【5.13応募原稿】 疫病に罹った90代の母親の白肺は自然に治癒
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文/湖南省の大法弟子  

 【明慧日本2024年4月6日】私は66歳で、姉が1人、妹が2人、弟が1人皆同じ県に住んでいます。母はずっと弟一家と同居しています。1997年後半、私は法輪大法を修煉し始めました。師父は、「一人が煉功すれば、まわりの者に恩恵を与えることになります」[1]とおっしゃっています。これは間違いのないことです。私たちが煉功する過程で、親族や周りの人たちまでもみな、大法による恩恵を受けているのです。

 90代の母の重症肺炎が治った

 勤勉で優しい私の母は、今年93歳です。

 2022年末、中国では都会から田舎まで、そして大人から子供まで、ほとんどの人が疫病に感染し、どの家庭にも「コロナ陽性者」がいる状況でした。薬局では解熱剤がなくなり、亡くなった大多数が年配者でした。

 この猛烈な流行の最中、弟夫婦も感染しました。2人は服薬しながら仕事を続け、一日中走り回っていました。数日後、高齢の母も発熱はないものの、咳や鼻づまりの症状が現れて、呼吸がうまくできず、食事もとれない状況になりました。そしてほぼ同じ時期に、PCR検査の結果、姉と妹2人、および彼女たちの家族も全員、「陽性」だと判明しました。

 当初、母は「ちょっとした風邪だから大丈夫。薬を飲めば治る」と言い、弟夫婦も「大丈夫です。皆が忙しいし、交叉感染も避けるべきなので、あまり頻繁に母に会いに来なくてもいい。私たちがしっかりと母の面倒をみます」と言いました。帰る前に、私は母、姉、妹と弟夫婦に、「法輪大法は素晴らしい! 真善忍は素晴らしい!」をよく唱え、大法弟子が作曲した音楽や師父の説法をよく聴くように言いました。みんなは「わかった」と返事しました。

 2日後、電話で母の容態を確認してみると、好転どころか悪化の兆しさえ見られると分かりました。私は早速姉妹たちと一緒に母に会いに行きました。母は話す気力がなく、痩せ細ってやつれて、ベッドに横たわって立つこともできなくなりました。ほんの数日で、母はずいぶん老けたように見えたので、驚いた私は「毎日『法輪大法は素晴らしい! 真善忍は素晴らしい!』と唱えていましたか? 師父の説法や大法の音楽を聴いていましたか?」と尋ねると、母は「唱えるときもあれば忘れるときもあって、音楽や説法は時々聞いていた」と答えました。「私の不注意のせいでした」と私は言いました。

 姉妹たちは母の容態を見るや否や、入院を強く求めました。私は、病院はこのウイルスを治すことができず、母を本当に救えるのは法輪大法しかないと知っていました。しかし、母は修煉しておらず、姉妹たちも大法弟子ではなく、母自身も入院を希望していたので、私はとりあえず母を病院に連れて行って、様子を見てみようと提案しました。

 病院は人でごった返して、どの診療科も窓口も人でいっぱいでした。待ちに待って、やっと母の診察の番になりましたが、医師は患者を診ることなく、CTのオーダーだけを出しました。CT室も人がいっぱいでした。聞いてみると、前に並んでいるのは、昨日番号札をもらった人で、今日の番号は明日の撮影になるかもしれないと言われました。私たちは家に帰るしかありませんでした。

 翌朝の6時過ぎに妹が列に並び始めたお陰で、午前11時過ぎ、母はCTスキャンを受けることができました。フィルムは翌日にならないと手に入らないのですが、医師はパソコンで調べることができます。母が一刻も早く診察を受けて入院できるように、家族は総動員し、それぞれ受診室と会計、薬の受取、注射室の前に並び、2日間をかけてやっと母が診察を受けることに辿り着きました。そこで、医師は「お母様はご高齢なので、入院しなければなりませんが、ベッドがありません。ご自身で各科の入院係を回って聞いてみて下さい。ベッドがあったら入院の指示を出します」と言いました。妹は知り合いの胃腸科の主任を訪ねて行き、母を入院させることができました。

 入院後、主治医はコンピュータで母のCTフィルムを見て、妹に「お母さまは新型コロナウイルスに感染していて、状況は非常に深刻です。白肺が75%以上に達して非常に危険です。いつショックを起こして命を失うか分からないので、心の準備をしておいてください。今、病院には特効薬がなく、1日中患者に輸液と酸素を供給するほかに方法がありません。後は天運を待つしかないのです」と言いました。

 それを聞いて私はとても辛くなり、「ちょっと状況をじっくり考えてみなければならない。もしこれが母の運命にある難であれば、私はできる限り大法弟子の役割を果たして、母によってもう一度大法の超常を皆に見せることができる」と考えました。そこで、私は母に「今、あなたを真に救えるのは大法の師父だけです。必ず自信を持って、随時真心から『法輪大法は素晴らしい! 真善忍は素晴らしい!』と唱え、師父に助けを求めるしかありません」と言いました。また、私は弟夫婦と妹にも、母のために心からの九文字を唱えるように言いました。

 夜間は弟が、そして日中は弟の妻と下の妹が入院している母のそばにいました。私は姉と上の妹と交代で食事を届け、母に栄養のあるものを作って食べさせました。皆で一緒に心からの九文字を真心から唱えているうち、母の病状は安定してきて、悪い方向には進んでいきませんでした。

 母が入院して10日経ったとき、病状は改善したので、もう一度CTスキャンを撮りましたが、肺の75%がまだ白でした。その時、主治医が妹に「今、コロナ患者が多すぎて、病院は大きなプレッシャーに晒されています。新しい規則によれば、コロナ患者は最大で7日間しか入院できず、重症者の場合は受け入れも拒否されているのです。お母さまはすでに10日間も入院しているので、上層部から退院の指示が出ています」と言いました。電話で妹から説明を受けた私は、少し考えてから「ならば、母を退院させましょう。どうせ病院にいても治らないので、私が近くに住んでいるので、弟夫婦と一緒に母の世話をします」と返事しました。 

 午後、息子は私と一緒に母を迎えに車で病院に行きました。帰り道、息子は、妻が仕事の暇な時に心からの九文字を唱えていたお陰で、勤務先では妻だけが無事であったこと、また、各地の感染者が心からの九文字を唱えて治った事例を聞いてきたと話してくれました。母はそれを聞いて自信がつき、気分もよくなりました。

 母は病院で酸素吸入をしていましたが、家に帰ると酸素供給器がなく、皆が心配していました。地方で働く孫が祖母のためにネットで購入した酸素供給器は、工場の出荷遅れでずっと来ていませんでした。その時、私たち夫婦は皆に、「酸素供給器がなくても、母も含めて、皆が本当に師父と大法を信じて敬えば、師父はきっと助けてくださいます」と言いました。母も「供給器がなくても怖くない。私は李先生を信じ、大法の素晴らしさも信じている。李先生は何回も危機から私を救って下さったのだから、今回もきっと私を守って下さる」と言いました。

 母の言葉を聞いて、私は本当にうれしく思いました。夫は続けてこう言いました。「お母さん、よく言ってくれました。あなたのこの一念とこの心があれば、師父は必ずあなたを守ってくださると思います」。こうして、母は1週間で完治し、ベッドから降りて普通に歩けるようになり、顔色がよく白肺もきれいに消えました。師父、本当に感謝しています!

 母は元気になってから、30キロ離れた叔父の家まで連れて行ってほしいと私に頼んできました。もともと、叔父は母に会いに来る予定でしたが、旧正月と感染拡大で母は断りました。母が元気になったのを見せて叔父の心配をなくし、ついでに大法の素晴らしさも知ってもらえると思い、私は母と一緒に叔父の家に行くことにしました。叔父の家に着くや否や、母は「10日間入院しても、病気を治してもらえなかった。誠心誠意に心からの九文字を唱えた結果、大法の師父が私の命を救って下さった」と話し始めました。。そこで、私は持っていた大法の資料と師父の新経文『なぜ人類が存在するのか』を2人の叔父と彼らの家族(すでに三退した)に渡しました。

 帰り道、母は感慨深げにこう言いました。「私は本当に幸運すぎます。この二十数年間、私が命の危険に晒される度に大法を信じ、李先生を信じて、心から唱えたことで大法の師父に助けられて生き返った。本当に大法の師父に感謝したい!」

 その後、母は我が家に来るといつも、まず師父に線香をあげて手を合わせ、「師父、こんにちは! 師父、ごきげんよう! 師父、こんにちは!」と唱えるのです。

 それ以来、母の心臓病は再発しなかった

 母は修煉していませんが、李洪志先生と法輪大法の良さをとても信じていて、私たちが大法を修煉することもとても支持してくれています。母は読み書きができないので、師父の説法録音や大法の音楽をよく聞いています。以前、彼女は心臓病と胃痛に悩まされていましたが、今は健康で背筋がピンと伸びていて、足腰も丈夫で、目も耳もよく、顔にしわがなくて、赤みがさしています。彼女の年齢を知らない人は、彼女がまだ70代だと思っています。

 1999年「7.20」以前のある日曜日、居間で本を読んでいた弟は、突然、母から「ああ」と聞いた後、何の音もなくなったことに気づきました。不思議に思った弟が母のそばに行くと、母は青ざめた顔で寝椅子に微動だにせずに横たわっていました。母はまた心臓発作を起こしていました。

 いくら母の人中穴を押しても母が反応しないのを見て、弟は怖くなって、私に電話をかけようとしたところ、ふと以前私が彼に言ったことを思い出しました。「師父を信じ、法輪大法の素晴らしさを信じ、危機の中で師父に助けを求めれば、きっと災いを転じて福となす」。彼はすぐに「李洪志先生、母を助けて下さい!」と叫びました。繰り返し叫んでいるうち、母は奇跡的に目を覚ましました。

 弟は驚喜のあまり、私が渡した『轉法輪』を取り出して、師父の写真の前で跪き、「李先生、ありがとうございます! 感謝いたします!」と、3回も深々とお辞儀をしました。それ以来、母は心臓発作を起こしたことがなく、胃痛や他の病気もいつの間にか治りました。

 80代の母が転倒しても無事だった

 母が80歳になった年のある日、妹の経営する靴屋に遊びに行き、来客が見えて手伝おうと立ち上がり、一歩踏み出した途端、ドスンと地面に倒れて気を失ってしまいました。

 音を聞いて振り返った妹は、その場で立ち竦みました。周りの人たちもびっくりしました。気を取り戻した妹は急いで母のもとに駆け寄り、母を起こそうとすると、周りの人たちは「触らないでください。そのまま地面に寝かせておいてください」と言い、妹に至急119番に電話するよう催促しました。気が動転してしまった妹は何をすべきか分からず、ひたすら母のそばで「お母さん! お母さん!」と叫ぶばかりでした。母は妹の叫び声が聞こえて、脳に意識が戻りましたが、動けませんでした。後に母が教えてくれたことですが、そのとき、母の脳裏にふいに私がいつも話していた「危難に遭ったら心からの九文字を唱え、李先生に助けを求めて下さい」が過ったそうです。そこで、母は心の中で「法輪大法は素晴らしい! 真善忍は素晴らしい! 李先生、助けてください」と黙々と繰り返し念じました。

 念じているうちに、母は自分が動けるようになったと感じ、妹に支えられてゆっくりと立ち上がりました。妹はやっとほっと一息つき、周囲の人たちもみな、「どこか痛くないですか? 気分はどうですか?」と心配の声を掛けました。妹は母を病院に連れて行って検査させようとしましたが、母は笑顔でこう言いました。「李先生に保護をお願いしているのだから、大丈夫よ。ほら、どこも無事ではないの?」。実際、母は本当に大丈夫でした。人々は皆、法輪功による奇跡、80代の老婆があんなに急に転んでも、何事もなく、無事でいられる奇跡を目の当たりにしました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (明慧ネット第24回世界法輪大法デーの入選文章)

 (編集責任者:伊文)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/5/27/461042.html)
 
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