―明慧編集部の発表した文章を読んで
文/中国の大法弟子
【明慧日本2013年6月9日】最近、明慧編集部の発表した文章と師父の評注を繰り返して読んで、とても大きなショックを受けました。表面上、文章の内容は自分とあまり関係がないように見えましたが、心を静めてこれらの文章を読み、師父の評注を学び、自分に照らして、内に向けて探して、とても驚きました。自分の顕示心と名を求める心は長期にわたって、きれいに取り除かれておらず、それによって、法を盗む行為と法を乱す言動もありました。これは自分が今まで考え及んでなかったことで、これらと自分を結び合わせたくなかったのです。しかし、私は必ず自分の間違いを正視し、それを晒し出して、解体し、自分を正さなければなりません。
自分の修煉過程を振りかえってみると、顕示心は私の修煉において根本的な執着と言えます。幼いころから大きくなるまで、ずっと皆に羨ましがられ、褒め称えられる環境のなかで暮らしてきました。社会に入ると、いい仕事に恵まれ、会社にいるときもいないときも、みなが私を囲み、彼らは私に解決してほしいことがあるため、お世辞を言いました。私は褒め称えられることに慣れてしまい、少しずつ、えらぶりはじめ、孤高になりました。しかし私は人との付き合いがよかったため、これらは隠されていました。
修煉してから、これらがよくないということは自分でもわかっていたため、それをなくすために、多くの苦を舐めました。迫害がはじまってからの十数年間の間、私は多くの場合、協調の仕事をしていました。私は学法を重視し、絶えず法を暗記していたため、普段はトラブルにぶつかると内に向けて探し、謹んで自分の言動を守り、なるべく法理に基づいて仕事をし、誤りを少なくし、損失を減らしてきました。こうしても、現地の多くの同修に賛同され、褒められました。私はこの類の危険性に気づかず、自分の心は動かされないと思いながらも、時々嬉しく思いました。
みな私の能力をとても重くみていました。私は他の一般同修と比べて、学法が比較的多く、多くの同修は私が法理についてはっきりしていると思い、私と接触したがり、交流会でも私の話を聞きたがりました。知らないうちに、この地区で名望があるようになりました。ほかの県、あるいは田舎に行くと、私が来たと聞けば、みな私を囲んできて、交流しました。ひいては続けて何回も交流する場合もありました。私はこうしたくなく、これは法に基づいていないと気づいていましたが、他の同修の手前、断りきれなかったのです。交流会ではなるべく、皆にしゃべらせ、互いに切磋琢磨するようにしました。しかし、やはり自分の話が多かったのです。毎回、家に帰るとき、私は自分の言動を、映画を放映するように振りかえって、毎回とても辛かったのです。
私は常に師父の説かれた下記の内容を思い出します。「やがて人々が彼らを信奉するようになり、彼らの話に道理があると思い、ますます彼らを信じるようになって、結局人々は彼らを崇拝するようになり、宗教を崇拝しなくなってしまいました。彼らには名利心が芽生え、人々に自分を何かに祭りあげさせ、それ以降新しい宗教をこしらえました。皆さんに言っておきますが、それらはすべて邪教で、たとえ人に害が無くても邪教です。なぜなら、人々が正教を信仰することを妨害しているからです。正教は人を済度するものですが、それらにはできないのです」[1]
自分がこのような境地に陥らないように、私は自ら交流会に参加することをせず、多くの場合、参加しても受動的で、気が進まなかったです。しかし、私は協調人であり、特に迫害がはじまってからの最初の数年間、多くのことは私が解決しなければならず、現地の協調人は更に多くの同修が表に出て来られるように、交流会を比較的多く開催しました。そして、私は常にこのような交流会から逃れることができなかったのです。私はますます私に対する皆の心理傾向を感じました。それは他でもなく、崇拝でした。絶え間ない褒め讃えの中で、私も自分が以前のように素朴でなくなり、えらぶるようになり、顕示心がとても強くなっていることに気づきました。幸いに適宜に自分の問題が見つかり、私は自分が太鼓持ちのようにパフォーマンスしていると感じ、法に基づいていなかった自分の発言に気づくと、心は刀でえぐられるように苦しかったのです。もう再び交流に行かないと決心しました。ひいては、大法の仕事をしに行っても、事前に彼らに連絡せず、直接行きました。しかし、仕事が終わると、現地の協調人はすばやく一部の同修を呼んできて、交流をはじめました。当時、私はこれが自分の心により発生したとは知らず、交流の中で、特に人が多いときは、興奮し、とても強い顕示心を示し、人が多いほど自己を表現したがり、一旦この心に促されると、自己をコントロールできなくなりました。
その後、絶えず法を暗記する中で、私が自分の顕示心を取り除くことができなかったため、このような環境ができたと意識できました。このような現象を断ち切るために、私は交流に参加することを拒否するか、あるいは多くの場合、協調人をやりませんでした。しかし、また同修の「使命」とか、「責任」とかという言葉に左右されました。また、突然協調人をやめたら、また邪悪に口実をつかまれて、2回も迫害されました。
2、3年間私は他のプロジェクトをやり、協調人の仕事をしませんでした。すると、これらの問題に絡むこともなく、とても気楽になり、これらのものはもうなくなったと思いました。しかし、最近の数年間、常に協調の仕事をやっているうちに、あれらの心がまだまだ残されていることに気づきました。私はこの環境の中で、着実に修めるべきだと認識し、再び協調人の仕事を引き受けることにしました。プロジェクトのため、私は皆の前に立たされ、私は自分が我が地区でとても目立っていると感じ、みな私を注目し、私に依頼していました。私自身も仕事をすることが好きで、何をしても、自分の考えを持っていて、自分の意見を発表することが好きで、自己の考えを強調し、他人を左右していました。この数年間、ずっとこれらのものを修めていましたが、よく修めていない自我はずっと働いていて、自分はどうやって修めているか、どうやって悟ったかということを、知らないうちに口にしていました。私の口が動いて、すでに自然になっていました。言いだした言葉は常に不純であり、自分の味を持っていました。そのため、私は非常に苦しかったのです。
師父は「有名だからといって、明白とは限りません」[1]と語られました。私は確かに自分がよく分かっていないからこそ、現地の「有名人」になったと認識できました。法理上ではっきり分からず、ただ表面的に抑制するか、受動的に逃避しても、歴史的に形成された膨大な物質を取り除くことはできません。
2005年以降、私は長期にわたり法を暗記することを堅持し、『オーストラリアの学習者に対する説法』のビデオを数十回見て、顕示心の背後にはうぬぼれと、自分が他人より強い、偉いと思う、とても強い自我であると認識できました。これらの心は私が精進する上での最大な障碍で、これらの心があったから顕示していました。そして、自我を実証する心が芽生えてきました。
これらが分ってから、着実に修煉する中で、とても多くの顕示心を取り除きました。しかし、成功したら、それは師父の説かれた「修は己にありて、功は師にあり」[1]であると知りながら、他人の賛美の声を聞くなかで、人心が生まれ易く、やはり自分に功労があると思ってしまいました。
その後、2009年以降の師父の海外での説法を学ぶ中で、もし自分を制御できなければ、本当の自分を見つけ出すことができてないと認識しました。道理上それは自分でないと知りながら、またこれらの感覚を習慣的に自分だと思いました。他の空間の良くない生命もそれを強化しました。私はそれを見つけるに従い、ますますあの自我と顕示心をはっきりと見分けることができ、それらを根絶するのもそれほど難しいことではなく、比較的自分をよく把握できるようになりました。
特に最近、明慧編集部の発表した文章と、師父の評注、『精進要旨』、『轉法輪』を繰り返して読む中で、私は多くのことがわかってきて、本当に自分が大法の中で本質的に変えられていると感じました。
このことが分ってから、以前はこれらの人心が存在したため、多くの場合、自分の意見を堅持し、自我を示し、自我を実証していたとわかりました。これは師父を尊敬せず、大法に対して罪を犯すことです。同修と交流し、接触するなかで、人心が表れて自分を吹聴していた時、師父を崇拝せず、大法の殊勝さを実証せず、自分の状況を説明し、自分の悟りを強調し、あるいは無意識のうちにこれらを人に押し付け、同修が自分を崇拝するようにさせました。意識的にやったわけではないのですが、その言動はすでに大法弟子の行動ではなくなります。交流の時、場合によっては師父のお話を引用しますが、それは師父の語られた法であると説明せず、パッと口から出し、皆も師父の説かれたお言葉だと知っているから、説明は要らないだろうと思いました。場合によっては、師父の説かれた内容であると説明しましたが、師父のお話をし終えたら、すぐ自分の話をして、間には絶えず説明を加えました。これは法を盗む行為ではないでしょうか?
師父は私たちに「わたしは法の中で幾度となく説いたことがありますが、釈教の経書と末法の出現は、主に一部の人が自分の話、自分の認識を佛法の中に混ぜ入れたことによって引き起こされたことです。これは歴史上、最大の教訓です。ところが、どうしても常人の心を取り除くことができず、弁才、文才を顕示する心に執着する魔性に利用されて、知らぬ間に佛法を破壊している弟子がいるのです」[2]と説かれ、また「法を乱すことには多くの形があって、その中でも内部の弟子が無意識に行なう破壊は最も気づきにくいものです。釈教の末法はこのように始まったのですが、教訓は深刻なものです」[3]と教えてくださいました。
今、私は本当に内心から修煉の厳しさを認識しています。師父は『精進要旨』「猛撃一掌」のなかで、『精進要旨』を10回読むことを要求されました。もし私たちが本当に師父を信じるのであれば、師父のお話を聞き、どのくらい理解できるかにかかわらず、『精進要旨』を10回読むべきであり、そうしたら、私もこれらの間違いを起こしていなかったはずです。師父は直接私たちを済度しておられ、全宇宙の神も私たちを羨ましがっています。私たちが法をしっかり勉強しなければ、また外に向けて何を求めるのでしょうか?
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」
[3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「目覚めよ」