あるスウェーデン女性の修煉の奇縁(二)
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 【明慧日本2015年2月16日】前の文へ

 三、北京で法輪功の真実を伝える

 中国で法輪功に対する迫害が始まった時、世界は驚きました。当時、法輪功は海外に広まり始めたばかりで、多くの人は法輪功とは何かを知りませんでした。突然起こった、予期できない大きな出来事は世界を驚かせました。国際メディアはどう対応すればよいかわからず、中国政府のメディアが報道したものを転載するだけでした。そして、法輪功に対する否定的な報道が突然世界の至るところに広がったのです。

 中国共産党政権は中国国内のすべての宣伝機関を利用して法輪功を中傷し、中央政府から末端まで、政府部門から学校まで、都市部から農村部まで、多くの民衆を虚言で洗脳しました。

 イボンヌさんはこう思いました。「このような事がどうしてありうるのか?  これは完全に間違っている! 中国共産党は世界を騙すために嘘をつき、その嘘を世界に広げている!」。中国にいる法輪功学習者は巨大な圧力を受け、破滅的な困難に遭遇しました。

 法輪功学習者が不当に逮捕され、監禁されたという悪いニュースは絶えず中国から伝わってきました。イボンヌさんは中国で発生していることを大変悲しみました。1年ほど前、彼女は人々が中国で法輪功の煉功をしている壮大な光景を見ました。どうしてこんな事が突然起きたのでしょうか?

 「私は大連での新年のお祝いを覚えています。その時、1人の女性学習者がパフォーマンスしました。彼女は北京の劇場でもオペラを歌っていたと聞きました。その彼女が逮捕され、労働教養所で拷問を受けて亡くなったと聞きました。彼女の死に私は非常にショックを受けました」とイボンヌさんは言います。

 そのような環境下で、海外の学習者は表へ出ました。イボンヌさんも法を実証する活動に参加しました。彼らは法輪功の真実を世界の人々にはっきり伝え、中国共産党によるデマを暴き、大法の威厳を守ろうとしました。

 中国政府は海外の記者が法輪功学習者を取材するすべてのルートを遮断したため、海外の学習者は動きはじめました。多くのスウェーデンの学習者は国際社会に向けて法輪功のために声をだす前に、米国に行きました。イボンヌさんと一部の西洋の学習者は大きなリスクを冒して、北京へ行きました。

 彼らが2000年の暮に北京に着いた時、状況は完全に変わっていました。再び多くの学習者が一緒に煉功している壮大な光景を見ることはできなくなりました。公園の煉功場は空っぽで、恐怖と緊張が北京の空気に充満していました。イボンヌさんは重い気持ちを覚えました。

 「私たちは自分たちにできることを考えて、何回も天安門広場に行きました。警官は私たちを見つけることができませんでした。なぜなら毎回異なる服装をしていたからです」

 「私達はたくさん小さな紙きれを持って、万里の長城にも行きました。その紙には中国語で『法輪大法はすばらしい』、『迫害をやめさせよう』などのメッセージがを書きました。私達はその紙きれを長城の割れ目に入れました。観光客がそれらを見て、真実が分かるようになるのではないかと思いました。タクシーで移動する時には、車内に紙きれを残してきました。私達はそのような紙きれを至るところに置きました」

 「中国は厳しく制御されたシステムですが、海外の学習者は法輪功の真実を伝え、受けている迫害を暴露するために、できる方法を尽くしました。私たちは法輪功を修煉してたくさんの恩恵を受けました。少なくとも表に出て、中国の学習者を助け、彼らに希望を与えようと思いました」とイボンヌさんは言います。

 2001年11月、スウェーデンの学習者は北京に行くことを考えました。彼らはイボンヌさんに「私たちと一緒に北京に行きませんか?」と聞いた時、彼女は躊躇せず、「行きます」と答えました。

 それは非常に危険なことでした。彼らは一緒に行く学習者以外の人に計画を秘密にしていました。彼らは分かれて動くことにし、唯一伝えられた情報は会う場所と時間だけでした。

 「私たちはそれぞれ異なる旅行代理店を探し、ツアーグループと一緒に北京へ行き、普通に北京で観光しました。ある日、私たちのツアーグループは予定がなく、その日はちょうど天安門広場で会う日でした。それは驚くほど偶然なことでした! 私と同室者はとても気持ちが重くなりました。なぜなら、私たちは非常に重要で、リスキーなことに参加するからです。何が起こるかわかりませんでした」

 天安門広場へ行くと、約束した西洋人学習者が集まりました。彼らは午後2時に天安門広場に集まり、大きな横断幕を開きました。そこにはとても目立つ「真・善・忍」という三文字が書かれていました。人々は目にした光景にびっくりしました。20秒で、警官とパトカーがサイレンを鳴らしながら、駆けつけてきました。天安門広場は混乱に陥りました。

 「法輪大法はすばらしい! 全世界が知っている! アメリカが知っている! ヨーロッパが知っている! 法輪大法はすばらしい!…」と、1人の西洋人学習者が警官の包囲から抜け出し、走りながら心の底から叫びました。彼の声は天安門広場に響き渡りました。

 「私達はグループで横断幕を開いた後、地下鉄に乗って、買い物に行き、食事に行く予定でした。私たちはその次に起きることを想像していませんでした」

 「たくさんのパトカーが駆けつけ、白い大型のバスも駆けつけました。警官は四方八方から突撃してきました。彼らは何人かの人を殴りました。私は後ろから横断幕を持っていましたので、最初にバスに引きずりこまれました。そこで、私たちは拘禁されました」

 「1人の学習者が私達にそこにいるべきではないと言いました。私は窓から片足を出すとジャンプして車から降りました。どうやってスウェーデン大使館に行って、助けを求めるかを考えていました。しかし、私がほんの数歩離れた時、1人の警官が後ろから押して、私は数メートル離れたところに倒れました。そこに数人の警官が飛びかかってきて、私の腕を後ろでひねりました。非常に痛かったです」とイボンヌさんは思い出します。

 「彼らは私を大型のバスに再び押し込みました。そこには私以外だれも法輪功学習者がいませんでした。私は怖くなりました。北京に行く前に、中国の警官がいかに邪悪で、残酷か話したことがあります。彼らには最低の基準がなく、どんな悪事でもやりかねません。恐怖感が徐々に襲って来ました。ちょうどその時、2人の男性学習者が押されて入ってきました。ドイツ人とスウェーデン人でした。私たちは何が起きても一緒にいること、警官に私たちを隔離させないことを決心しました」

 イボンヌさんはいまだにその大型のバスを覚えています。「私たちはそこに拘禁されました。窓ごとに1人の警官が座っていて、窓を遮っていました。彼らは私たちが窓に近づくことを禁止しました。私たちは窓の外で起きていることを見られず、また、外の人々も私たちを見ることができませんでした。警官に声をかけて見ましたが、彼らは何も言いません。私は1人の特別な警官を目にしました。彼の目は情け容赦なく残酷で暗い目をしていました。私は何が彼を制御しているか分かりませんでしたが、彼は極めて凶暴に見えました」

 「私達は派出所に連れて行かれ、小さな部屋に押しこまれました。女性の学習者が大使館とマスコミに電話しました。残りの人は立って、彼女を隠しました。警官が私たちに1人ずつ質問し、パスポートを出すよう要求しましたが、私達はそれを拒否し、それぞれ自分の国の大使館の人に会うことを要求しました。しかし、それは警官に無視されました。われわれ西洋人学習者たちは自由で、民主主義の国で生活していて、このようなことを経験したことがありませんでした。暗くて、狭い通路が地下室に通じていて、小さい部屋は黒い鉄柵で隔てられ、壁には乾いた血痕が付いていました。鉄柵の外側にいる人が彼らの姿を録画していました」。イボンヌさんは恐怖に襲われました。

 「私は中国人学習者が遭遇した迫害について知っていました。しかし、それらの血痕を見た時、私の心は苦しくなりました。まるで本当の血だらけの手が壁に吊られているのが見えるようでした」

 「自分たちはそこに拘禁されたままになるのではないかと思いました。いつそこから出られるか分からなかったのです。私は家族が恋しくなり、多分もう彼らに会えないだろうと思いました。私は泣き始めました。しかしその瞬間、私は泣いてはいけないと意識しました。すると、すべての恐怖と悲しみが消えました。当時、恐怖を克服できて私は嬉しかったのです」

 イボンヌさんは脱出方法を考えました。警官は非常に無礼で、絶えず学習者を罵っていました。彼らは多くの西洋人学習者が中国語が分かっていると知っていました。警官は学習者を怒らせるために、法輪功を中傷しました。イボンヌさんはそのような挑発行為に頑張って耐えました。警官の胸にみんな番号が付いていることに気づいた彼女は「彼らの番号を覚えて、いつか彼らを法廷に連れだそう」と思いました。

イボンヌさんが記録した警官の番号

 彼女は彼らの番号を見てから、後ろを向き、小さい紙に番号を書き出しました。013068、013074、013029、013205…

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/29/300857.html)
 
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