法輪大法は私の心を照らし続けた
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文/中国の大法弟子 修慧

 【明慧日本2016年10月30日】私は20歳から法輪大法を修煉し、すでに19年になりました。

 私は一人娘として裕福で、「コネがある」(物事をうまく運ぶのに役立つ親しい人間関係を有すること)家庭に生まれました。小さい頃から私は優秀な成績と賢さで友人に好かれ、「さまざまな寵愛」を受け、賛美の声に囲まれていました。1978年生まれの私の青春期は、ちょうど中国が閉鎖状態から解放期に転換する時期でした。当時の映画やテレビドラマの影響を受けて、学校内の気風はあまり良くなく、私も喫煙や飲酒、派閥への参加、集団による喧嘩などの悪い習慣を身に付けました。両親は私のことを心配し、しつけをしたり、殴ったりしましたが、まったく効き目がなく、当時の私には反抗心が強く、誰にも束縛されたくありませんでした。

 多くの同年齢の人たちは私に一目置いていました。なぜなら、私は勉強がよくでき、派閥の中でも一定の地位を占め、家庭の経済条件が良く、「コネがある」父親がいたからです。当時の私は少し有頂天になって、大勢の人に取り巻かれている感覚を享受していました。しかし、何故か、皆に羨ましがられても、私は虚しくてなりませんでした。時々私は夜空を見上げ、生命の意義を考えました。人間はこの派手で華やかさの中だけに生きているのではないはずだと思いました。

 20歳のある日、私は偶然に『轉法輪』を読み、すべての疑問が解けました。私は心身ともに目覚めて、「真・善・忍」の教えに震撼しました。その時から、私は以前の生き方を捨てて、法輪大法の教えに従って修煉し、よい人間として生きようと決めました。 

 しかし、修煉の道は平坦ではありませんでした。1999年、江沢民集団による法輪功への迫害が始まりました。この誤った決定により、多くの大法修煉者は数多くの悲惨な事件に巻き込まれ、迫害に加担した人たちをも罪深い深淵に陥れました。

 その間、私は脅され、恐喝され、告発されたこともあって、悩んだり恐れたりしましたが、最終的には堅い信念を持って乗り越えてきました。2005年6月、父親は私のせいで派出所に恐喝され、その後ずっと気分がすぐれず、10月に入ってから突然の心筋梗塞で亡くなりました。2013年、常人の夫は周囲からの圧力に耐えきれず、私と離婚しました。昨年、母親は当地の警官らによる大法修煉者への大規模な連行を大変怖がり、直後に心労のため癌を再発し、この世を去りました。

 当時の私は40歳近くになっていたのですが、小さい頃から甘やかされて育ったため、生活能力がなく、仕事も不安定でした。意気消沈した私は両親を懐かしみ、毎日茫然と日を送っていました。父親が亡くなってから家業が落ちぶれて、誰も近寄らなくなりました。以前、お世辞をよく言っていた人たちも、私の良くない噂話を楽しんだり、なじったり、嘲笑したり、皮肉をいうようになりました。。

 眠れない深夜に、私は涙を流しながら自分が切羽つまり、極限に来たと考えました。その時、師父のお言葉を思い出しました。「忍び難きは忍びうる。行い難きも行いうる」[1]。私は黙々とこの言葉を念じ、いつの日か乗り越えられないことはないと感じました。すでに世を去った両親とは世間での縁が切れて、私がいくら悲しんでも何の意味があるでしょうか。結婚生活ももすでに過去の事になり、くよくよ考えても何になるでしょうか。他人の目線など、なぜ気にする必要があるでしょうか。私にはまだやるべきことがたくさんあり、妄想する時間があるなら、いままでしっかりできなかったことを如何に良く行っていくかを、考えるべきだと思い直しました。

 その時、師父のもう一つのお言葉を思い出しました。「もし本当にやり遂げられれば、きっと『柳暗花明又一村』というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません!」[1]。そう思うと、私の心は瞬時に光に照らされたように明るくなり、放下できなかった執着に悩まされなくなりました。私は『轉法輪』にある師父のお言葉の一つ一つから生きる希望を頂き、どんな境遇にぶつかっても、『轉法輪』から最も良い啓示を受けることができ、自分の悲しみや悩み、困惑が師父の春風のようなお言葉の中で溶けてしまうように感じました。

 多くの死別を経験し、多くの世間の風雨や冷たさを経験してから、私はやっと世間には永遠のものがないことをはっきりと知りました。金銭であれ、地位であれ、幸せな家庭であれ、不意に消え去ることもあり、誰も自分の一生を順風満帆に生きることなど保証できません。人間の真の幸せは栄辱(えいじょく・栄誉と恥辱)から遠い悠々自適で、自然に任せる心の余裕です。修煉者にとってはどんな状況に置かれてもずっと『轉法輪』を手にして、心を静めて修煉を堅持し続けることにあると思いました。

 「なぜ法輪大法を信じますか?」と聞かれたことがあります。私自身も自問しましたが、適切な答えが見つかりませんでした。なぜなら、私にとってはその質問が「あなたはなぜ呼吸するのですか?」と同じことだからです。たぶん、それは生命が真・善・忍に憧れる本能だと思います。

 私の人生の境遇は波乱万丈だったかもしれません。しかし、法輪大法は私を無明(むみょう・迷いのこと。また真理に暗いこと)から解放させ、堅忍(けんにん・しんぼう強く、がまんすること)で明るい心を与え、今後の道を積極的に歩ませて下さいました。苦難の試練の向こうに、素晴らしい未来が待っていると信じています。法輪大法は私の心を照らし続けて下さいました!

注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語: http://www.minghui.org/mh/articles/2016/10/21/336540.html )
 
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