明慧ネットに円容し 全体に円容する
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2024年3月9日】2月26日、明慧ネットに掲載された中国の同修の書いた文章にこう書かれていました。「普段(明慧ネットに)掲載されている交流文章のほとんどは中国の同修が書いたものであり、時折海外の同修の書いた文章を読むと、とても大きな収穫がある。海外の同修は一般的に知識レベルが高く、もし書く文章が増えれば、明慧ネットに円容し、大法弟子の知識レベルが低いという常人の考え方を打破できる」と。私もこの考えに深く共感します。

 海外の法会で発表された文章以外に、明慧ネットに掲載された交流文章の9割以上は中国の同修が書いています。ある海外の同修は「明慧ネットはほとんど中国の同修の交流プラットフォームになってしまった」とすら感じています。皆さんは明慧ネットの役割の一つが中国内外の大法弟子全体の交流プラットフォームであることを知っています。しかし、海外の同修の交流文章が少ないと、その役割を完璧に果たせなくなるのではありませんか?

 それでは、なぜこのような現象が発生しているのでしょうか? 海外の同修には書くべき交流文章がないのでしょうか?

 もちろん、そうではありません。RTC(システムの時間を管理する集積回路)プラットフォームを列挙すれば、毎日昼と夜に30分間ずつの(真相伝え)電話をかけた後の交流があり、内容は電話かけに関する交流と法理の交流の2つに分かれています。週末の夜には1時間の長い交流もあり、私はほぼ毎日素晴らしい交流を聞くことができます。その内容は真相を伝えるための電話かけだけに限らず、法の暗唱や、地元で大法を実証するプロジェクトに参加したこと、個人の心性の修煉など、様々なものがあります。残念ながら、交流後、明慧ネットに投稿されたことはほとんどありません。海外の同修は交流の中でよく明慧ネットの中国の同修の文章を引用し、非常に収穫があると感じています。考えてみてください。中国の同修が地元の学法グループで交流した後、明慧ネットに投稿しない場合、明慧ネットはどのようにして効果的に機能できるでしょうか? 最近、前日の記事を当日のページで見かけることがよくありますが、しっかりした文章の投稿の量が不足している現象がすでに発生しているのではないでしょうか? 海外の同修は得るだけでなく、貢献もすべきだと思います。

 この問題について、RTCプラットフォームの協調人同修らは内部で交流を行いました。投稿グループを設立することを決定しました。そのグループは、プラットフォームの毎日の交流内容を系統的に整理し、明慧ネットに投稿することを担当します。これは文章を書く能力のある中国の同修が地元の学習者を手伝って、明慧ネット中国法会に投稿するのと同様の理屈です。私たちはとても素晴らしい素材を持っており、海外には文章を書く能力のある同修がたくさんいますし、海外の他のプロジェクトも同様のことができると考えています。私たちは海外の法を正す時期の修煉状況を明慧ネットに投稿する能力と責任を持っています。明慧ネットに円容することは、大法弟子全体の修煉環境に円容することです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/6/473936.html)
 
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