文/中国の大法弟子 心月
【明慧日本2014年6月8日】昨日、私は法を暗記していたとき、突然、「異性に好かれること自体、修煉者に問題がある」と悟りました。師父は「悪い心の持ち主が歪んだことを考える時、あなたの場の強烈な作用を受けて、その考えを変え、悪いことを考えなくなるかも知れません。人を罵ろうと思う者も、急に考えを変えて、やめたりします。」「ただ正法修煉のエネルギー場だけが、このような役割を果たすことができます。」[1]と説かれました。もし修煉者の心が正しければ、たとえ見た目がいくらきれいでも、異性の自分への言動がやりすぎになることはないでしょう。
私は法輪功を始めてから、7年になりました。私は法輪功のおかげで、不惑の年になっても、皮膚に皺がなく、いつも穏やかであり寛容で、世の中の人と争うことがありません。さらに家の経済状況もよくて、結婚以来、夫は私のことを大事にしています。ファッションに使うお金も全然気にしていません。ある時、私がきれいに化粧して出かけしようとした時、夫は微笑みながら、「今の全身の装いは数十万元もかかり、満足しているでしょう」と言いました。修煉者として、この言葉を聞いて、さまざまな思いが入り混じり、難しい気分になりました。同級生との集まりの時、いつも他人より優れている感じがします。男の同級生からの愛慕と告白、そして耳に入りやすい言葉を味わっています。その後、男の同級生が他の女性のことを褒めているとき、「嫉妬心」が生じしました。私は「その女の身長は1メートル50センチしかありませんので、とてもすらりとして美しいとは言えません。彼はセンスがありません」と思いました。私は長年仕事をしていませんので、社交範囲は同級生の集まりしかありません。最初は人を救い済度する気持ちを抱いて参加しましたが、時間に経つにつれて、その場は自分の寂しさを紛らわし、自我を顕示する場になりました。最後には、しばらく集まらないと、集まりを強く望むというように、各種の執着心を助長しました。なのでこの一年間、身体に病業があり、魔難の中で、身体の状況はよくなったり、悪くなったりしました。危機が至るところに潜んでいるような感じがしました。しかも、「色欲心」「顕示心」「見栄を張る心」「争う心」「楽をしたい心」、これらの執着心はお互いに強まり、依存し、団結し、正念と戦っています。
ですが、師父の経文『ヨーロッパ法会へ』を読んだとたん、私の目は覚めました。その日のうちに『ヨーロッパ法会へ』を暗記しました。残された時間は少なくなり、相変わらず執着心を抱いたままで放下したくないわけはありません。根本的に変えなければなりません。修煉しながら常人からのお世辞を楽しんでいます、これは「修」ですか? 悟りができたとしても、取り除かないと難関を乗り越えることはできません。機縁が失われれば、大きな罪になります。私達の修煉状態は同じ次元に長く留まることができません。さもなければ、病業の原因になるかもしれません。私の場合は確かにそうでしたが、他の同修たちも同じではないでしょうか?
執着心を見つけ、これらのものを取り除くと決心したとき、まるで「摂魂大法」を使ったかのように、これらのものを消去するのが難しく感じませんでした。私はすぐ師父に線香を立てて「師父、弟子はこれからごまかすようなことはもうしません。師父の加持をください」とお願いしました。一瞬、心が晴れ晴れし、身体が軽くなったと感じました。
最後に、私が言いたいのは法を暗記するのが、本当によかったということです。昨年、一度『転法輪』を暗記した後、2回目のとき、『転法輪』の半分まで暗記したところで、やめました。この前、明慧ネットで、年配の同修が法を暗記する話を読んで、恥ずかしく思いました。今、私はまた『転法輪』を暗記することにしました。現在第4講に進んでいます。私は法を暗記することが重要で、そのおかげで自分の心性を向上させることができたと、明らかに分かりました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』