現象は、この社会が宇宙の堕落している趨勢に従っているため生じたのです」[2]と説かれました。
私たち大法弟子は、このワクチンが普通の人には良くない、むしろ危険であることを知っています。加えて、共産党のやっていることは悪いことに違いないと皆が思っているので、絶対に応援したくないのです。しかし、社会も宇宙も、ここまで堕落してしまったのですから。多くの人が神への信仰を持たなくなった今、根本的な問題を解決するために自分の中に原因を探したり、道徳を向上させたりすることは困難です。彼らが頼りにしているのは、いわゆる科学と予防接種です。彼らにとって、ウイルスから身を守り、パンデミックを抑えるためのワクチン接種は至極当然のことなのです。
多くの国がワクチンの義務化を推進していることから、少なくとも、義務化ではなく個人の選択であるべきですが、人々に広く受け入れられる概念であることがわかります。ほとんどの人にとって、「強制的なワクチン接種」と「迫害」を結びつけるのは難しいかもしれません。ですから個人的には、私たち大法弟子が時間と体力を費やして変える必要はないと思います。
ワクチンに抵抗するということは、実は社会全体の風潮と戦っていることになります。特に、ワクチンを打っていない人が感染して、他の人にも感染しやすくなると考える人もいます。私たちがなぜワクチンを打たないのか、また打たないよう、説得することが理解できない人は、私たちを誤解している可能性があり、将来的に大法の事実を明らかにすることも難しくなります。
仮にワクチンを打たないように説得できたとしても、大法の事実を理解していなかったり、中国共産党を辞めなければ、他の危険な状況に直面するかもしれません。しかし、もし彼らが法輪功迫害の事実を理解したり、中共を辞めたりすれば、パンデミックは彼らとは無関係であり、ワクチンを受けようが受けまいが、根本的に救われるのです。
第三に、修煉と俗世間とのバランスをとる必要があります。
ワクチンを打つべきかどうかという問題ですが、個人の修煉という観点からは、絶対に打つ必要はありません。仕事をしていない人は、会社からの圧力を受けることはありません。しかし、職場でワクチン接種を義務付けられている人にとっては、強制的に受けさせられても心性的には問題がないと理解しています。例えば、戦時中に軍隊に徴兵された場合、戦闘で誰かを殺傷する可能性を考えて、戦闘に参加しないということができるでしょうか?
もちろん、日常的にワクチンに反対している人たちもいますから、ワクチンの義務化に抵抗することがまったく無意味というわけではありません。少なくとも、政府の行き過ぎた行為に対して行動を起こしている人はいます。しかし、私たちは、ワクチンに抵抗することにあまり時間と体力を使わず、自分の使命に集中して、大法弟子の任務を遂行すべきだと思います。
以上が私の個人的な理解です。適当でない所があれば、ご指摘ください。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『理性』
[2] 李洪志師父の経文:『大紀元新唐人メディア法会での説法』
【編集者注:この文章は筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び比して修す」のためのものです】