内モンゴル:刑務所に迫害された法輪功修煉者が危篤
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 【明慧日本2012年8月9日】内モンゴル自治区巴林(バイリン)左旗の小学校教師・呉国輝さん(女性)は、法輪功を学んでいるとして2011年6月5日、買い物に行く途中で身柄を拘束された。その後、呉さんは懲役3年6カ月の実刑判決を宣告され、フフホト女子刑務所に収容された。

 刑務所で呉さんはさまざまな迫害を受け、危篤状態に陥り、今年の5月14日に帰宅させられた。呉さんが帰宅して2日目、地元の公安局の警官十数人が呉さんの自宅にやって来て、呉さんを連行しようとした。しかし、痩せこけて動けず、ベッドで寝ている呉さんの姿を見て、警官らは連行を諦めた。

 1999年7.20、中共(中国共産党)当局は法輪功への弾圧を開始した。呉さんはそれ以来、連行、家宅捜索、恐喝、監視、嫌がらせなどなどを受けてきた。

 2011年6月5日午前、呉さんは夫と一緒に車で買い物に行った。その途中で、黒い服を着た人が呉さんの車を止めさせ、「車の鍵を出せ」と言って、車から降りた呉さんの手から車の鍵を奪った。すると、後ろから黒い服を着た5~6人が呉さんを囲み、「俺たちは警官だ」と言った。

 呉さんが彼らの服を見ると、「特警」(特殊警官)と書いてあった。そして、警官らは何の証明も提示しないまま、乱暴に呉さんの両腕を背中に向けて固定し、公安局に連行した。呉さんの夫は「何をするのですか」と声を出したが、警官に暴力を振るわれた。

 仕方がなく、呉さんの夫は自宅に帰ろうとしたが、自宅の近くで待ち伏せしていた国保(国家安全保衛)大隊の警官によって公安局に連行された。その後、警官は呉さんの夫を連れて、呉さんの自宅に行き、家宅捜索を行い、法輪功の関連書籍などの私物を没収した。 

 その9日後の午前10時、警官8人は呉さんの自宅の鍵を持って、誰もいない呉さんの自宅の家宅捜索をした。「隠蔽罪」に問われた呉さんの夫は、12日間拘禁された。

 公安局で警官は呉さんを「鉄の椅子」に座らされ、椅子の前に鉄の机があり、机の上に2つ固定した手錠があって、机の下に2つの固定した足かせがある。警官は呉さんの両手、両足を机の上下で固定した。続いて、警官は呉さんの身体捜検をしたり、言葉で侮辱したりして、尋問を行った。呉さんは警官に法輪功の真相を伝え、「善悪応報」の道理を教えたが、警官は呉さんの話に耳を持たなかった。

 尋問された後、呉さんは両腕を背中に回して手錠をかけられ、留置場に拘禁された。留置場に入ると、呉さんは待っている医者らに健康診断をさせられ、知らないうちに注射もされた。その直後、呉さんは喉が渇き、昏睡状態の症状を現れた。

 翌日、呉さんは全身が痛くて、目がはっきり見えず、動悸し、全身に力がない状態になり、手かせ足かせを嵌められたため、手首、足首がすごく腫れ上がった。警官の暴行を受けた呉さんは、太もも、肩、上半身があざだらけになった。

 その後、呉さんの健康状態が悪くなり、力がなく、動悸が酷くなった。ある日の夜、呉さんの心拍数が1分間で140回になり、痙攣を起こし、意識不明になった。救急車で運ばれた呉さんは、病院で点滴を受け、翌日も留置場に戻された。

 地元の公安局国安(国家安全局)大隊の警官らは呉さんの健康状態を無視し、呉さんに証拠を捏造して罪を着せようとした。警官らは2度も呉さんの逮捕を申請したが証拠はないとして、差し戻された。その後、警官らは3回目に呉さんの案件を赤峰市検察院に移し、呉さんの逮捕を求めた。ある裁判官は「呉は有罪だと思う」という一言で呉さんに対して逮捕を決めた。それで、2011年7月21日、痙攣が発症した呉さんは、正式に逮捕された。

 逮捕された当日の呉さんは野蛮に灌食をされ、鼻からチューブを挿されたまま3日間置かれた。その後、呉さんは貧血、動悸、生理も止まらず、健康状態がいっそう悪くなった。

 呉さんは拘禁されて5カ月が経った2011年9月14日午前9時、地元の裁判所は呉さんに対して、開廷した。呉さんの弁護士は開廷する前、司法局の副局長から電話で恐喝されたが、法廷で弁護士が呉さんに無罪弁護を行った。しかし、その1カ月後の10月25日、呉さんは3年6カ月の不当判決を言い渡され、12月13日にフフホト女子刑務所に移送された。

 女子刑務所に拘禁された翌日から、呉さんは法輪功の功法を練習し始めた。そのため、呉さんは男性の隊長に呼ばれて広い部屋に入れられ、スタンガンで顔、頭、口、手、腕などに電気ショックを加えられた。それで呉さんの口は開けられず、ご飯を食べられず、水を飲むのも困難だった。数日後、呉さんの顔、手が黒い皮膚が剥がれた。

 その後、呉さんの健康状態はますます悪化し、高熱を出し、ご飯を食べられなくなった。検査の結果、貧血だと言われたが、その後、呉さんは2回も刑務所の病院に搬送されたという。

 心身ともに苦しめられた呉さんは痩せこけ、体重が75キロから30キロ台に落ちた。呉さんは再び病院で検査を受け、重度の貧血、深刻にカリウムが不足し、表層胃炎、胃潰瘍、肺部に感染症、胆嚢炎、子宮内膜の悪性腫瘍などと診断された。

 そして、刑務所側が危篤状態に陥った呉さんの家族を呼んできて、呉さんを帰宅させたという。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/8/7/261266.html)
 
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