楽しいか、楽しくないか
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年8月13日】数日前、妻(同修)は私にある一言を言いました。「あなたといる時間が、少しも楽しくないのです」。その時、私はびっくりしました。彼女はどんな心境でこのような話をしたのでしょうか? その後、冷静に自分のことを反省したら、彼女は私の鏡だと認識し、彼女のような言行と考え方が、私にあるかどうかを考えました。自分は十数年修煉したのに、修煉状況はどうでしょうか? 師父の経文『大法弟子とは何か』を読んだら、自分のしてきた事はなんてダメなんだと思うと恥ずかしくて涙が出てきました。私は邪悪に迫害された後、労働教養を強いられ、刑務所から出てもその状態から抜け出すことができませんでした。長い間、私は意気消沈したままで、圧力を感じて、暮らしも苦しくてつらいと感じていました。ある日、私は無意識に鏡を見ると、迫害されたせいでますます白髪とシワが増え、自分でも見分けがつかなくなり、心から泣きました。

 私は師父の経文を読みました。「袋に四角いものを入れたら、外から分かります。丸いものをいれたら、外からも分かります。つまり、どういう考えを入れたのか、外見から分かるのです。ある人が私の前にいれば、私だけではなく、人類社会はそれほど簡単ではなく、多くの能力のある人がいますので、見ればすぐ彼のどの考えと行動が突出しているのか、彼の好みとは何か、全部顔に現れています。場合によっては体の形にまで現れています」[1]突然、私は気づきました。自分の正しくない状態が、外見の変化と周囲の環境が上手くいかない事をもたらしたのです。私が苦しく感じるとき、顔にまで現れていました。大法弟子はこの宇宙で最も幸福で喜びを感じる生命だと思います。広大な佛恩の下で法に溶けこみ、天上の無数の神さえ私たちのことが羨ましくたまりません。私たちにまだ、自分が思い通りにいかないことを悲しみ嘆く理由があるでしょうか?

 以上、適切でないところがあれば、慈悲にご指摘ください。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『大法弟子とは何か』 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/9/24/247114.html)
 
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