師父の慈悲なるご加護のもとで法輪大法を修煉する(一)
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文/シアトルの大法弟子

 【明慧ネット2013年11月4日】

 尊敬する師父 こんにちは! 同修の皆さん こんにちは!

 私は1997年9月に修煉を始め、今日まですでに16年になりました。当時60歳の私は、今年76歳です。師父の慈悲なる済度がなければ、私は今日まで生きていなかったでしょう。

 1995年に義理の妹が北京から『轉法輪』を持って来てくれました。私は何講か読みましたが、通して読んでいませんでした。それにしても、真・善・忍の三文字だけは頭に深く刻み込まれました。1997年、米国の息子を訪問した際に、私は『轉法輪』を持って行きました。

 1997年、つまり私が60歳になるその年、私はもう人生の終点に近づいたように感じました。私は昼も夜も眠れず、睡眠機能をほとんど失い、その上焦ってむやみに人の助けを求め、邪法を練ったため、憑き物を招いてしまいました。憑き物は毎日私の体の精華を吸い取り、本当に泣き面にハチでした。この極めて緊急な時期に、私は「法輪大法を修煉しよう、真・善・忍の宇宙の最高特性に基づいて行い、返本帰真しよう」との一念が生じました。思いついたら直ちに実行に移し、翌日から、私は真剣に『轉法輪』を読み始め、1週間後、帰国して修煉を始めようと決意しました。

 帰国して北京に到着すると、私は妹が勤める大学の煉功に行って煉功しました。十数日後、私は湖北の家に帰って直ぐに煉功場を見つけ、修煉を始めました。当初、師父は私にとても大きな神通力を見せてくださいました。1日目の夜、私の家の環境を整理してくださり、1週間後、灌頂をしてくださり、2週間後、思想業を消去し、また私の目の前に師父の法像が顕われました。それにより、私の無神論の考えが破られ、修煉の信念を固め、また、修煉を始めて1カ月後のある夜、師父は私の憑き物を取り除いてくださいました。これらのすべてを、私はこの身をもって体験し、しかもそれが夢の中ではっきり見えました。それは夢ではなく、私の主元神が別の空間で確実に見た或いは感じたものでした。3カ月後、睡眠機能が回復し、それ以後、私はもう眠れないことを心配しなくてもよくなりました。

 1997年9月に修煉を始めてから、1999年7月に渡米するまで、私は中国大陸で約2年間近く修煉しました。その頃、同修達と朝晩煉功し、法を学び、法を広め、切磋琢磨して交流し、そのため、心性の向上がとても速かったのです。特に古い修煉者の影響もあって、私は法を学ぶことに対し、しっかりと認識していました。中国本土での2年近くの間、私は『轉法輪』を約100回通読し、2回書き写しました。それは私の個人修煉に比較的良い基礎を築き、また、その後の法を正す期間の修煉に良い土台を作り上げました。

 1999年7月3日、私はシアトルに行きました。7月.20日、中国から法輪功に対する迫害のニュースが伝わって来ました。私はそのニュースを耳にした時、涙を流しながら、師父の写真の前にひざまずいて、「師父、私はあなたについて行きます。真・善・忍の宇宙大法は誰も破壊することはできません」と言いました。その後、北米の佛学会からワシントンDCに行って、法を実証しようとの情報がありました。私はシアトルの同修と一緒にDCに行き、そこで世界各地からDCへの旅行者や、米国の国会議員に向って、メディアに向って「法輪大法は正法です! 中国共産党が大法を迫害するのは誤りです。憲法に違反しています。人権を破壊しています。正義は必ず勝ちます! 悪は必ず敗れます!」と宣言しました。

 それ以来、私は同修と一緒に、法を正す修煉の道を歩み始め、各地での法会に参加し、法を実証しました。私は台北へ、ジュネーブへ、また2001年には、中国の法輪功修煉者救援SOS活動に参加し、徒歩でシアトルからサンフランシスコまで行き、沿道で真相を伝え、法を実証しました。

 2002年3月から、私は電話で中国国内へ真相を伝え始めました。開始してから今日まで11年間、休まずに続けてきました。2004年『中国共産党についての九つの論評』が発表され、私は「本当によくできています! 共産党の邪悪を余すところなく暴き出しています。私はこの情報を早く中国国内に伝えなくてはならない」と思いました。そこで、私は昼間はファックスで送り、夜は電話をかけ、もっと多くの中国人に中国共産党の邪悪な本質を知らせ、それによって共産党を唾棄し、離脱するようにしました。2005年5月から始めて今日に至るまで、私はすでに4万9千人の人に三退を勧め、三退させました。この11年間の電話をかける過程は私が法を実証する過程であり、私の修煉の過程でもあります。この一歩一歩はすべて師父の慈悲なるご加護によるものです。

 私が初めて電話をかけた時のことを今でもはっきりと覚えています。私は、邪悪が電話番号を通して私を見つけるのではないかと心配して、家で電話をかけることを恐れていました。私はバスに乗って、バスセンターまで行き、そこの公衆電話で最初の電話を北京の法輪功迫害事務室にかけました。それは録音電話でした。私は事前に書いた文書を取り出し「私は中国政府が国に百利あって一害もない法輪大法を迫害し、真・善・忍を修める良い人を迫害することに対し、正義をふまえ容赦なく非難します。大量殺戮の停止、すべての法輪功修煉者の釈放を強く要求します」と読み上げました。2回目の電話は当時の公安委員会委員長の事務室にかけました。女性秘書が電話に出て、私は彼女に法輪功への迫害停止を求める旨を公安委員会委員長に伝えて欲しいと言い、またさっきの原稿をもう一度読み上げました。彼女にどこから電話をかけてきたのかと聞かれたので、私は米国からだと答えました。

 原稿を読み終わって、私はとても興奮しました。私はこのように邪悪を震え上がらせることができて、実に素晴らしいと思いました。しかし、私は喜びのあまりに、反対方向のバスに乗って、まったく知らない公園まで行ってしまいました。帰りのバスは1時間後にしか来ないと知らされた時、自分の歓喜心を取り除かなければならないと悟りました。

 法を実証する初めてのこの電話は、11年が経ってもまだありありと目に浮かんで来ます。その後、毎日車に乗って外で電話をすることは現実的ではない、家でしなければならないと思いました。私はテレホンカード会社を通じて電話をするので、恐れることは何もないとも思いました。家族を避けるため、私は毎晩自分の部屋で、またお手洗いの中でかけました。電話をかける回数が増えるに連れ、私が書いた文書はもう目まぐるしく変化する環境や様々な人々に適応できなくなり、そこで私は電話のかけ方を対話方式に変更しました。最初、恐怖心があったため、うまく話せず、言葉も詰まったりしました。次第に、恐怖心が取り除かれ、穏やかな口調で、理由も根拠を持って話すことができるようになりました。それができるまで、とても長い修煉のプロセスを経過しました。恐怖心、闘争心を取り除き、罵られても、やり返さないという境地に到達するには、言うのは簡単ですが、実際に実行するのは相当難しいものでした。しかし師父が諄々と教え諭されたこと「行ない難きも行ないうる、忍び難きは忍びうる」[1]を思い出し、次第にうまくできるようになりました。ある日、ある中国本土の若い女性が私の話した法輪大法の真相を聞き終わって、また多くの質問をしました。私はそれに一つ一つ解答した後、彼女はとても嬉しそうに、「ありがとうございました。あなたは本当に素晴らしいですね」と言ってくれました。それは師父が彼女の口を通して、私を励まして下さっているのだと分かりました。

 2002年3月から2004年末まで、私は中国本土の中国人に法輪大法の真相を伝えることを中心にやってきました。2004年末から2005年の上半期まで、『中国共産党についての九つの論評』について話し、2005年の下半期から現在まで三退を勧めました。電話番号はすべてネットから送られてきたRTC番号で、毎晩4時間ほど電話をかけています。今まで、すでに4万9千人の人を三退させました。実はこれらのすべてのことは師父がなされているのです。本当に人を済度してくださるのは師父です。私はただその願望があり、そのように思い、そのように実行しているだけです。

 (続く)

 (2013年米国西部国際法会で発表)

 注:

 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/10/26/281725.html)
 
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