腰太鼓を演奏する中で体験したこと
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文/マレーシアの大法弟子

 【明慧日本2014年7月29日】

   尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 年に一度の法会がまたやってきました。今日は腰鼓隊に参加する中での私の修煉体験を皆さんと分かち合いたいと思います。

 2010年、マレーシアの首都・クアラルンプール市の有機食品展示会後の晩餐会で、マレーシアの腰鼓隊はパフォーマンスを披露しました。それは私が腰鼓隊に入って初めてのパフォーマンスで、喜びのほかに緊張もありました。出演する前に協調人は何度も「みんな笑顔、笑顔」と注意しましたが、舞台に上がって下の多くの観客を見ると、私は唇が震えるほど緊張して、観客から熱烈な拍手を送られた時でも、私はみんなに笑顔で感謝することもできませんでした。

 パフォーマンスが終わった後、バスに乗った私は気分が重く、どうしてこんなに緊張するのか、根本的な原因を探してみました。すると、名を求める心と恐れる心が見つかり、家に帰ってそれを取り除くために発正念をしました。2回目のパフォーマンスをした時、初回より少し表情が和らいだのですが、やはりとても自然な笑顔ではありませんでした。

 ある日、チームが練習する時、全体の動作がなかなか要求に達することができず、私は心の中で密かにある同修に「どうしてこんな簡単な動作もできないのか?」と愚痴をこぼしました。しかしすぐに「どうして自分の欠点を見ないのか?」と反省しました。考えてみると、その愚痴の裏に自分自身の能力を証明する心、つまり自分が腰鼓を上手に叩いていると自惚れる心が隠れていました。これはこれは小さい執着心ではありません!

 今後、同修の至らないところばかりに目を付けてはならないと、私は自分自身に注意しました。では、同修たちと一緒にいる時、どのようにすれば良いのか、また困惑しました。その時、師父は『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」で説かれた「皆さんは法を実証しているのであって、自分自身を証明しているのではないということです」と『洪吟二』「腰鼓隊」の中の「法鼓声声すべて真善忍」が頭に浮かび上がってきて、「ああ、音楽に従えば、それは法を実証することになるのだ」と、突然分かりました。

 以前、パレードやパフォーマンスに参加した時、音楽に従って行進するという簡単な道理が私には分からず、自己を強調する部分がありました。執着心があれば、肉体が束縛を受けざるを得ず、動作も考えなければならないし、体の重さや足の疲れも出てきて、当然、自然な笑顔にはなれません。一方、自分自身を証明する心を放下すれば、それはつまり神の状態に符合し、その時には肉体の束縛を受けず、ごく自然に笑顔になります。

 法理が分かった後、それからの練習やパレードに参加した時、私の笑顔はとても自然で素敵になりました。

 師父の経文『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』で、師父は「二時間あまりの舞台での表現を通じて、人間はこの人たちがどういう人なのかが分かるようになりました。純然たる善と美が満ちた公演は、普通の現代人がやり遂げられるものではありません。先ほども言いましたが、今は善い役を演じるとき、真似する必要がありますが、これは真似してできるものではなく、内心世界から自然にあふれ出てきたものです。しかも、修煉者の体は非常に純潔で清らかなのです。多くの観客はアーティストの善を目にし、笑顔も普通の俳優のように媚びている笑いではなく、完全に修煉者の純然たる内心世界からあふれてきたものだと分かったのです。観客は観賞して法輪功の人がどういう人なのかをすぐ分かったのではありませんか」とおっしゃいました。

 それを読んだ後、私は笑顔の大切さにさらに目覚めました。法を正す時期の大法弟子の笑顔はすでに普通の笑顔ではなく、修煉者の内心からの慈悲であり、笑顔を通じて修煉者の慈悲を衆生に伝え、衆生は真相を容易に理解できるようになり、それによって救われます。今後、腰鼓を身に付けた以上、それと「セット」で笑顔は絶対に忘れないと私は自分自身に言い聞かせました。

 2012年の新年、ジョホールバル市でのパレードに参加した時、奇跡が現れました。2時間ほどの行進中にまるで雲を踏んでいるように足がとても軽く、パレードの全過程で私は笑顔が絶えませんでした。私たちが笑顔を見せた時、道路の両側の観客も熱心に拍手して我々に感謝の意を表しました。

 パレードが終わった後、ある同修は私に「さっき太鼓を叩いていた時、あなたの足どりはとても軽快で、笑顔も見えましたよ」と言いました。これは師父が同修の口を借りて、私を励ましてくださったのだと分かりました。笑顔は大法から授かったのです。

 実は、どのプロジェクトにおいても、自分の思想が大法に符合する時、大法に基づいて法を守り、法を実証するならば、大法はきっと私たちに知恵と能力を授け、私たちに衆生を救い済度させるのです。

 慈悲で偉大な師父に感謝します! 同修の皆さんに感謝します!

 (2014年アジア地区法輪大法修煉体験交流会)

 
 
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