十数人の親友達が大法の修煉を始めた
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 【明慧日本2016年9月25日】2012年、母が病気にかかりました。母は40年来ずっとさまざまな病気にかかってきしたが、以前と違って、今回は顔色が青黒くて、まったく気力がなく、連日眠れず、心配性で、時々何かに怯えて地面にでも潜りたい様子でした。多くの病院で診察を受けましたが、専門医でさえ病名がわかりませんでした。仕方なく、兄は母を連れて街の厄払いを訪ねたこともあります。それでも、母は完全な回復が見られませんでした。

 母を救うことができるのは大法しかないとわかっています。しかし、家族は大法を理解せず、以前私の修煉をやめさせようとして、私を精神病院に送ったことがあります。母に大法を受け入れてもらうのは少し難しいとは思いますが、一縷の望みをかけてやってみようと思いました。長い間、兄夫婦が母の面倒を見てきました。私は兄夫婦を家に帰らせて、自分で母の面倒を見ることにしました。夜中に、母は「気分が悪い。ずっと眠れないし、何だか怖い」と言って、私を起こしました。憔悴した母の顔を見て、私は母に「発正念をしてみましょうか」と言い、肉眼では見えない母を取り巻くよくないものを排除することにしました。発正念の最中に、母は「本当に効くね。私もあなたについて学んでみようか」と言いました。

 自ら大法の不思議を体験した母は大法を受け入れ、父と一緒に大法を修煉し始めました。

 母の身に起きた巨大な変化を目にした兄夫婦は感服し、大法と私に対する態度が180度変わり、両親の健康を心配する気苦労から解放されて正常な生活に戻り、中国共産党の嘘偽りを見抜き、法輪大法が正法であることも信じるようになりました。

 両親の健康面の大きな変化を見て、周辺の十数人の友人たちは大法の修煉を始め、大法から恩恵を受けるようになりました。

 大法を得れば 永遠に悔いなし

 私は生活水準がわりと良い家庭に生まれました。家で私はただ一人の娘なので、多病な私は両親と兄の寵愛をたっぷり受けてきました。成人した私は物静かできれいですが、あまりにも虚弱でした。物事が分かるようになったころから、私の脚には大きな乾癬の塊ができて痒くてたまらず、掻けば黄色い水が流れ出て痛くて堪らず、やっと落ち着けばかさぶたができることの繰り返しでした。長年の貧血で私は常に無気力で、鼻炎や咳が絶えず、友人から病気の問屋だと嘲笑されていました。

 私は産んでくれた両親を常に怨んでいました。いくら良医良薬を探し求めても病気が治らない私は人生に失望し、若者の活気と楽しさを知りませんでした。友人は私の裕福さと家族からの寵愛を羨ましがりますが、他人に言えない私の苦しみを知りませんでした。

 1993年、私は素晴らしい結婚生活を夢見ながら、両親の反対を押し切って、健康で多才な青年と結婚しました。結婚後、健康状態が好転すると期待しましたが、2回の流産で体がますますダメになって、姑とのトラブルや夫との不和による精神的打撃も多く受けました。それに、結婚前の実家では両親や兄が家事全般を分担してきたので、私は家事についてまったく知りませんでした。隣に住む姑は私の家事を処理する不器用さを見てカンカンに怒り出し、嫌な顔をしてくどくど叱責しました。

 姑という老人を相手に、私は凶悪な言葉を口にしませんでした。しかし、寵愛に慣れてきた私はどうにかして自分のつらい思いを夫に訴えたかったのですが、夫は私の味方になるどころか、事情を聞かず横暴な態度できっぱりと反駁してきました。週に2回の喧嘩が日常茶飯事になる中で、精神的に疲れ切った私は離婚も考えたのですが、娘の出産で考えを改めました。しかし、姑とのトラブルがどうしても私たち夫婦の不和を引き起こして、離婚もできず、5年間心身ともに最悪な状況でした。

 90年代に入ってから気功が盛んになり、多くの難病は気功によって治すことができるとよく耳にしました。私も病気治療の目的で1998年に法輪功の説法ビデオを入手して習い始めました。この偶然から、私は修煉の道を歩み始め、苦難の運命を変えることができました。

 ビデオを見た私は法輪功が普通の気功と違い、人々を善へと導く大法であることを知りました。大法は病気治療を目的とせず、人々にいかに良い人になり、いかにもっと良い人になり、いかに他人のために考えるかを教えられました。人間はどこから来て、どこへ向かうのか、人間はなぜ病気を患い、なぜ苦難に遭うのかも教えられました。私は多くの悩みの答えを得ることができて、探し求めていたものを見つけたと実感しました!

 法輪功を学び始めてから私は病気治療の念を放下し、真善忍に従い良い人になるよう努め、内心の喜びを感じました。家族や生活に対する心態も徐々に良くなって、家事も手伝うようになりました。

 こうして、いつの間にか私を悩ませていたすべての病気が消えました。私は20年以上飲んできた薬を捨てて、病気のない体の軽やかさを実感しました。姑は私の変化を目にしてすぐに大法を習い始めました。両親は長年の心配から解放されました。

 1999年7月、中国共産党は法輪大法に対して迫害を始めました。1年あまりしか修煉していなかった私は社会、家庭、会社などの多方面からの圧力を受けて、息苦しかったのです。夫は離婚話を持ちだして私を脅し、24時間私を監視しました。会社からも離職を強いられ、私は行き詰まりました。

 会社の前の小道を1人で歩きながら私は落ち着くことができませんでした。もし修煉を続ければ、この道を歩むのも今日が最後かもしれません。会社も、夫の会社からも書記が来て、私に修煉を諦めさせようとしていました。しかし、いくら考えても、法輪大法は私に健康と善に向かうことを与え、がんを患う叔母を回復させ、死刑宣告を受けた姉を蘇らせ、警察でさえ手を焼いた不良少年を善良な子どもに導きました。私は大法のために陳情しようと考えて、上京しました。

 留置場から出た私を待っていたのは夫からの離婚要請と、舅からの反省文の提出要請でした。両親や兄夫婦、そして姑も私に良い顔を見せませんでした。中国共産党の嘘偽りの影響で、知人の誰もが私を変な目で見ていました。数回にわたる迫害を受けた後、私は辛うじて職に就くことができましたが、ボーナスや昇進などとは無縁になりました。大法の修煉によって得た寛大な心や善良な心構えがなければ、私はその大変な時期を乗り越えることができなかったでしょう。

 真善忍はすでに私の魂に溶け込みました。万事においてきちんとよくできているとは言えませんが、私は常にさらに良い人になるように考え、自分の性格の短所や欠点を正しく認識し、改めようと努力しました。そうしているうちに、私は自分の怨みが感謝の気持ちに変わり、同僚を理解し、人の陰口を言わず、他人を思いやることができるようになったと気づきました。20年来の同僚は私がまるきり別人になったと言いました。彼が言うには、昔の私は自己中心的で出しゃばり、絶対に損をしませんでした。大法に出会わなければ、この物欲主義の社会の中で私はどうなったでしょうか? 以前の心態と以前の健康状態なら、私は今日まで生きて来られたでしょうか?

 私は大法に感謝しています。大法によって私は心身ともに解放され、穏やかで睦まじい家庭を得て、正と邪を見抜く智慧を身に付け、生きる希望を得ました。

 書きたい事はたくさんありますが、千言万語でも私の大法への感謝の気持ちを言い表すことができず、ここでごく僅かな言葉を持って縁のある方々に自分の気持ちをお伝えすることしかできません。文章のレベルは高くありませんが、真心を持って書きました。この文章を読む方々が大法の真相を知り、中国共産党の嘘偽りを見抜き、私と同じように大法から恩恵を受けてほしいと願っています。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/9/4/333098.html)
 
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