文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年6月8日】私は農村に住んでいます。順風満帆で、屈託なく生活を送っていた1994年、私はB型肝炎を患いました。1年近く治療しましたが、病状がよくなるどころか、かえって重くなりました。3年後、せっかく貯めてきた家のすべての貯金を使い切って、最終の超音波検査Bモードの結果、肝臓エコーが大きくなり、肝硬変になりました。医者は間もなく腹水がたまるでしょうと言いました。
このショックに直面して、人生への望みや憧れはなくなりました。鼻炎、片頭痛、痔、坐骨神経痛、及び肝炎によって引き起こされた合併症で、胃炎、胆嚢炎、脾腫、低血圧、心不全、不眠などの症状が毎日私を苦しめ、死と闘う日々で、本当に生きるより死んだほうがましでした。
辛く眠れない夜に、いつも夜空を見て、人生はなぜこんなに苦しいのか? 自分はなぜ世間に来てこの苦しみをなめるのかと、考えずにはいられませんでした。数え切れないほど天を仰いで死にたいと思いましたが、私には年を取った母と幼い子供がいるので、このまま終わることはどうしても受け入れられません。「神様、天地に魂をお持ちであれば、どうか命を助けて母と幼い子供の世話ができますように」とお願いしました。
どうすることもできない時に、1997年正月15日、法輪大法が私の故郷まで伝わりました。試してみる気持ちで、煉功場に入りました。数日後、著しい快復がありました。
20日後、私を苦しめた数年のB型肝炎とすべての他の持病も完全に治りました。『轉法輪』を拝見した後、かつてどう考えてもわからなかった人生の疑問が解けました。それから、私の人生に新しい一ページが開きました。
18年以来、師父が教えてくださった「真善忍」に基づくよう一所懸命努めてきて、心身ともに健康で楽になり、薬一粒も飲まず、注射の一本もしませんでした。まわりの親戚や友人もこの奇跡を見てきました。この事実は決して中共の中傷によって否認できるものではありません。
私は果物の商売をしており、ある日フルーツ会社から果物を仕入れましたが、箱が足りなくて、会社から42個の箱を借りましたが、敷金もなくサインも要求されませんでした。しばらくすると、その会社は破綻して、大きな人事異動がありました。以前私に箱を貸してくれた責任者もいなくなって、新しい責任者の中には誰も私が借りたことを知りません。42個の箱を返して理由を説明すると、責任者は親指を立てて感謝しました。私は「感謝するなら、私たちの師父に感謝してください! 私は法輪大法を修煉しています。師父が真善忍に基づいた良い人になるようにと教えてくださったのです」と彼らに言った途端、会社の社長はみんなの前で大きな声で「法輪大法は本当に素晴らしい!」と叫びました。
その後、もう一つ大きな会社で同じようなことが起きました。彼らから210個の箱を借り、一個あたりは20数元ぐらいですが、同じく書類にサインを求められませんでした。電話で箱を返しに行くと連絡をした時、会社の責任者は「あなたが借りた箱の事は誰も知らないから、返さなくてもいいです。いつかおごってくれればいいから」と言いました。私は彼に「私は法輪大法の修煉者です。真善忍に基づいてよい人になるべきなので、ご飯はおごりますが、箱は返さなければなりません」と言いました。事が済んだ後、その責任者は私に「今の社会ではあなたたち大法弟子のような人は本当にめったにいません。共産党は正邪を弁別せず、これらのよい人を迫害しているので、この党を私は絶対に脱退します」と言いました。こうして、彼は邪悪な共産党組織から脱退して、自分に美しい未来を選びました。
人生で法輪大法に出会って、本当に幸せでした! 1999年「7.20」以降、中共の江沢民集団が法輪大法を迫害しましたが、私は自分の経験をもって大法を実証し、大法のために陳情に行き、理不尽に現地の政府に40数日間監禁され、罰金を受けました。2000年から2012年まで真相を伝え続け、現地の警察署によって留置場に送られ、4回も不法に監禁されて、数種類の拷問を受けました。生きて戻ることができましたので、師父の話に従って続けて真相を伝える使命を守っていき、更に多くの衆生を救い済度し、師父が命を助けてくださったご恩に報います。