【明慧日本2014年1月9日】河北省承徳市の法輪功修煉者・楊清芳さんは2001年9月16日、 天安門広場で法輪功の功法を練習したため、警官に不当に連行された。その後、楊さんは労働教養処分を下され、労働教養所の入所の健康診断を受けたが、異常があるとして解放された。しかし警官は、楊さんの健康回復を待って、楊さんを再び教養所に入れようとした。楊さんは労働教養所の拘禁を避けるため、広東省の深セン市に行った。
しかし2003年11月、楊さんは法輪功が迫害されている内容のチラシを他の法輪功修煉者に渡したとき、警官に見つかり連行された。警官は名前を聞いたが、楊さんは答えなかった。しかし、警官は楊さんに「李淑芳」という名前をつけて労働教養2年を宣告し、広東省女子労働教養所に収容した。
楊さんは教養所に入ってすぐ独房に監禁され、警官2人と入所者2人に囲まれて、毎日夜12時まで「転向」を強要された。2週間後、警官が2人増え、楊さんは6人から監視されて法輪功を誹謗中傷するビデオを見せられ、法輪功の修煉を放棄する旨の書類「三書」を書くように強要された。迫害に抗議するため、楊さんは5日間断食を行った。しかし楊さんは、地面に座って寝ることを60数日間強要されたという。
その後、楊さんはしばしば断食をして迫害に抗議したが、断食するたびに野蛮な灌食を受けた。灌食の時、警官5~6人が楊さんを押さえつけて鉄の器具で口をこじ開け、口を閉じられないように器具で支え、不明な薬物を混ぜた粥を口に入れた。警官は15分おきに灌食を行い、口を閉じられないように支えた器具を入れたままにされたため、楊さんは耐えられないほど口が痛んだ。
毎日、野蛮な灌食を4時間以上された楊さんは、27日目に突然心拍数が早くなって呼吸困難に陥り、応急手当を受けたが回復しなかったため、三水センター病院に搬送された。医者は「何日間も食事をしなかったのか?」と聞くと、警官は「27日間」と答えた。医者が「なぜ、早く連れて来なかったのか?」と聞くと、誰も返事をしなかった。
病院から教養所に戻された楊さんは、引き続きチューブを喉に挿入され、81日間、灌食された。警官は楊さんをベッドに縛りつけ、チューブを挿入して灌食を行い、灌食を終えてもチューブを1週間ぐらい抜かなかった。楊さんは辛くてたまらなかった。
楊さんは教養所に収容される前の体重は80キロだったが、出るときは30数キロまで痩せてしまった。教養所で鉄の器具で口をこじ開けられたため、楊さんの歯は2本ぐらぐらになり、長期間縛られたため腕と手が変形し、髪の毛は多く抜かれてしまい、身体が非常に衰弱したという。