文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年9月15日】私は1996年に法輪大法の修煉を始めました。その年の冬、私は不思議なことを体験しました。
冬に入ったある日、私は突然両手の甲の皮膚が木の皮のように粗く、厚くて硬いあまり、裂けて血が出てきました。顔を触ってみると、顔の皮膚も同じく硬く、殻のようでした。ただ、顔の皮膚は手の甲の皮膚より薄く、裂けてはいませんでした。
当時、私は20歳過ぎた独身女性で、両親から離れて中国北方のある都市で仕事をしていて、会社の独身寄宿舎に住んでいました。私は法輪功を修煉してから、非常に充実した、自在な生活を送っていました。朝は出勤する前に公園に行って煉功し、夜には喉の渇いた人のごとく法輪功の書籍を読んでいました。
自分の手と顔にこのような現象が現れたのを見て、これは法輪功を修煉していることと関連しているという直感がして、何の問題も起きないと信じていました。なぜなら、私は修煉してあまり時間が経っていなかったのですが、師父が私を見守ってくださっていると分かっていて、とても落ち着いていたからです。そして、このことを考えませんでした。人の目に見えないように私は長袖のセーターを着て、手を遮りました。多くの同僚が私が法輪功を学んでいることを知っていたからです。私は彼らが私の手を見て、法輪功の文句を言うことがないようしたかったのです。幸いに、誰も私の手に気づきませんでした。また、私の顔に気づいている人もいなかったのです。私の両親さえ、私が家に帰った時に何も気づいていないようでした。
多くの北方の人はまだ覚えているかもしれませんが、当時冬になると、暖房があっても、部屋のなかでセーターを着ずにいられる程に熱くはなく、多くの古い家には暖房もなかったのです。そのため、自分の家で入浴することのできる人は少なかったのです。冬になると、多くの人は公共の浴室を利用していました。私が勤めていた会社は冬になると、従業員向けの浴室を開放していました。手の甲の皮膚と顔の皮膚が硬くなってからのことですが、一度、私は従業員向けの浴室に行きました。水蒸気がとても多く、温度もとても高かったです。サウナにしばらく入ると、全身が熱くなり、皮膚も柔らかくなりました。手の甲と顔の厚い皮は、そっと擦ると落ちてきました。そして、手の甲と顔の皮膚は元に戻りました。当時、私は非常に喜び、とても不思議に感じました。
しかし、私は喜びながら浴室を出てきて、また寒い室外まで歩かないうちに、温度差を感じると、突然手の甲と顔の皮膚から何かが湧き立つような感じがし、すべての毛穴から、細いものが湧き立っていました。一瞬、私がまだ反応もしないうちに、手の甲と顔はまた木の皮のようになりました。当時、私はあまりにも不思議だと感じました。
私は慌てることはありませんでした。なぜなら、私は解決方法が分かったからです。そして、翌日、私はもう一度従業員の浴室に行き、サウナに入りました。しかし、今回は効かなかったのです。それから、数日間連続して行っても同じでした。私はどういうことか理解できませんでした。ただ、学法と煉功を続ける以外、ほかの方法はありませんでした。
その後、時間が経つにつれて、私は一つの規律を発見しました。それは、一週間に一回だけ粗い皮が剥け、それから新しく粗い皮膚が出てくるということでした。その年の冬はずっとその繰り返しでした。本当に不思議でした。翌年の春になって、セーターをもう着られなくなった時、手の甲と顔の皮膚は知らないうちに完全に良くなりました。手と顔の皮膚だけでなく、全身の皮膚が更にきめ細かくてなめらかできれいになりました。これは本当に不思議なことでした。
法輪大法を知っている人にとって、私のこの体験より更に不思議なことは数え切れないほどあります。ですから、私はずっと言い出しませんでした。しかし、これほど時間が経っても、この体験は私の生活のなかで美しい記憶として残っていて、私もみなさんと自分の喜びを分かち合い、法輪大法の大きな恩に感謝したいと思いました。
この体験があって、私は師父が1996年に発表された「警告の言葉」の下記の内容について非常に深く認識できるようになりました。「皆さんは人間の状態を変えようとせず、理性からも大法を真に認識するまで昇華しようとしなければ、機会を失うことになります。 皆さんは、常人として百年千年来、骨の髄までしみ込むように形成された人間の理を変えなければ、人間としての表面の殻を取り除くことはできず、圓満成就できません」。この言葉は、修煉の中で、理性的に大法の内包を理解するように、ずっと私に注意を与えています。
毎回、冷静にすべての物事に対処する時、私は自分の生命の昇華を感じます。法輪大法を修煉できる機会があったことは、真に無比なる幸せと幸運なことです。法輪大法は真に宇宙の中の高いレベルの大法であり、大法に出会って私は生命の真の意義が分かり、私の生命が生じたところとのつながりを感じ、心の底から無比なる安定感と喜びを感じています。師父のご加護があったため、乗り越えられない難関がなくなりました。
注:
[1]李洪志師父の著作:『精進要旨』「警告の言葉」