河北省の法輪功修煉者 迫害され死亡 
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 【明慧日本2014年3月9日】河北省保定(ほてい)市満城県の法輪功修煉者・趙志雲さん(女性)は、1999年7.20に中共(中国共産党)当局が法輪功に対する弾圧を開始した後、自らが体験した健康効果を政府に伝えるため、2度北京へ陳情に行ったが、連行・拷問・労働教養と長期にわたり嫌がらせされるなどの迫害を受けた。そして、趙さんは昨年12月26日に死亡した。

 趙さんは1996年に法輪功を学び始めた。趙さんは「真・善・忍」の基準に基づいて事を行い、体が生まれ変わったかのように変化し、頑固な病気は消え、楽観的で健康になった。 

 陳情のため上京して迫害される 

 1999年7.20、中共は気が狂ったかのように法輪功を迫害し始めた。趙さんは幼い息子を連れて北京へ陳情に行き、法輪功を学んだ体験や真相を伝えたが、高碑店(こうひてん)駅で取り調べられ、地元の警官により白竜郷派出所まで不当に連行された。趙さんの夫は派出所の警官に脅され、趙さんをひどく殴った。当日の夜、趙さんは満城県武装部のゴミだらけの部屋に監禁されて尋問され、法輪功を罵ることを強制され、法輪功の修煉を放棄する旨の書類・保証書を書くように強いられた。4、5日後にようやく解放された。 

 その後、趙さんは落ち着いた生活ができず、いつも嫌がらせをされていた。2000年の春、白竜郷派出所の警官は趙さんを派出所まで呼び出して身体捜査をし、趙さんが持っていた50元を没収した。 

 2000年10月1日午後、満城県国保(国家安全保衛)大隊の警官は趙さんの家に不法に押し入り、趙さんを同県公安局まで連行し、その夜、同県留置場に移送した。留置場で趙さんは強制的に撮影され、労役を強いられ、煉功したとの理由でビンタを打たれて歯を打ち落とされ、出血した。警官は趙さんの足に死刑囚の刑具を付けて鉄の棒で固定し、両手に手錠をはめて、手と足の間は長さ約30cmのチェーンで繋いだ。これはとても残酷な刑具で、立ち上がれず曲がった苦しい姿勢しかできず、食事をすることも、トイレへ行くこともできない。趙さんは断食迫害に抗議し、9日後に意識不明となった。警官は家族から金をゆすり取ろうとし、困った趙さんの夫は5千元の借用証書を書いて、趙さんを家に迎えた。 

 その頃、趙さんの夫は爆竹の商売をやっており、政府関係者や警官らがいつも店に来て、代金を払わずに爆竹を取ったり、夫に食事をおごらせたりして夫婦仲を悪くさせた。夫は恐れて毎日喧嘩をし、離婚すると言い続けた。 

 趙さんはやむを得ず、再度北京へ陳情に行った。まだ陳情部門に辿り着いていない趙さんは、私服警官に天安門警備区域まで連行された。趙さんは数人の警官に殴打されてビンタをはられ、髪の毛を引っ張って壁にぶつけられ、目が見えなくなり、全身傷だらけになった。その後、趙さんは北京平谷留置場に拘禁された。

酷刑演示:毒打

拷問の実演:殴打  

 地元に戻され、労働教養を科される 

 趙さんは平谷留置場で10日間苦しめられた後、満城県610弁公室の警官に満城県留置場まで連行された。

酷刑演示:野蛮<span class='voca' kid='74'>灌食</span>(绘画)

拷問のイメージ図:野蛮な灌食 

 趙さんは留置場で断食で迫害に抗議したため、暴力を振るわれて罵られ、1日に2回灌食された。4人の警官がそれぞれ趙さんを押さえつけて髪の毛を掴み、腕と足を押さえて、長いゴムの管を鼻から胃に挿入し、トウモロコシの粉・スープ・大量の塩を注ぎ、終わっても管を抜かず放置した。趙さんはひどく苦しめられた。

 30日後の2001年6月5日朝、警官は「早く準備しろ、お前の家族が迎えに来た」と大声で叫んだ。趙さんには家族の姿が見えず、ただ1台の大きなパトカーが入り口で止まっているだけだった。趙さんは労働教養1年を科されて、保定八里庄労働教養所に送られた。 

 親友と隣近所まで嫌がらせされる

 趙さんは労働教養所から帰宅後、日常生活をいつも監視されていた。 

 2010年8月16日午後3時頃、満城県城関派出所の警官らは、趙さんの自宅に不法侵入して捜索を行い、趙さんを連行しようとした。その際、趙さんが気絶したにもかかわらず、警官は救急車を呼んで趙さんをそのまま連行した。

 趙さんは迫害から抜け出すため、路頭に迷う生活を余儀なくされた。警官は趙さんの息子の所や、すべての親戚の家に嫌がらせに行った。  

 恐喝される中で死亡 

 趙さんは、長女が出産した後に家に帰った。2012年3月、趙さんは昼食を作っていたとき、突然扉を叩かれ、知らない女性が「間違った」と言ってその場を去った。同様のことが何度も繰り返された。午後、その女性が趙さんを町内の事務所に連行しようとした時、610弁公室の指示によるものだと分かった。 

 趙さんは病気で倒れた。このように、善良な田舎の女性が中共の各級人員に長期にわたって迫害され、趙さんは無念な思いを晴らせないまま死亡した。 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/2/18/287824.html)
 
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