苦痛から安らぎへ、心を修め執着を取り除く過程
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文/トロントの大法弟子

 【明慧日本2013年7月21日】修煉を始めて長年経ちましたが、私は病気を取り除き健康を保つことだけに満足し、心性を修めていませんでした。厄介なことやトラブルが続々とやってきているのに、私はこれらのトラブルを修煉と関連づけて考えていませんでした。それどころか、私は「自分に及ばないような人さえ遭遇しないトラブルに、どうして私のような良い人ばかりが遭うのだろう」と絶えず不平を言っていました。家庭の問題、仕事の問題、それらの問題に悩まされ、プライドが高く、負けず嫌いな私の心はかえってとても憂鬱でした。自分の願いどおりにならないのは運が悪かったとか、他人のせいだと思い、心から喜びを感じることはありませんでした。

 実は、師父はずっと前にすでに明確におっしゃいました。「したがって、今後煉功する際、さまざまな苦難に遭うでしょう。それらの苦難がなければ、修煉がどうやってできるでしょうか?」[1]「人間は実践の中で本当に自分を錬磨しないかぎり、向上することはありえません」[1]

 今は分かりましたが、この法理を本当に理解できなかったのは、私がまだ十分な苦難を経験していなかったからです。私は数年にわたって挫折ばかりして、手に入れようとする名誉や利益はすべて私と擦れ違い、本来は幸せで円満な結婚生活も訳の分からない口論や対立ばかりで、特に長年の姑に対する恨みという大きな関門を乗り越えることができず、それはほぼ私の生と死の難関となりました。しかもすべてのことが、私の心の中に抱えたこの時限爆弾を触発する恐れがありました。あの時、私はほとんど絶望的な境地に陥り、絶えず苦しめられ、苦悩から脱出する道がどこにあるのか分かりませんでした。

 明慧ネットに、修煉によって嫁姑問題を改善した同修の文章がよく報道されていますが、私はいつもそれを一顧だにせず、あるいは多く見ようともしませんでした。実は自分のその強烈な執着心を忌避して、触れることを恐れていたのです。私は心痛のあまり絶望の極限に達し、人に隠れてたくさんの涙を流し、進退極まった状態に陥ってしまいました。

 私はある日突然、師父のある法にはっと目覚めました。もしかしたら、本当に私は前世、姑に悪いことをしていたのかもしれないと悟り、また師父がおっしゃった縁というものに思いいたりました。「人と人の間にはすべて因縁関係があり、私達はすべて見えない縁によって結ばれている、人間が生々世々、輪廻転生の中で被った苦痛は、すべて以前に、他人に与えた苦痛の報いである」と悟りました。私の人生の中にこれほど多くの苦悩があるのは、実は以前他人に申し訳ないことをしたことに起因し、表面上では私がいじめられているように見えても、実際は私が以前に人をいじめたことがあり、もしかすると前世の私は一人の意地悪な姑だったのかもしれない、そこで、今世は姑に恨みを抱かれ、幾らかのトラブルを造って私を苦しめているのかも知れないと、私は急に全てを納得しました。

 私はとても幸運なことに、法輪大法の修煉をしています。師父は説かれました。「返本帰真することこそ、人間としての本当の目的です」[1] 私はたちまち心がぱっと明るくなりました。実は、あの不満だらけでけちで心の狭い私は良くない心に覆い隠された私で、あれは本当の私ではありません。私でなければ、どうしてそれらを放下しないで、それらに喜んで制御され、いつも不満ばかり言うのでしょうか? 目覚めたら、心がぱっと明るくなり、不満もすーっと減りました。私は真の修煉者になります。私はもう自分が不当な待遇を受けていると恨んだりはしません。なぜなら、修煉者にとって、苦しみに耐え、辛いことに遭うのはすべて良いことで、それは私が過去につくった業を返しているからです。苦しみが多ければ多いほど、返すのが速いのです。昔の修行僧は、行脚しなければならず、天下の人の顔色を見尽くし、世間の人にさんざん嘲られ、さまざまな苦しみを嘗め尽くして、やっと業を返して正果を得ることができたのです。幸運にも、私は師父の法身によって見守られているのではありませんか。

 この長年、私の心の中に背負ってきた大きな石を下ろした時、私は本当に生まれ変わったような感じがしました。私は心からかつてない喜びと安らぎを感じました。修煉の真の意味が本当に分かった時、修煉を放棄することができなくなり、暴力や抑圧、誹謗中傷を恐れることはなくなり、例え肉体を失っても、修煉を積んで返本帰真することができるからです! しかし、そこまで悟って、しかも自分の願望と行動に変えるまで、本当に数え切れないほどの挫折を味わい、相当の苦しみを経験して、初めて夢から覚めることができるのです。

 その後、私は自らの行動で姑との積年の恨みを解消し、機会があれば、姑に「法輪大法は素晴らしい」「真・善・忍は素晴らしい」と、しっかり覚えるようにと伝えました。その時、姑が笑いながら言った言葉を覚えています。「はい、はい! 神や佛は人の心を見ているのね」 多分その時の一念で、姑は体がますます良くなったと言います。そうです。これはまさに大法の威力です。あの頃、姑は体中が病気で調子が悪いといつも不平ばかりこぼしていました。多分、私の極度の恨みがはるかに海を越えて、姑に影響を及ぼしたのではないでしょうか。

 気位が高く傲慢で負けず嫌いで、過ちを認めたくなく、侮辱されたくなく、しかも言い争うのが好きな私でしたが、夫との度重なる口論で、ついに心身共に疲れ果て、最後に、自己を守るための負けず嫌い、面子を重んじる心をすっぽり捨てて、心から彼に謝罪しました。実は、夫に対する我慢はもう限界に達し、ほぼ絶望状態でした。決して非を認めず、プライドの高い人間にとって、この一歩を踏み出すことがどんなに大変なことで、難しいことだったでしょう。私はなんと10年近くの時間を費やしました。

 しかし、私がこうして決心した時、師父の法身は私からたくさんの良くない物質を取り除いてくださいました。私はかつてない安らぎを感じました。 私が変われば、夫も変わり、簡単に怒らなくなりました。同時に、夫の仕事もますます順調になり、私も根気良く夫の話に耳を傾けることができるようになり、私達の間にはもう激しい口論がなくなりました。もちろん、毎日、絶えず心性の試練はありましたが、私はいつも大法に照らし合わせて、内に向けて、自分の執着を探すようにしています。家庭の雰囲気はますます打ち解け、家での修煉環境も恵まれるようになりました。特に、夫はついに私の修煉を理解しようとする姿勢を見せ、科学だけを信じて、神を信じない観念を変え、私達の今日の幸運はすべて神佛の加護によるものだと信じるようになりました。また、私の修煉と神韻の宣伝との関係、真相を伝えて、三退して人を救うこととの関係も分かってくるようになりました。

 姑との積年の恨みは夫の長年の苦痛の根源でした。今はすべて解消されました。もし私が修煉していなければ、それは永遠に解決することはできなかったでしょう。夫も心から大法を受け入れ、ますます明るくなりました。それからは、私は彼の目を避けることなく、法を学び、修煉をし、真相を伝え、法を広めることができるようになりました。発正念や煉功、また電話で三退を勧める時、彼はそっとその場を離れ、また子供達を私の邪魔にならないようにしてくれます。私は再び師父がおっしゃった「修は己にありて、功は師にあり」と「堂々と修煉すべきです」[1]の法理を体得しました。本当に自己を放下した時、真の自分を覆い隠していた執着心を放下した時、情況は本当に変わり、師父がおっしゃった「『柳暗 花明 又 一村』というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません!」[1] まったくその通りです。

 最大の心性の関門を乗り越えれば、まるで大きな試験が終わったような感じで、残りの関門はもう怖くありません。なぜならば、どのように対処すればいいか、もう分かっているからです。その後、私は自分にはどんな執着心があるかを常に厳しくチェックし、新たな執着心を発見したら、すぐに私の40ぐらいもある執着心のメモ書きに書き加えます。どれが減って、どれがまだつかんで放さないでいるか、随時照らし合わせるようにしています。師父がおっしゃった「修して執着をひとつも漏らすこと無きを得れば」[2]をやり遂げたいと思います。

 一つの関門を突破して、また次の関門を突破します。すべての関門をそんなに完璧に乗り越えたとは言えません。しかし、すべてのことは師父の法身が私に行った試験として見ています。順調に突破できるかどうかは、ふだん法を学ぶ時、心にしっかり入っているかどうかによります。私は自分がどんなに忙しくても、必ず毎日の学法を確保しています。毎回基本的に『轉法輪』とその他の経文を読んでいます。時間に従って繰り返し通読して、スピードと量を求めず、一つの文を読んでも、自分の行動はどうなのか、法の基準に合致しているかと真剣に考え、自分の一思一念を法に圓溶させます。よくない考えがあれば、師父の口を修める法を暗唱し、口を修めるには、まず心性を厳しく律しなければならないとしっかりと心に刻みます。そうすれば、良くない考えはなくなり、良くない話が口から出なくなります。もし誤解されたり、失礼なことを言われたりした場合、私はすぐに師父の『洪吟三』の詩を暗唱します。そうすれば、言い争う必要がなくなります。いつでもどこでも自分は修煉者であると常に意識しています。師父の法身はいつも様々な方法で私の法の学習が堅実であるかどうかを検証しておられます。

 以上は私自身の次元での法理に対する理解と実践です。法に合致していないことがあれば、同修の皆さんの慈悲なるご叱正をお願いします! 私達は全て共に法理に基づいて向上し、師が法を正すことを手伝う中、正しい念を持って正しく行うよう願っています。

 注:
 [1] 李洪志先生の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志先生の著作:『洪吟』「謎中修」

 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/7/15/276688.html)
 
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