文/中国の大法弟子
【明慧2013年8月26日】今日まで、私が生き伸びることができたのは、慈悲なる師父が私に新しい命を下さったからです。私は1995年8月に幸運にも大法に出会い、大法弟子になりました。師父の慈悲なるご加護と大法の佛光の下で、私の人生に根本的な変化が起きました。
私は中学校の教師で、60代です。1994年7月、私は病院で舌癌と診断され、切除手術(舌の三分の一を切除)を受け、話すことができなくなりました。医者は私の命はもう長くないと家族に告げました。子供たちは心中とても辛くて、居ても立ってもいられず、あちこちの病院を探し、私に化学療法を受けさせようとしました。その時から私は教壇を離れざるを得なくなりました。私はこの残酷な現実を受け入れ難く、自分には残りの人生が後どのぐらいあるかも分からず、終日涙をボロボロと流し、精神状態もどん底まで落ち込んでしまいました。
私が絶望状態にあったちょうどその時、娘が地方からある情報を手に入れました。それは法輪功が不治の病を治すことができるということでした。私は試してみようという気持ちで、親しい友人の協力を得て、容易に一冊の『轉法輪』を入手しました。私は命の最後のチャンスを掴もうと、一生懸命に本を読みました。次第に多くの法理が分かり、体はとても楽になり、心も明るく広く感じ、言葉もはっきりと話せるようになりました。その後、私は功法を学び始め、1週間後、私は単独で5式の功法ができるようになり、体も日に日によくなりました。
妻と子供達は私が法を学んだ後の体の変化を見て、みんな師父のご恩に感謝し、大法が素晴らしいと信じるようになりました。妻も修煉の道を歩み始めました。十数年来、癌患者の私は一度も化学療法、放射線治療を受けたこともなく、薬を飲んだこともありません。
ある日、校長が自宅に来て、「先生、あなたは癌患者です。教育局に申請すれば、いくらかの福祉基金を受けることができます」と言いました。私は「私は要りません。他の患者にあげてください。私は大法を学んで完治しましたから、お金は要りません」と答えました。校長は「あなたは本当に思想が高いですね」と言いました。
その後、「お金をあげると言っているのに要らないなんて、あなたは本当に馬鹿だ」と言う人もいました。私は「大法を修める人は私利のためではありません。真・善・忍の教えに従って良い人になるためです。師父は私に新しい生命も下さいました。福利金なんか要りません」と言いました。
1999年7.20以後、中共(中国共産党)は気が狂ったかのように法輪功を迫害し、癌患者の私さえも見逃しませんでした。私は学校の大小の会議で、個別面談で、修煉を放棄する保証書を書くようと強要されました。私は「私の癌は大法により完治したので、修煉しないということはできません。あなた達は私に命を放棄させるのですか。私は断固として拒否します」と言いました。
2001年の初め(ちょうど新年を祝う際)、中共の当局者が私を市の洗脳班へ送り、「転向」させようとしました。その時、私は洗脳班で連行された同修と法を学び、煉功し、切磋琢磨しました。警官は私達に保証書を書くようにと強要しましたが、私達はその話を聞かず、書かず、何もしないで、迫害に抵抗しました。凶悪な警官はうまくいかないと見て、正月に私たちを家に帰らせないで、年が明けてからやっと帰らせました。
私はいろんな形で真相を伝え、機会を利用して縁のある人を済度ました、私は田舎や街、大通りや路地であろうとこだわりなく、どこへでも行きます。十数年来、修煉の道で起きた神秘的なことも少なくありません。
数年前のある日、私がある工事中のビルの足場の下を通った時、セメントの入ったバケツが三階の屋根から落ちてきました。そのバケツは私の頭を「ドーン」と直撃して、それから地面に落ちました。私が我に返った時、上の階の人が大声で叫んでいました。その場にいた人達は「もう少しで命を落とすところだった」と驚いて、呆然としていました。私の頭は大量のセメントを被ってしまいました。すぐ家に帰って髪を洗いましたが、頭は少しも痛くなく、腫れも傷もまったくありませんでした。師父がまたまた私を守ってくださいました。
1995年に修煉を始めてから、私は大法の基準「真・善・忍」に基づいて、良い人になり、入院したこともなければ、薬を飲んだこともありません。体は完全に回復し、通常通りに出勤しています。病院の責任者は私の手紙を見た後、「癌になって、死を宣告された人が今日まで生きてこられたのは、本当に奇跡的です! 法輪功は本当に神の功です!」と、とても驚いていました。