シンガポール法会|医療関係者が大法の中で自分自身を正す
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文/シンガポールの大法弟子

明慧日本2023年6月2日】

 尊敬なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は医療関係者です。新型コロナウイルスの流行以来、この3年間、修煉の道につまずき続けており、学法を通じて、私は自分のまだ取り除いていない人心が見えました。ここで、法の中で自分を正した体験談を同修と交流したいと思います。

 一、人心を取り除き、自分自身を正す

 この過程で、私の恐怖心、快適を求める人心、恨みはすべて明るみに出たのです。2020年初頭、新型コロナウィルスがシンガポールに到来したばかりの頃、医療関係者にとっては大きな試練でした。仕事のプレッシャーとは別に、より大きなプレッシャーは心理的なものでした。私が管轄する病棟で、ICUから出てきた患者を受け入れ、その患者が数時間後に新型コロナウイルス陽性と告げられたため、7人の看護師が14日間の自宅隔離を要求されました。すぐに深刻な人手不足に陥り、3交代制では対応できず、朝7時から夜8時までの12時間勤務に変更せざるを得ませんでした。当時、ストレスがとても多く大変でした。

 当時、毎日体温を測るように言われ、熱があれば医者に行かなければならず、そうなると、恐ろしいPCR検査を受けなければなりません。PCR検査を受ける時、鼻から後頭部まで小さな棒で突かれるような感じでした。時々、喉にくすぐったさを感じて咳をしたくなったとき、陽性になったのかと思い、恐怖心が生じてしまった時もあります。もちろん、修煉者としては、恐怖心を見つけ、それを取り除き、自分を正し続けることの方が重要です。今年の5月までは、私は風邪や熱などの症状もなく、陽性症状もありませんでした。 家族と2人の子供も元気で、すべて師父が見守ってくださっているのだと思いました。

 ワクチン接種について、私は最初、接種を受けないと言い張り、修煉者にはワクチ接種は必要ないと考えていました。政府はワクチン接種の義務化を明言していませんが、医療関係者には義務化されています。看護主任がわざわざ私と面談をし、接種するようにといろいろと説得してくれたのですが、私はワクチンの体への危険性について疑問をぶつけました。看護主任は、私の疑問点について答えられず、「シンガポールではほとんどの人がワクチンを接種しているし、死ぬなら、みんな一緒に死んでいくのだから、何を恐れる必要があるの?」と言いました。私は、「もしワクチンを受けなければ、勤務ができないのなら、当分の間、無給休暇を取ることができるし、もし人員不足で私を必要とするようになったら、戻ってくる。いかがでしょうか」と言い返しました。看護主任はため息をついて立ち去ったのです。

 その夜、私はずっと考えていました。「もし私がワクチンを接種するのが嫌で仕事を辞め、安定した収入源がない状態になったら、義父母は理解してくれるだろうか? それは彼らにとって大きなプレッシャーになるだろう。 大法について誤解するのではないだろうか?  大法を修煉している人は、やはりワクチン接種を恐れているのだろうか?  大法弟子は真・善・忍を修めており、常に他人のことを考え、迷惑をかけないようにしなければならない。私がワクチン接種を受けないから、家族に迷惑がかかったのだろうか。そして、看護主任が衛生部に説明できないのも、彼女のストレスや悩みの原因だったのだろうか」と考えていました。

 その翌日、師父の新しい経文『目覚めよ』が発表されました。その中に、「感染を恐れている人もいれば、ワクチン接種を頑なに拒む人もいます。この時、あなたはまだ大法弟子の称号に相応しいのですか?」 [1]、「あなたが常人の心で自らを量っており、修煉者の角度から問題を見るのではなく、これは修煉の中で漏れがあるということです」[1]と仰っています。私は本当に棒喝されたように感じました。私はなぜ、ワクチン接種を受けなかったのかと、内に向けて探しました。そこで、まずは恐怖心を見つけました。ワクチンについては、メディアからいろいろな情報が入ってきますが、ワクチンを接種して副作用が出たり、死亡したりする人がたくさんいます。私は、ワクチンによって自分に害が及ぶことを恐れていたのです。自分が修煉者であると考えるのではなく、常人の考え方で物事の突発性を測り、それではいけないのです。これも、師父や法を信じる心が浅い自分自身のせいでした。

 翌日、ワクチン接種の予約を取り、看護部主任に、「ワクチン接種を受けると決めたのは、ワクチンは効果があったからではなく、主任に迷惑をかけたくないからです」とメッセージを送りました。看護主任は、「ありがとう」と言ってくれました。

 シンガポールの防疫対策が徐々に緩和されるにつれ、私自身も修煉が緩み、学法や煉功も怠けていました。今年の5月初旬、義父と義母がワクチンを接種して10日目に同時に陽性になりました。私は自分のことはあまり心配せず、ただ子供に移らないかと心配しました。結局、子供もその3日後に陽性となったのですが、私と夫(同修)はずっと陰性のままでした。当時の義父母には、「私たちは大法の修煉者だから、ウイルスはこっちに来ないよ 」と胸を張って言っていたくらいです。

 また、当時の私は悟性が良くなく、子供の世話にばかり気を取られていて、煉功と学法をきちんとしていませんでした。4日目に、私も熱の症状が出て、陽性反応が出ました。 感染拡大が一番ひどいときに感染していなかったのに、なぜ深刻でなくなった今は感染したのか、と悔しく思いました。自宅隔離期間中には、ちょうどしっかり学法して煉功し、内に向けて探すチャンスです。きっと自分の修煉には隙があったからです。

 これは決して偶然なことではないと思いました。私は普段から不規則な勤務で、日々の煉功と学法が確保できておらず、時間があれば少し煉功しますが、仕事で疲れたらしませんでした。煉功は最も良い休憩方法ですが、私は常人の考えで休憩方法を考え、結局いつも疲れやすくなるのです。修煉は厳粛なことなのに、私は真剣に取り組まず、一生懸命やるのではなく、利益ばかりを得ようとしていて、常人よりも悪いのではないでしょうか? また、自分自身を直ちに正せなかったのです。

 師父は以前から大法弟子に、「精進していない大法弟子、極端に走る大法弟子は直ちに、自分自身を正し、誠心誠意に法を勉強し、修煉してください。なぜならば、このような弟子は最も危険だからです」[2]と言われています。

   二、快適を求める心を軽視してはいけない

 私は大法を修煉して数年にもなりました。法を得た当初は、煉功と学法に集中し、仕事でとても疲れていても、三つのことをする時間をできるだけ作り、充実な時期でした。自分の体も健康で仕事も順調で、家庭も和やかになり、子供も健康でした。

 しかし、時が経つにつれ、次第に快適を求める心が生じ、精進しなくなっていました。特に海外の修煉環境は、中国本土の同修よりもはるかに緩やかです。普段は携帯電話でニュースを見たり、同修のチャンネルを見たり共有したりすることを口実として、実は無意識に常人の番組を見ることが多く、時間を無駄にしてしまったのです。

 数カ月前、左腹部に何か生えているような気がしたので、触ってみると何でもないような気がして、痛くも痒くもなく、ただ違和感があるだけでした。第二式の動作をするとき、深呼吸をすると、何かが落ちてくるような感覚があり、それを実際に感じることができました。私は一瞬パニックになり、もしかして何かの病気になったのでは? と思いました。 私は看護師なので、無意識にいろいろな症状を自分に当てはめてしまうのです。その時は、きっと修煉をサボって、病業の偽りが現れたと思いました。

 携帯電話からFacebookやYouTubeをアンインストールし、積極的に煉功や法の暗記をするようになりました。私が急に精進しているのを見た夫(同修)は、「いつも三日坊主だよね?」と言いました。それを聞いて、私はしばらく言葉が出なくなり、「師父が夫の口を借りて、修煉は厳粛なことで三日坊主にしてはいけないと諭してくださっているのでは」と思いました。その後、仕事が終わってからの時間は、法を暗記し、『洪吟』を暗記していました。 また、発正念をする時、病業の偽りをすべて否定し、師父が段取りしてくださる道だけを認めるという一念も加えました。

 2、3週間と経つうちに、腹部の違和感がなくなり、師父が見守ってくださり、弟子のためにたくさん我慢してくださっているのだと思いました。また、『洪吟』を暗記する過程で、法に対する理解が深まりました。例えば、法を得ているかどうか、どうやって判断すればいいのか? 最初は、学法、煉功、真相を伝える、心性を向上する、といった表面的にできたら、法を得たのだと思っていました。しかし、「常に修煉を第一に考えているか?」と自分自身に問い詰めてみたら、自分にはまだ多くの欠点があり、多くの人心、特に快適を求める心を捨てなければならないのです。体が楽になると、またすぐに快適を求める心が生じてきて、また精進しなくなり、以前に出てきた体の違和感がまた戻ってきました。修煉は厳粛なことで、修煉の道は正しく歩まなければならず、旧勢力に隙に付け入れられてはいけないと感じました。

 今年の中国本土法会での交流分を読んで、涙を流しました。その記事の作者は、江沢民を告訴することに関わったことで不法に拘禁されていたのです。拘置所の厳しい環境の中で、その同修は修煉をあきらめず、三つのことを続けていました。19カ月余りの間に、200人余りを説得して共産党及びその組織を脱退させたのです。そして、最終的に中央裁判所から無罪を勝ち取ることができたのです。中国本土の同修たちが、こんなに厳しい環境の中でも、人を救うことを怠けないことに、本当に感心しました。そして、このようなゆとりのある環境の中で、いまだにゆとりのある心にとらわれている自分が本当に恥ずかしいです! 同修の方々のしっかりした姿に励まされ、自分も修煉の道でさらに精進していきたいと思います。

 師父、ありがとうございます!

 同修の皆さん、ありがとうございます!

 以上の交流の中で、法に背き不適切なところがあれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志师父の著作:『目覚めよ』
 [2] 李洪志师父の著作:『理性』

 (2023年シンガポール法会の発表原稿)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/1/12/454677.html)
 
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