文/中国・福建省の大法弟子 蓮開(仮名)
【明慧日本2012年5月8日】慈悲で偉大な師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!
早くもまた法会投稿の季節となり、私は法を正す時期の貴重な修煉の一年がこんなに早く過ぎ去っていくことに感無量です。
私は98年5月に法を得た大法弟子で、大多数の大法弟子と似たような修煉の道を歩んできました。私は三年の迫害を受け、五年前に故郷から遠く離れたこの都市に辿りつき、新たな修煉生活を始めました。以前迫害を受けたため、他の地方に来ても常に邪悪による身分証のチェックを受けなければなりませんでした。師父が私の正念を加持してくださり、ここ数年間、私は何の危機にも遭遇せず今日まで歩んできました。
この慣れない都市で、私は現地の同修を知らず、家族(同修)とも何百キロも離れ、手紙を通じて時々交流するしかありませんでした。その後、私は数人の他の地方の同修と知り合い、法理に対する認識を交流し、受益しました。それ以外、私は殆ど一人で修煉しています。よく自制することができれば、多くの家事と親族関係の処理に気を取られる同修に比べ、外部に影響されないこの環境は非常に良い環境だと言えます。しかし、よく自制できなければ、修煉を怠けやマンネリ化によって破壊されます。師父の按配により、私は自分に適した居住環境と仕事環境を見つけました。また、私は常に自分が修煉者であることを意識し、法理の要求に沿って同僚との摩擦を処理し、難なく今日に至りました。私はずっと外部に影響されないよう自分の時間と空間を把握し、特に仕事において、社内の一つの重要部署の責任者を一任されています。社長も私の能力を認め、私は真っ先に彼に真相を伝え、その後同僚たちの一人ひとりにも一人ずつ真相を伝え、大多数の人は三退をしました。
私の入社以来、社内の全体の雰囲気と管理体制が大きく改善されました。私は同僚を尊敬し、なるべく相手のことを考慮し、他の部門の職員の仕事にも協力し、仕事の性質によって上手く段取りをつけ、結果として会社全体の管理体制のシステム化へと結びつけました。私は多くの社員活動に参加し、同僚と上手く接していくうちに穏やかな人間関係を築き上げ、他社で見られる疑心暗鬼などのようなことも社内で経験しませんでした。私は毎年、優秀職員として評され、同僚たちも私が酒を飲まないことと、カラオケに参加しないことに理解を示してくれました。会社の環境は私の住居に比べ少し良いので、私はよく退社後、一人で社内に残り、皆もそれを普通に思い、私の私生活を話題にする人もいませんでした。私はノートパソコンとプリンターを揃え、この便利な環境を利用し、三つのことを実行し始めました。
細かな時間を上手く活用する
一人で修煉していると、時には寂しさを感じます。この情に由来する物質が広がる際、私は全身がそれに飲み込まれるような苦しい感覚を覚えます。長年の修煉で、私は情から来るものの多くを排除し、常人の念が出てくると、すぐに意識できるし、本当に法に沿って精進しているなら、寂しさを感じるはずがないと思います。このような感覚がある時、私はすぐに自分が修煉者であることを思い出し、法を多く勉強し、明慧の文章を読み、まだ多くの大法のことをしなければならないことを思うと、その寂しい感覚が次第に消えました。今は毎日の学法と明慧の交流文章を読む際、いつも多くの体得を得ることが出来ます。
私が修煉を始めて一カ月経ったとき、勤勉な煉功と苦痛を多く耐えたことで、すぐに全身の脈が貫通している感覚を覚え、一時は体から香気を放っていました。長年の修煉を経て、身体が高エネルギー物質に転化しつつある為、私は晩ご飯を殆ど取りません。食事を取るとむしろお腹がしんどくなります。早朝も殆ど取らず、大体お昼ごはんだけで一日を過ごせます。気候が寒くなると、熱量を補充するために、夕食を少しだけ食べますが、何も食べなくても空腹感はありません。
私はよく、ダウンロードした新唐人の番組をコンピューターで見ながら食事をします。こうして沢山の時間を稼げます。それにしても、時間が足りず、毎日が矢の如く過ぎ去っていくのを実感しています。私も怠けてしまう時があって、時には朝の3時50分に起きられますが、時には寝過ごしてしまいます。その原因を探してみると、やはり、自分には安逸心があって、根本的な原因は大法に出会い、修煉の機縁を得た貴重さを大事に思っていなかったからです。法を多く学ぶことによって大法の大切さを認識し、もっとよく修煉していけると思っています。
もっと多くの時間を有効利用できるよう、私は日常生活と仕事の両方で、出来るだけ事を良く、早くこなしていくように頑張っています。私は一つの部署の責任者として、時には部下が犯したミスなどの処理をしなければなりません。例えばある日、経理の間違いで、ある顧客に三万元を多く振り込んでしまいました。実際、その人にすぐ返金してもらうことも可能でしたが、社長の意思で次回の支払い時の再計算に持ち込まれました。しかし、何と言っても、私の部署で問題が起きたので、社長の原則としては問題が起きたらその部署の責任者にしか責任を問わないのです。法をよく学んだお陰で、私はこの問題に冷静に対処し、責任を外部に押し出さず、経理にも責任を追及しませんでした。ただ彼女に、自分の犯したミスを自ら認識できるようにと思いました。誰でもしょっちゅうミスを犯したい人はおらず、何事でも何かをやればミスを犯す可能性があります。私たちに出来るのは、そこから教訓を得て、今度よりよく行えるように努力するだけです。
私はすぐに反省文を書き、その中で道理を持って人がミスを犯した際どう対処すべきかについて述べました。私は、私たち修煉者がミスを犯した際の師父の対応の仕方、及び師父がおっしゃった法理を仕事に応用し、社長の賛同を得ました。以後、私は外部に影響されず、常に冷静な姿勢でトラブルを処理し、多くの時間と精力を節約できました。計画報告書などの書面の仕事をするとき、他の部署の人なら大分前から書き始めてもなかなか上手く書けませんが、大法修煉者の私には簡単でした。私は事前に自分にプレッシャーを与えず、それを小さいことだと考え、法もいつも通りに学び、書く時期になったと思ったら書き始めます。そして、書きたいものが自然に出てきます。まるで霊感を得たように、短時間で比較的に全面を包括する文章を完成出来ます。こうして仕事を早く終えて、余った時間に私は学法や明慧の文章を読むことにしています。自分で自分の時間を把握し、仕事と休憩の時間以外、私は全ての時間を三つのことに使っています。
私は、一人が精進しているかどうかを判断する際、一つの重要な点はその人が時間を大事に使っているかどうかにあると思います。未だに繁雑な日常生活に多くの時間を浪費している同修を見ると、私は本当に彼らのために焦りを感じ、仕方ない感じもします。人はそれぞれ違う特性を持ち、全く緊迫感のない人もいれば、心の中で時間を大事にしようと思っても行動が付いて来られない人もいます。しかし、この万古にない機縁を前に、私たちは本当に時間を大事にしなければならないと思います。
実際、時間と言うのは節約して細かく集めて使うものだと思います。睡眠から、家事から、仕事、そしてトラブルを正しく処理することの中から集めるものです。そうしようとするなら、まずそのような心構えと緊迫感、そして本当に三つのことをよりよく行いたい強い思いが前提にあると思います。
(続く)
(明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)