同修を自分の鏡とし 内に向けて探す
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文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2014年8月27日】私は1996年11月に幸運にも大法に出会い、今は70歳を過ぎています。大法を得た当初、私は修煉とは何か、なぜ修煉をするのか、どう修煉すべきか、そしていかに心性を高めるかを知りませんでした。この風雨に満ちた十数年の修煉の道で、私は師父に手を引っ張っていただきながら歩み、やっと修煉の真意が分かり、修煉できるようになり、真善忍の法理の指導の下で精進しつつあります。師父の慈悲なる済度に感謝いたします。

 一、嫉妬心を取り除く

 ある日の交流の時、同修にこう言われました。「私には嫉妬心があります。あなたのことを嫉妬しています。あなたの修煉環境がよく、一人の娘さんが修煉し、もう一人は修煉しなくても反対もしません。しかし、私の修煉は五人の子供全員に反対されています。あなたは主人に良くしてもらっていますが、私は主人とは喧嘩の一途です。今でも口が開けば罵声、手を上げれば暴力です」。もう一人の同修も、「私も少しあなたに嫉妬しています」と言いました。

 修煉者として、この話を聞くと、本来ならすぐに内に向けて探し、自分にも嫉妬心があるかどうかをみて、それを取り除くべきですが、しかし当時の私は、「私には嫉妬心がありません。誰が高官になろうが、誰が富を築き上げようが、誰の生活条件が私より良かろうが、誰と誰の関係が良かろうが、私は一切嫉妬しません」と答えました。それだけでなく、嫉妬心がない自分は良く修めていると思っていました。

 しかし、後日、今まで従順だった娘は私に対する話の態度がだんだん悪くなり、私を見下し始めました。ちょうどこの時、ある同修は、「あなたの娘は本当に良い子ですね。私にも良くしてくれるし、私の本当の娘よりいいです」と言いました。別の日に、娘はある同修とすごく楽しそうにおしゃべりをしていて、私は何かあったのと聞くと、彼女は私をちらっと見て、「何でもない」と返事をしました。私はその場では自分を抑えましたが、しかし離れてから内心怒りました。「そんなに楽しいことがあるのに、私が聞くと何でもないと言って、私は誰ですか? あなたの母親です。家政婦にもこんな態度は取らないでしょう」。その後、娘が何でも私に隠しているように感じ、彼女との間で隔たりが生じました。彼女は非常に忙しく、留守がちなので、私たちの交流も少なく、私は孤独と無力、そして怒りを感じながら思いました。「あなたたちは私を常人のお婆さんのように思い、無視するなんて。私も修煉者であり、間違いがあれば法理をもって助けてほしいのに...」。一人で残されてしまう気がしてならず、実際、この時の私はすでに自分を修煉者として思っておらず、外に向けて求め、内に向けて探さず、心性を修めていませんでした。当時、体にも病気の虚像が現れ(常人の脳血栓の症状)、娘と同修達の助けで、毎日学法発正念をし、半月でほぼ健康を取り戻しました。 しかし、人心は取り除かれておらず、私は現状を避けようとして、一人でしばらく他の地方で住むことにしました。

 他の地方に着いた後、私はグループ学法に参加し、五日目に『轉法輪』第七講の嫉妬心の節を勉強するとき、師父によって悟らされました。師父は次のようにおっしゃいました。「嫉妬心という問題はかなり重大です。なぜならそれは、われわれが修煉して円満成就できるかどうかという問題に直接かかわってくるからです。嫉妬心を無くさなければ、人間の修煉した一切の心が脆弱なものになります。ここには一つの決まりがあります。すなわち人間は修煉の中で、嫉妬心を無くさなければ正果を得られないもので、そうしなければ絶対に正果を得ることはできないのです。業を持ちながら往生すると阿弥陀佛が語ったことがあるのを、皆さんはお聞きになったことがあるかもしれませんが、しかし嫉妬心は無くさなければ駄目です。つまり他の方面で少し足りないところがあっても、少々の業を持ちながら往生して、再び修煉してもよいかもしれませんが、嫉妬心は無くさなければ絶対に駄目です。今日、わたしは修煉者に向かって話していますが、頑迷に固執して悟らないようではいけません。あなたが達成しようと思う目的はより高い次元へ修煉することですので、嫉妬心は必ず無くさなければなりません」[1]

 師父のこの法を読み終えたところ、私はすでに声を上げることもできずに泣いていました。まるで間違いを犯した子供が親の前で穴にでも入りたい気分でした。師父は私の心性向上のために娘をそばに置いて下さったのに、私は自分を修煉者と見なさず、内に向けて探さず、ずっと自分に嫉妬心がないと思い、地方まで逃げてきて、これほど強い嫉妬心があるにもかかわらず、自分は意識していませんでした。

 法理が分かってから、私はさっそく法に従って自分を正し、発正念してそれを解体しました。その後、二回も嫉妬心が出て来ましたが、私はすぐにそれを意識し、発正念して、それを解体しました。実際、師父は私に嫉妬心を取り除こうとする意欲があるのを見て、取り除いて下さったのだと思います。師父、感謝いたします。

 二、同修を自分の鏡とし、内に向けて探す

 ある日、グループ学法の後、同修Aさんは残りの時間を利用して『明慧週刊』を読むことを提案しました。しばらくそれを勉強してから、同修Bさんは突然、「私はちょっと眠くなったので、先に帰ります」と言って、靴を履いてさっさと出て行きました。見れば分かりますが、彼女は怒って出て行ったのです。『明慧週刊』を読み終えて、私はAさんと交流し、もしかして、私たちはどこかで間違いを犯し、同修を怒らせたのではないかと内に向けて探してみました。

 Aさんは、「私は事前に彼女に声を掛けず、いきなり『明慧週刊』を読むことを提案し、彼女は一冊を取ろうとしましたが、私は皆が読み終えてから取って行ってと言い、少し乱暴だったのでしょうか?」と言いました。私は、「私もよくできておらず、学法前の話し合いの際、彼女を少し刺激したかもしれません。それに、さきほど週刊を読んでいたとき、彼女がうとうとしているのを見て笑いましたが、それも彼女を怒らせた原因かもしれません」と言いました。Aさんは、「一緒に謝りに行きましょう」と提案しました。Bさんに訪問の意図を説明した後、彼女はこう答えました。「私を見くびりましたね。私はそんなに心が狭い人ではありません。私はいつも同修の長所を見ているので、あなたたちは考え過ぎだと思います。私は思うがままに言う性格です」

 Aさんと私は自ら謝りに行ったのに、その誠意を受け入れられませんでした。帰宅後、私は再び真面目に内に向けて探しました。以前、二回ほど、私はBさんの不足を指摘したことがあります。一回は、彼女と一緒に真相資料を配布しに行くとき、彼女はどうして資料を9部、6部、または3部だけを持って行こうとしました。私はこれでは少な過ぎると思い、しかも3、6、9とは何でしょう? そう思って、私は「『明慧週刊』にある同修の交流文章が掲載されていますが、その同修が言うには、自分の地区の数名の同修は不二法門の問題で邪悪の迫害を受け、肉身を失いました。その同修が内に向けて探し、自分には数字に執着する心があって、それも不二法門でしょう」と言いました。Bさんはすぐに、「私は不二法門ではありません」と言いました。

 もう一回は、グループで何かを決めようとするとき、Bさんは、「これで決定しましょう。必ず、絶対に」と言いました。彼女は「絶対に」を何回も繰り返しました。その時、私は師父の法を思い出し、「今までは絶対平均主義が実行され、人間は生まれた時は皆同じで、後天が人間を作り替えたのだ、という言い方をしてきました。それはあまりにも極端な言い方で、どんなことでも極端にいくといけません」[1] つい同修に、「あなたはいつも極端ですね」と言いました。その時も彼女を怒らせたかもしれません。

 この二件のことを通じて私は内に向けて探し、もしかして自分にも同じような問題が存在するかもしれないと思いました。同修が数字に執着していると言いながら、私自身も同じではないでしょうか。例えば、電話カードを買うとき、必ず3、6、9が付いているカードを買いたがり、何をするにしても必ず数字の9まで数え、野菜を切る時でさえ、9回切ってから一旦少し間をおいて更に9回切ります。すごい執着です。また、Bさんは長い間共産党のリーダーを務め、党文化がひどく、話をするときの口調は凄い剣幕です。しかし、私自身も何か問題だと思えばすぐに口に出し、しかも非難の口調で相手に質問します。これも党文化ではないでしょうか。真剣に内に向けて探してみると、冷や汗をかきました。同修に存在する問題は私自身にもあります。しかも軽くありません。私はさっそく発正念し、それらの良くない人心を取り除き、邪党の要素を排除することにしました。

 その後、私は再度Bさんに真心をもって謝りました。それから、同修たちはBさんに党文化の問題を指摘してあげると、彼女も素直に受け入れました。この時、再びBさんを見ると、私は彼女の良い所しか見えなくなりました。彼女はいつも熱心に他人を助け、無私に自分のものを提供し、彼女の話を借りると、「私には何でもあります。食べるもの、着るもの、使うもの」。彼女は自分の布団をも必要とされている同修にあげるなど、いつも他人のために考えています。

 その後の学法の過程で、師父はいつも私を悟らせてくださいました。いつも突然にある法理が分かるようになり、修煉者としてどうすべきかが分かるようになりました。常人のものを容易に放下し、心性の向上や思想境地の昇華も実感し、その感覚は表現しにくいですが、真に「修煉は初志貫徹」の状態に達しました。

 師尊の慈悲なる済度に感謝し、同修の無私の助けに感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/8/5/295561.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/8/18/2556.html)
 
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