『指輪物語』、『西遊記』から悟った協調人に協力する道理
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文/王華(イギリス)

 【明慧日本2013年12月5日】末法時期に、天上から地上に降りた高級生命らが迷いの中で目覚めて、元の天国世界に戻ることを助けるために、東方においても西方においても、神様は多くの修煉に関する物語を残してくれました。ほとんどの人はこの2冊の本を読んだことがあると思います。つまり、東方の『西遊記』と西方の『指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)』です。神話のようなこの2冊の小説は、修煉に関連する道理を語っています。

 孫悟空はあれほどすごい能力を持って、よく観音菩薩と如来佛に会うことができて、孫悟空に真経を取りに行かせばいいのに、なぜ何の能力もない三蔵法師に行かせるか、と幼いころ私はよく考えました。今はやっと分かりました。人間世界の迷いの状態を破壊してはならず、どんな事でも人間世界の状態に符合する形で行わなければならないからです。同様にエホバは人類を助けようとしても、まず自分の息子(イエス)を大工の家に降誕させて人間の肉体を持たせ、それから人間世界の体を持つイエスは伝道しました。神様の姿を人類世界に見せてはいけないのです。

 『指輪物語』の物語を見てみましょう。ゴンドール王国は邪悪に征服されて、その王位継承者のアラゴルンは魔法使いのガンダルフ、ホビット族のフロドとサム、エルフ国の王子であるレゴラス、戦士のギムリなどに助けられて、闇の冥王サウロンが作った世界を滅ぼす魔力を秘めた指輪を破壊し、中つ国は平和を取り戻しました。そして自分の使命を果たした勇士たちは船に乗って仙境に向かった、というあらすじです。

 『指輪物語』には私たちの今日の修煉と通じ合うところが多くあります。例えば、大法のあるプロジェクトを先史の誓約や神の段取りにより、特定のある大法弟子に担当させることは、指輪を破壊できるのはフロドしかいないことと似ていませんか。ほかの人はどんなに能力を持っていても、フロドの助手となって、彼を助けて使命を果たすことしかできません。

 映画を見る時、私はサムがとても好きです。彼の忠誠と助けがなかったら、指輪を破壊することができなかったかもしれません。最後にサムも円満に帰りました。自分の使命を果たすだけでなく、ほかの同修を支えて、彼らも使命を果たせるように助けないといけない、映画を見た時に私はそのように自分に言い聞かせました。師父が『各地での説法二 二〇〇二年ワシントンDC法会での説法』で「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」とおっしゃった通りです。

 中国に「賊を捕えるには、まずその頭目を捕らえよう」ということわざがあって、「敵を攻撃するにはまずその主となるところを見極めて攻撃せよ」という意味です。邪悪が大法弟子を妨害する時も同じ戦術を使っています。協調人を妨害することに邪悪は多くの精力を費やして、協調人の身に押し付けた魔難は、恐らく一般修煉者より多いと思います。そのため、多くの協調人は一般修煉者より修煉状態が悪そうに見えるかもしれません。実は、協調人は黙々とたくさんの仕事をして、たくさんの苦難を耐えています。師父は『各地での説法七 米国西部国際法会での説法』で「イエスが十字架に磔にされたとき、人間に替わって罪を贖っているのが人間には見えなかったのです。数多くの世の人々の巨大な罪業は全部彼の身に圧し掛かり、非常に多く、非常に大きかったのです。密度も非常に高かったのです。これこそ、彼に巨大な苦痛がもたらされたことの原因です。そのとき、彼は刑を受けなくても、立つことができず、大きな圧力によって呼吸さえ困難になりました」とおっしゃいました。もちろん大法修煉はそのようにしません。我々は善解で問題を解決して、衆生も済度します。

 旧勢力の妨害を除去するには、まず、協調人を含めて全ての修煉者がしっかり自分を修めることです。そして、一般修煉者は服従することと協力するほか、ピラミッドのように力を重ねなければなりません。また、一丸となって良いエネルギーを絶えず協調人に伝えて、ピラミッドの頂点に立つ協調人が勝利の果実を掴むことを助けないといけません。

 フロドは多大な苦難を嘗めてようやく指輪にたどり着いたのですが、指輪を破壊する前に、彼自身の意識が指輪に制御され、彼は指輪の主になろうとしました。サムの忠告がなければ、神様の手配によってゴラムが現れなければ、フロドはきっと使命を果たせなくなります。これはほかでもないチームワークの力です。一人のメンバーがミスを犯した時、チーム全体としてミスを直す機制を持つわけです。神韻芸術団の役者たちは公演が始まる前に手を重ね、口を揃えて「師が法を正すことを助けて、衆生を救い済度する」と言うそうです。リードダンサーが難易度の高い動作をする時、他のダンサーは全員発正念して彼をサポートするそうです。修煉者はみな知っていますが、人間の思想は物質そのものであり、エネルギーそのものであり、良いエネルギーで協調人をサポートすれば、協調人はきっと邪悪に打ち勝つことができます。

 大法のプロジェクトはリレーのようで、選手は自分の分をしっかり走るほか、他の選手がよく走れるように協力してあげなければなりません。「脈も無くツボも無い境地」に達して、分け隔てを区別しない無私な状態に達してこそ、私たちはすべての細胞、ないし体全体を佛体に昇華させることができます。

 責任者(協調人)として、三蔵法師と同じように、孫悟空のような能力を持たなくても構いませんが、修煉の決心を固くしなければなりません。彼の最も重要な役割は、師父の要求に厳格に従って、どれほど大きな難に出遭っても、固く師父と法を信じることです。孫悟空は不機嫌になったら花果山に帰っても構いませんが、三蔵法師は常に確固不動としなければなりません。これは容易に見えますが、しかしそれこそ最も難しいことです。どんなに悔しくても、人に誤解されても、寂しい中で最後まで我慢し通さなければなりません。それは最も難しいことです。

 同修の皆さん、各プロジェクトの先頭に立っている同修、特に神韻劇場を探している同修を正念で支えましょう。中国に「山を隔てて虎を打つ」ということわざがあります。外郭でいくら力を使っても、大山を隔てるように肝心な部分に力が届かないことの喩えです。しかし今回、旧勢力と背水の一戦をして、正念を保って人間世界のすべての隔たりを打破して、邪悪という「虎」を殺して、一流の劇場を獲得しましょう。私たちの心は劇場を探す同修の心と通じ合っているため、我々のエネルギーも通じ合うようになり、私たちの間に隔たりの大山は存在しておらず、外郭から出された力でもきっと中心部分に届きます。

 個人の些細な体得で、不適切なところがあれば、皆さんのご叱正を仰ぎたいと思います。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/30/283289.html)
 
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