求めることから責任を取ることへ
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 【明慧日本2023年3月25日】最近、複数の同修から「どうやって修めたらいいのか、ようやく分かりました」と言われました。実は私も同感です。以前、「これは修めているのだろうか」「こんなに多くの人心を抱え、修めていると言えるだろうか」とよく実感していました。ではなぜ、今は修煉の状態になったのでしょうか。これについては、私のささやかな悟りで、次元には限りがあり、法に符合していない点があると思いますので、同修のご指摘をお願いします

 師父の説法で私たちが分かっているのは「大法修煉はミクロなところから表面まで、一層一層内面から外へ向かって修めているので、一層での修煉が合格したら隔離されるのです。修煉者の体感では突然一層の法理が理解され、心身ともに揺さぶられては、しばらくしてまた類似なことが生じてしまい、困惑します。

 実際、人間の感覚はもっとも変化しやすく、何度も繰り返されて、多くの執着しているのは表面上で形成された観念、経験、好み、追求等です。これは生命の次元の表層の位置にいるため、最も低いものですが、取り除くことは難しく、大法修煉の中では最後に修め、正すべきものです。

 師父は「なぜ人類が存在するのか」という経文を発表して、三界の各層の天の蓋を開け、人間に関するもっとも根本的な謎を解き明かされ、法がこの世を正すことを完全に説かれたのです。大法弟子もようやく人間から脱却し、神への修煉に完全に変わり、全てが表面化になったのですから、どうやって修めるかを考えなければいけないと強く思いました。

 世界法輪大法デー作品募集の要求と同じように、天象の流れであり、求めることから他人への使命感と責任感へ変わりました。

 師父は「世の人は、大法と一致することができれば本当の良い人であり、同時に善報、福寿を得ることができます。修煉者として、大法と同化することができれば、あなたは得道した者、即ち神となるのです」[1]と説かれました。

 同修たちも大法に符合し、この神聖で儚い機会を掴み、大法に同化し、善人から真の修煉者に昇華し、圓満成就して師父と一緒に家に戻ることを望んでいます。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』「論語」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/3/21/457958.html)
 
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