真相を伝えるとき 自分の役割を正しく把握する
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文/イギリスの大法弟子

 【明慧日本2015年3月24日】よく言われるように、深山に身を隠すことは、本当の隠遁(いんとん)とは言えません。複雑な環境で暮らせる人が、世間のことに動じないことこそ、本当の隠遁と言えるでしょう。多くの同修は、私たちの修煉過程はまるで人間の世界から天上に上り、再び天上から人間の世界に下りるようなことであると気づきました。私たちにとって、人間のすべての執着を捨て、堅実に修煉することは、難しいことではないと思いますが、難しいのは、どうやって常人に分かりやすい道理をもって相手の心のしこりを解けるかということです。

 たとえば、営業の仕事の中で、どのようにして法輪功が迫害された真相を伝えるとか、文章を書くとき、末法の時期の人々にも受け入れやすい道理を、どのように表現すればよいのか、いつもやる気があるのですが力が伴わないのです。

 師父は『新唐人テレビ討論会での説法』の中で「プロジェクト自体と事の進み方は世の人々が理解できるようなものでなければなりません」[1]と説かれました。私の悟りでは、私たちは常人の理解できる話で勧め、常人のレベルに合わせて話すべきですが、高い道理で話してはいけません。通常の話し方でなければ、常人は理解できません。もちろん、私たちは心の中に神のことを忘れてはいけません。しかし、神のことを口に出してはいけないのです。

 たとえば、営業に行った時は私たちは営業マンです。私たちは署名活動のためにお客様のところに来たわけでもないし、伝道に来たわけでもありません。この時点で私たちに割り当てられた役割は商売人です。本末を誤るといけません。私たちは常人社会で商談をしているのであって修煉団体の内部交流をしているのではありません。この基点に基づけば、どうやって真相を伝えるか分かるでしょう。

 地元の営業の同修は、大晦日に、30万元の大きな契約を取りました。彼女たちは自分の体験をみんなに話しました。「最初、お客様は、大紀元と契約を結ぶなんて非常にデリケートな事だと感じているのか、会社の責任者には『自分の社員は大紀元をどう評価するのだろう』などという不安があることに気がつきました。そこで私たちは、法輪功と大紀元の関係を説明しました。するとお客様は大紀元が法輪功とはちがうものであることを理解しました。『大紀元とお客様との間は、企業と企業の関係です。お客様は商品を作るのが仕事であり、大紀元は新聞でありお客様の商品を宣伝するのが仕事です。このようにお客様に説明すると、私たちの取引は成功したのです」

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『新唐人テレビ討論会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/3/6/305906.html)
 
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