【明慧日本2013年3月9日】大連市五一広場派出所の警官は去年11月、法輪功修煉者・張成君さんの自宅に侵入し、張さんを連行してから、検察院・裁判所と結託して張さんに対して迫害を行おうとした。しかし張さんは検査で深刻な疾病が見つかり、留置場への入所を断られた。警官らは納得せず、保証人を立てて審問を待つという形で、引き続き張さんを迫害することを計画している。
張さん(70代女性)は、法輪功を学んでおり、法輪功への迫害が始まって13年間、何度も大連市の警察・検察・裁判所から迫害を受け、何回も連行されて、2回の労働教養を強いられ、懲役3年を下されたこともある。以下は張さんが迫害された経歴を自ら述べたものである。
2000年7月、私は隣近所の家から物を借りたのですが、町内会と派出所に政治活動だと決めつけられ、大連留置場に15日間拘禁されました。出所後、私は江沢民に手紙を書きました。手紙を出した日の夜、また派出所に連行され、国家の法律を犯したと言われました。
2001年3月、大連市沙河口区の興工派出所は、私が北京へ陳情に行くことを恐れて、私を大連留置場まで連行して49日間拘禁した後、また一年の労働教養を加えました。
2001年12月ある日の夜10時、大連市中山区昆明街派出所の警官は、いかなる手続きと根拠もなく、私の家に侵入して家財を没収し、私を派出所まで連行しました。私は心筋梗塞を起こしたため、警官はようやく家族を迎えに来させました。
2003年3月、大連市甘井子区の華東路派出所の警官は、私が「法輪大法は素晴らしい」と書かれたシールを貼ったという理由で、私を大連留置場に拘禁しました。華東路派出所の警官は、また私の隣近所の人から釈放の保証金だと言って5千元を騙し取り、領収書などは一切ありませんでした。お金をゆすり取った警官は私を釈放するどころか、私に2回も毒薬を飲ませました。私は大量吐血し、警官はようやく私を帰宅させました。体がまだ回復していないにも拘らず、また馬三家労働教養所に連行され、そこで2年間迫害を受けました。
2005年10月、大連市中山区の虎灘派出所の警官は、私を大連留置場まで連行したが、私の病状が深刻なので、留置場は入所を拒否しました。その後、中山区検察院は私に対して不当に起訴し、何度も不当に尋問して、3回も開廷してから、懲役3年を言い渡されました。私は高血圧と全身黄疸があるため、刑務所は入所を断りました。
2012年11月1日午後、沙河口区の五一広場派出所の私服警官は、突然私の家に押し入って家財を没収しました。師父の写真・大法書籍・娘と孫の金筆・レコーダー・充電器・コンピュータ・プリンター・封筒・切手・墨汁などの個人品を持って行かれ、また1万6千元のお金をも奪われました。家は空になりました。
2012年11月1日午後、沙河口区の五一広場派出所の私服警官は、突然私の家に押し入って家財を没収しました。師父(法輪功創始者)の写真・大法書籍・娘と孫の万年筆・レコーダー・充電器・コンピュータ・プリンター・封筒・切手・墨汁などの個人品を持って行かれ、また1万6千元のお金をも奪われました。
五一広場派出所の警官は、私を医学院へ引っ張って検査をさせ、深刻な病気があるにもかかわらず、当日の夜に私を大連留置場まで連行しました。病状が重いため、留置場は断りました。
しかし、五一広場派出所の警官は依然として諦めず、保証人を立てて審問を待つと言いました。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/2/28/138323.html)